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自粛警察は日本人の「影」(ユング心理学)──関東大震災朝鮮人虐殺も

関東大震災朝鮮人虐殺事件

コラムに書きたいことがたまっている中から何気なく選んで今回の「自粛警察」を書き始めたところ、奇しくも本日(9月1日)は、関東大震災の発生(1923年 /大正12年)した日で、震災後の混乱時に、”関東大震災朝鮮人虐殺事件”が起きたことを教えてもらい、これもシンクロニシティーだと感じられた。

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災は、10万人以上の死者・行方不明者を出したが、もう一つの悲劇はデマににより引き起こされた朝鮮人虐殺事件であった。日本刀や竹槍、猟銃などで武装した自警団が、関東一円で三千七百もつくられ、朝鮮人を襲ったという。

出典:https://www.bo-sai.co.jp/kantodaisinsaikiseki5.html

日本人に限ったことではないが戦争中に行われた様々な残虐行為と同様に、人間の「影」の最たる例と言えると思う。

●「自警団と死体」と題された写真。(辛基秀『写真で語る「日韓併合」史』、1987年8月)
●裵昭『関東大震災朝鮮人虐殺―写真報告』(1988年10月)掲載時には「震災後も関東各地で自警団による虐殺が日常的に行われた。」との説明文が付された。

負の歴史に向き合う

関東大震災では、デマを信じた人々が多くの朝鮮人や中国人を殺害した。憎悪をあおるヘイトスピーチも広がる今、加害者にならないために、歴史から何を学べばいいのか。防災の日を前に、九十七年前に川崎で起こった「事件」から考える。

東京新聞 Tokyo Web (2020年8月31日付)より

過去と現在はつながっている

詳しくは東京新聞の元記事を読んでいただきたいが、この中で専修大の朝鮮近代史の教授が「過去と現在はつながっている」と警鐘を鳴らしている。

「9月、東京の路上で」

こちらも紹介してもらった関連書籍。

「九月、──東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響」加藤 直樹 (2014)

関東大震災の直後に響き渡る叫び声。 ふたたびの五輪を前に繰り返されるヘイトスピーチ。 1923年9月、ジェノサイド ※の街・東京を描き、 現代に残響する忌まわしい声に抗う―― 路上から生まれた歴史ノンフィクション!
(アマゾン内容紹介より)
※ジェノサイド…大量殺害、集団殺戮(さつりく)。

本書の帯には萩原朔太郎の言葉が載っていた。(この詩は青空文庫でも読める。)

朝鮮人あまた殺され
その血百里の間に連なれり
われ怒りて視る、何の慘虐ぞ
(萩原朔太郎)

「萩原朔太郎全集 第三卷」筑摩書房所収(1977/昭和52年)初版第1刷発行
著者の加藤直樹氏(2015年)

この本が紹介された京都新聞の記事

2020年9月6日付の京都新聞
(以下に内容をタイプ。)

1923(大正12)年9月1日、関東大震災が起きた。「朝鮮人が暴動」、「井戸に毒を入れた」。流言に端を発し、千人単位とされる朝鮮人が殺害された。
「朝鮮人を殺すたびに、『万才、万才』と歓声があがるのです」。本書には凄惨な証言や日記などが数多く収められている。
 軍、警察、自警団、新聞…。さまざまな機関や人々がデマを信じ、広げ、虐殺に関わった。「流されやすい人」に登場する男性は、デマを最初信じていなかったが、リンチを見て冷静さを失い、暴行に加わろうとする。男性はすぐ思いとどまったが、義憤や正義感に駆られて暴走する人も多かったはず。
 遠い昔ではない。差別的、歴史修正主義的な言動が見え隠れする、この国の今と地続きだ。コロナ渦で社会不安が増す中、私も「流されやすい人」だと感じている。だからこそ、人間の愚かさを知らねば。教訓を学ばねば。

2020年9月6日付京都新聞「記者の処方箋」(報道部、堤冬樹)
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