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ユング派分析家たちの誕生日

(6月19日、更新)
2016年5月17日は「ミドル・パッセージ―生きる意味の再発見」の著者、James Hollisの76歳の誕生日でした。彼の著書だけでなく、生き方や態度にも刺激を与えられ続けているわたしは、今年のバースデイメッセージの返信としてもらったメールの最後に書いてあった言葉にも静かな感慨を覚えました。

I have had a good life.

自分が76歳になるのは、まだ30年ぐらい先だと思うと、遠い話のようにも感じられますが、30年前の過去がついこの間のことのように思い出せるのですから、もし健康でいられたら、きっとあっという間にやってくる未来です。
もしその日をはっきりとした頭で迎えることができたら、わたしも、「わたしはいい人生をおくっている。(自分の人生に満足している。」と言いたいものです。

ワシントンD.C在住のHollisは、誕生日の翌日には、生まれ故郷のイリノイ州に行って、先祖のお墓参りをしたり、50年ぶりに母校を訪ねたりしたそうです。ふだんは、週に一度、所長をしているワシントンのユング研究所(Jung Society of Washington)に顔を出す他は、毎日、個人で開業しているオフィスで分析の仕事で、あいかわらずの多忙ぶり。今のことは聞いていませんが、つい数年前には、一日に受けているクライエントの数が10人、とびっくり仰天なことを言っていました。そしてその合間に本を執筆し、アメリカ各地やカナダだけでなく、ロシアやヨーロッパにも飛んで講演、すでに2017年の講演スケジュールもかなり決まっている状態です。

ワーカホリックだと言ってしまえば、そういう言い方もできるかもしれませんが、わたしが刺激を受けるのは、彼が、「ただやりたいから、好きだからやっている」という、その動機と熱さです。とにかく好きなことを見つけて、富や名声とは関係なく、それを楽しんで夢中でやっているうちに、健康なままでこの年齢になり、I have had a good life.とはっきり言えることがいいなぁと思えます。

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(Hollis近影)

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ところで、誕生日を覚えていて、毎年メッセージを送っている分析家がもうひとりだけいるのですが、たまたまその知人の誕生日も、最近ありました。

「55歳になっても、自分が着実に年齢を重ねて来たという実感はない」と言う知人は、それでも確かに何かが変わっていて、そしてそれは“成熟”とか、“成長”という言葉ではくくれない何かだと話してくれました。
よくたとえに出される、木が伸びて育つようなイメージが、人間としての成熟や成長のイメージだとすると、この「何か」は・・・と知人がしばらく考えて浮かんできたイメージは、木や石から何か作品を削り出していくプロセスのイメージ。「そこにある真の姿はまだ見えていないけど、前よりずいぶん小さくなったような気がする。」ということでした。

成長というと、ふつうは大きくなったり広がったりというイメージを思い浮かべますが、小さくなるというのは、無駄なものが省かれていくというイメージです。たとえば、いろいろな物事に対する個人的な執着心や、放っておくと、生涯、つきまとわれる、ありとあらゆるコンプレックスは無駄なものと言えますが、それらを削り落とすのは、容易なことではありませんから、「自分が前より小さくなった気がする」と言える知人の言葉は、ユングのいう個性化の道を着実に進んでいる証のように聞こえます。

* * *

「この間60歳になったと思ったら、びっくりするくらい”速く”61歳! 20年前のことでさえ、昨日のよう。」とは、やはり同じ時期に誕生日を迎えた女性です。

60歳になって見えてきたものは、かつて、ずっと年上の60歳の女性に「この歳になれば、見えてくるものがあるのよ。」と言われて想像していたものとは、ずいぶん違ったものだったそうです。

たとえば、道で声をかけてきた「おじさん」が、そう言われてみれば、たしかにあの頃の面影を残した、自分の子供の同級生の男の子だったりして、「いっぺんに4次元の世界に移り変わったのかと思うくらい、えっと言うほど、周りの風景が変わって見える」瞬間に多々出くわす。一方では、20代半ばになった自分の子供の方は、姿・形は大人になったとはいえ、「相変わらず(笑)」なので、変化した風景が同じ時間軸にあるとは信じがたいようなそのギャップ・・・。それは、「どう表現してしていいか分からないけど、寂寥感とも違う」、ただはっきりと「変わってゆくことが、映画のように見える」感じだということです。

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