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「長靴をはいた猫」のユング心理学的分析

820字.

ユング心理学では、昔話やおとぎばなしを独特の解釈によって、深層心理と結びつけて捉えます。その一例をご紹介します。

昔ばなしやおとぎばなしをおとなの話として読んでみると、心の中の動きが、非常に明快に述べられていることがわかる。もちろん、子どもたちはそれを直感的に読みとるので、解釈などは必要ないが、昔ばなしは、数多くの児童文学の作品と同様に、おとなになっても、心の深層の動きを知るために大きな意味を持っている。

秋山さと子「男ともだち」p.77

以下は、秋山さと子の「長靴をはいた猫」の解説。

長靴をはいた猫

粉屋の末息子は、人はよいが何も持っておらず、物事すべてどうしてよいかわからないような無能な輩。この息子が遺産にもらったのは何の役にも立たない猫一匹だったが、この猫は人間より賢く、いろんな知恵を使ってこの三男をお姫様と結婚させ、三男は生涯幸せに暮らす。(詳しいあらすじは、このページの最後に記載。)

この猫はうすのろと思われていた粉屋の息子の心の奥に眠っていた彼の無意識の中の、まったく反対の性格を持つ、賢い分身のあらわれであろう。まだ一人前になっていないので、猫の姿をしているけれども、この猫にもっと注目して、彼の望むように立派な長靴を作ってやり、ちゃんと一人前の騎士のように扱ってやれば、この分身は心の表面にあらわれてその人の足りない部分を補い、立派な役割を果たすのである。

秋山さと子、前掲書

つまり、この話は猫という姿で表された、自分自身の眠れる才能や隠れた性格との出会いについての物語、とも解釈することができる。

子どもたちは、心の中に眠っているさまざまな能力を、自然に掘り起こしながら成長する。おとぎ話の持つファンタジーに刺激されることで、イマジネーションが活性化されてこの成長過程が促進されるのだが、おとなになるにつれて想像力や共感力が消えてしまう。だから子どもにとってはもちろん、おとなにとっても、芸術や文学が必要なのだと秋山さと子は言っている。

ギュスターヴ・ドレによるイラスト(19世紀)

「長靴をはいた猫」あらすじ(ペロー版)

ある粉挽き職人が死に、3人の息子にはそれぞれ粉挽き小屋、ロバ、猫が遺産として分けられた。長男が粉挽き小屋を、次男がロバを取った。残りの猫しかもらえなかった三男が「猫を食べてしまったら、後は何もなくなってしまう」と嘆いていると、猫が「心配要りませんよ。まず、私に長靴と袋を下さい。そうすれば、あなたがもらったものが、そんなに悪いもんでもなかったことが近いうちに分かります」と応えた。

長靴と袋を調達してもらった猫はまずウサギを捕まえ、王様に「我が主人・カラバ侯爵が狩りをしまして。獲物の一部を献上せよとの言いつけによりお持ちしました」と言ってウサギを献上し、王様から「余からよろしくと侯に伝えよ。“貴公の心遣い、大変嬉しく思う”」と言葉を貰う。これを繰り返して王様と猫が親しくなった頃、猫は三男にある場所で水浴びをさせる。そこに王様と姫が通りがかり、猫はその前に出て「大変です、カラバ侯爵が水浴びをしている最中に泥棒に持ち物を取られてしまいました」と嘘をつく。そうして、三男と王様を引き合わせ、「カラバ侯爵の居城」に王様を招待することになる。

猫が馬車を先導することになり、道で百姓に会うたびに「ここは誰の土地かと聞かれたら、『カラバ侯爵様の土地です』と言え。でないと、細切れにされてしまうぞ」と脅す。本当は、ogre(オーガ)の土地だったが、百姓は王様に尋ねられると「カラバ侯爵様の土地です」と答える。そして、王様は「カラバ侯爵」の領地の広さに感心する。

そして、猫はある豪奢な城に着く。これは、オーガの城だったが、猫は「ご城主は凄まじい魔法の使い手だと聞いていますが、まさか鼠に化けられる程ではないでしょう?」とオーガをだまして鼠に姿を変えさせ、捕まえて食べてしまう。そうして城を奪い、王様が着くと「カラバ侯爵の城にようこそ!」と迎える。王様は「カラバ侯爵」に感心。三男は元々育ちの悪い男性ではなかったので、姫は三男を好きになり、しきりに気にかけるようになる。王様はこれに気づき、娘婿になってくれないか、と言う。三男こと「カラバ侯爵」は、その申し出を受けてその日のうちに姫と結婚する。猫も貴族に取り立てられて、鼠捕りは趣味でやるだけになった。
(ヨーロッパに伝わる民話)

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