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日本人のコロナメンタリティ「欲しがりません、勝つまでは」にスポーツ指導者のこども虐待にも通じる精神性

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全2ページ、2500文字

このコラムは日本人批判ではない。日本のコロナの状況を実際には知らないわたしが勝手に想像して連想したことを通じて、日本の美徳が諸刃の刃にもなることを考えながら、日本人としての自分自身の内面も振り返った。美徳の裏に含まれるネガティブな側面が、ユング心理学の「シャドウ(影)」に相当する。わたし自身が今もとりくんでいる重要な課題である。

「欲しがりません、勝つまでは」が頭に浮かんだ日

10年以上思い出すこともなかった「欲しがりません、勝つまでは」という戦時中のスローガンが頭をよぎったのは今日のことだった。

コロナ休校の遅れを取り戻すために、日本のこどもたちの夏休みが例年の半分以下になったとか、今年は修学旅行も無理だろうとかそんな話を聞いていたときだ。

コロナが収束するまでは仕方ない、ワクチンができるまでの辛抱だと言いながら、みんなが不自由を受け入れて粛々と暮らしているその感じは、同じコロナ禍にいるはずのヨーロッパ人と随分違う。ヨーロッパ人だってコロナ自粛はしているので、なにが違うのかと考えてみたとき、その違いは自己犠牲的な精神の有無のような気がする。

それが日本人の美徳だという見方もできる。東日本大震災のときの日本人の助け合いの精神や高潔ともいえる落ち着いた態度は世界中の人を感動させたし、わたしもスウェーデンからその映像を見て日本人であることを誇りに思いながら涙した。

がしかし、戦時中、11歳の女の子が作ったという「欲しがりません、勝つまでは」の標語には感心しているだけではいられない。

出典

スポーツ指導における悪しき体罰の歴史

そんな風に感じてしまったのは、折しも今日、アメリカ人の友人から送られてきたワシントンポストの記事による影響もあると思う。

その内容は、日本ではトップアスリートの育成において何十年にもわたる悪しき体罰の歴史があり、最近の調査で、それがいまだに続いていることを国際人権組織(ヒューマン・ライトウォッチ)が明らかにしたというものだったのだが、この”スポ根”は、「欲しがりません、勝つまでは」の精神と相通じるといえないだろうか。

ワシントンポストの内容は、スウェーデンのメディアでも報じられており、世界で注目されている。

■ワシントンポストの該当記事
Athletes in Japan suffer widespread abuse, Human Rights Watch says” July 20, 2020

■調査結果の内容については、国際人権組織のサイトで日本語の翻訳も読める。
日本:メダル獲得努力の裏の子どもの虐待─2021年の夏季オリ・パラ大会開催国として、大胆な改革を直ちに行うべき

今回の報告書「『数えきれないほど叩かれて』:日本のスポーツにおける子どもの虐待」(全57頁)は、日本のスポーツにおける体罰の歴史をたどるとともに、スポーツにおける子どもの虐待が、日本の学校スポーツ、競技団体傘下のスポーツ、トップレベルのスポーツで広く起きている実態を明らかにした。ヒューマン・ライツ・ウォッチが行ったインタビューと全国的なオンラインアンケートによる調査では、50競技以上にわたるスポーツ経験者から、顔面を殴られたり、蹴られたり、バットや竹刀で殴られたり、水分補給を禁じられたり、首を絞められたり、ホイッスルやラケットでぶたれたり、性虐待や性的嫌がらせを受けたなどの訴えがあった。

https://www.hrw.org/ja/news/2020/07/20/375762より一部抜粋

戦時下のスローガンは過去になっていない

この記事を書きながら資料を集めていて、戦時下のスローガンが1967年生まれのわたしの中にも、はっきりと根付いていることに気づいてはっとした。

 

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