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草間彌生のフロイト派精神分析批判、ユングと芸術療法の密接な関係

(2,900文字)

草間彌生氏は、ニューヨークにいた頃フロイト派の精神分析を受けているが、宇多田ヒカルと違って、それは、絵が描けなくなってしまうような最悪の経験だったと言っている。精神分析を受けるより絵を描く方が癒しになるという草間氏の説を受け、ユング派の分析と芸術療法の関係についてもまとめた。

草間彌生、フロイト派の精神分析を徹底批判

以下、2002年のインタビュー記事からの抜粋。

だいたい、精神分析みたいなものはもう古くて、ニューヨークでもおよびじゃないし、日本でもオールドファッションなんですよ。ニューヨークでフロイト派の精神分析医についたために絵を描くのがだめになったの。なぜかって言ったら、フロイト派というのは何もかも全部、分析しちゃうでしょ。分析じゃなくて構築するのが私の仕事なのね。
ニューヨークで5-6年受けたんだけど、今考えたら噴飯ものなのね。
私の悩みって、全部芸術でもって表現したいわけですよ。絵を描くでしょ。そうすると「あなたは何故こう描くんですか」って言って分析する。そのために私は絵を描けなくなってしまう。絵がどんどん遠ざかっていくんですね。

フロイト派の精神分析を受けたことが、自分の生涯にとって一番最悪の事態だったと思ってます。それを止めて、自分自身で絵を描き出したわけ。フロイトは、ウィーンの上流階級の女の人たちのヒステリーを治したって言うけど、彼がちょっかい出さないで、彼女たちに筆をもたせたら、すばらしい絵を描いたと思うわ。フロイト派に大反対です。

草間彌生

「具合が悪いから助けてください」と言うでしょ。そうすると精神安定剤をよこしたりするんです。絵を描きなさいとは言わない。薬をくれたり分析する前に、それを絵に持っていきなさいとは言わない。私がもし医者だったら、「あなた絵を描きなさい」とか「音楽を聴きなさい、作曲をしなさい」とか、そういう風に言いますよ。フロイト派の療法を受けた人たちは、芸術的に劣等生になっていくと思うんです。フロイト派の医者は私が絵を描かなくなった状態を「草間さんは治った」って、こうくるでしょう。(・・・)だから今の時代を生きていくには、フロイト派だとかそういうのは消えてほしい。火をつけて燃やしてしまいたい。

草間彌生

草間氏がフロイト派の精神分析に対して最終的に全否定という結論に至ったのはいいとしても、経済的に余裕がない時期に、描いた絵で支払いながら5、6年も通ったというのですから、少なくとも途中まではそれなりに意味を感じていたんじゃないかとも思えますが、みなさんはどう思われますか。

余談ですが、気力が低下しているために活動していない状態を見て、医療関係者だけでなく周りや家族も「落ち着いている」とか「よくなった」と判断して安心することは意外とありがちなことです。ご本人はそれが誤解だと説明する気力もないので、そのまま流してしまうのです。

心理療法も薬物療法も不要か

フロイト派の精神分析を受けるぐらいなら患者に絵を描かせるべきだという意見は、フロイト派の分析に限らず、ユング派であろうがアドラー派であろうが、総じて言語によるカウンセリング VS 非言語的アプローチという議論にもつながるし、薬物療法に対する批判も一理ある。

このインタビュー時の草間彌生は、腰痛でマッサージ等を受けてもかえって悪くなり、専門家のところで1回施術を受けると数日間はベッドの上で休まないといけないことになってしまう、治療に行かないでいると自然に治るとも言っており、それを聞いたインタビュアーが、「それは精神的なものと同じで」、医者が患者を、自分は専門家だからとコントロールしようと思ったら、実際には(快方に向かおうとする力が)鈍くなって(症状が)悪くなってしまうのだろうと言っていた。

精神のバランスが崩れた時に、薬で抑え込んだりすると、せっかくのその人の感性を鈍らせてしまう危険性があるという箇所には大いに共感したが、それでも薬で抑え込みたい人は大勢いるし、それが悪いとばかりは言えないと思う。

ユングと芸術療法

ユング心理学と芸術療法

ユング派の分析も精神分析なので、「分析」という言葉はついてくるものの、草間彌生が言うように「何もかも全部分析」するイメージとはかけ離れている。それに、芸術活動に治療効果があることを最初に言い出したのもユングであり、ユング心理学と芸術療法は切っても切り離せない。

硬くなってつまらないかもしれないがが、ユング心理学に興味を持たれている方には知っておいていただきたいことなので、(今は知らないが少なくともかつての)臨床心理学のバイブル、「心理臨床大事典」(培風館, 2004)から引用しておきたい。

ユングはフロイトと訣別したあと芸術活動を通して癒された

芸術体験が心の癒しに一役買うことは、意識的にせよ無意識的にせよ、古くから知られていたが、芸術創造・芸術体験の心理学的な意味が学問的に論じられるようになったのは、20世紀近くなってのことである。

芸術活動を治療に導入したのは、エレンベルガー(Elenberger.H)が「無意識の発見」(1970)の中で述べているように、ユングの功績である。ユングはフロイトと別れた1913年以後の数年間、内的不確実感に襲われ、描画を含む造形活動を行い、精神的な癒しを体験した。そして実際に治療場面にも描画を導入することで、描画の治療的意味を悟るにいたったのである。

「心理臨床大事典」(培風館, 2004)より

芸術療法と芸術のちがい

芸術というものが心の癒しとかかわりがあることは確かだが、芸術療法を単に、芸術を心理療法に適用したものだと考えることは大きなまちがいであろう。人間の心の内奥にあるものが、形あるものとして表出されるという点では、確かに芸術も芸術療法も同じであるが、芸術家は作品を創造するプロセスにおいて、激しい生みの苦しみを経験する場合もあり、そのプロセスが必ずしも「心の癒し」に資するとばかりはいいきれないのである。

「心理臨床大事典」(培風館, 2004)

この事典のこの項目はユング派の大家である山中康弘氏が執筆者で、他にも紹介したい箇所がたくさんあります。本を持っている人は、ぜひ読んでみてください。

記事内に書かれていたとおり、草間彌生は、普通の人が自分を鈍くして感じないようにしたり、押し込めて遠ざけようとするネガティブなものを、自分の体と心を傷つけることも覚悟の上で、あえて外に表現している芸術家であり、彼女はそれによって生き延びてこれたかもしれないが、それは誰にでもできることではない。こころの問題を薬で乗り切れる人はそれでもいいし、どんな方法であれ、各々が自分に合った納得のできるやり方を見つけるべきだが、実際には自分にとって何が最善なのかがわからないという人も多い。

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・参考ページ:Book club KAI
・冒頭のアイキャッチ画像:By Garry Knight

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