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自粛警察は日本人の「影」(ユング心理学)──関東大震災朝鮮人虐殺も

日本人が最重要視する「世間のルール」

教えてもらって読んでとても参考になった2020年8月27日付の佐藤直樹氏の記事の内容を紹介したい。

世間のルールは法のルールよりも重い

「自粛」するかしないかはあくまでも個人やお店の任意で、これは「世間のルール」に属する概念だが、「警察」は、法にもとづいて違法行為を強制的に取り締まるお役所であり、「法のルール」に属する概念。

つまり語の本来の意味では、「自粛」は「警察」につながらない。
にもかかわらず、自粛警察という言葉を誰も不思議に思わないのは、日本人は伝統的に「世間」にがんじがらめに縛られてきたので、「世間のルール」が「法のルール」と区別されず、ほとんど同じと考えられるからである。すなわち、「法のルール」に反しない行為であっても、「世間のルール」に反しているだけで、あたかも犯罪でもおかしたかのように、極悪非道の行為とみなされる。

そのため、自粛に応じないものに対して、法的根拠もなく、事実上の「処罰」を自粛警察がおこなっても、「世間」にはあまり抵抗感がない。

佐藤直樹2020年8月27日より大意を抜粋

強大な世間の同調圧力

「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」 (講談社現代新書)
鴻上尚史 (著), 佐藤直樹 (著)

新型コロナウイルスがあぶり出したのは、日本独自の「世間」だった!
長年、「世間」の問題と格闘をしてきた二人の著者が、自粛、自己責任、忖度などの背後に潜む日本社会の「闇」を明らかにする緊急対談!
(アマゾン内容説明より)

批判を浴びながらも自粛警察がかくも跳梁跋扈するのは、それを誘発する「世間」の同調圧力が強大だからである。ある意味、自粛警察とは、こうした空気や同調圧力のあり方に敏感に反応する、過剰に「空気を読む」人たちのことであるともいえる。

佐藤直樹2020年8月27日より

自粛警察の正義が正当化される理由

山本七平の「抗空気罪」

作家の山本七平さんは、日本には「抗空気罪」という罪があり、それに反すると最も軽くて「村八分」刑に処せられるという。つまり、自粛にしたがわないものは、この圧倒的な空気の支配に反抗するものであり、抗空気罪という罪に該当する犯罪者となる。それゆえ、自粛警察の「正義」は、この空気の支配から正当化されることになる。

佐藤直樹2020年8月27日より

「空気」の研究 (文春文庫) – 山本 七平 (著)
1977年(昭和52年)の発表以来、40年を経ていまだに多くの論者に引用、紹介される名著。NHK Eテレ「100分deメディア論」で、社会学者・大澤真幸氏が本書を紹介し、大きな反響があった。(2018年3月)
(アマゾン内容説明より)

日本人は、「世間」の同調圧力の強さから、家庭で「人に迷惑をかけない人間になれ」といわれて育つ。これは、「人とは違う個性的な人間になれ」といわれて育つ欧米とはまったく違う。そうすると、犯罪にいたるはるか以前に、「世間のルール」に反する「人に迷惑をかける」行為が極悪非道の行為となる。

かくして自粛警察は、直接危害を加えられたわけでもないのに、自分が「迷惑をかけられた」と思い込む。その結果、自粛に応じない「人に迷惑をかける」行為を取り締まることが、「正義の制裁」として自己正当化されることになる。

佐藤直樹2020年8月27日より

「自粛バカ── リスクゼロ症候群に罹った日本人への処方箋」 (宝島社新書 2020/8/7 ) 池田 清彦 (著)
自粛警察という同調圧力、感染者は徹底的にゼロを求めるリスクゼロ幻想、なんとなく多数派にのる政府と国民……コロナ禍で明らかになったのは日本の過剰な「ことなかれ主義」だった。他人にも自らにも過剰に「自粛」を求める結果が、現在の日本社会の閉塞感とも言える。日本という国が「後進国」になってしまった原因はここにある。
(アマゾン内容説明より)

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