(2023-10-10 コメント追加)
絵画を通して人生やこころについて理解が深まった経験がある人もない人も見てほしい、19世紀のフランスの画家の「魂の詩」(Poem of the Soul – Louis Janmot)のシリーズ絵 34枚を、オルセー美術館特別展の解説看板拙訳といっしょに紹介。(12,000文字)
連作絵画で表現された魂の旅の物語にすっかり没入して、一心不乱に三晩がかりでまとめました。ユング心理学のエッセンスも散りばめられていたのでメモも入れていますが、解説を読まなくても絵だけでもご覧ください。
このコラムを書いたきっかけ
今まで西洋美術に関心を持ったこともなく、自分には無縁の世界だと思っていたのですが、パリ旅行中に観光で入ったオルセー美術館で思いがけない感動を味わいました。
色彩の美しさに心を奪われただけでなく、描かれている内容から自分の人生のいろいろなことが喚起されました。このシリーズのタイトルが「Poem of the Soul(魂の詩)と知り、ユング心理学ともつながって心が高鳴りました。
わたしこそ芸術鑑賞の素養がまるでなくてお恥ずかしいのですが、教えていただいたこの画家のこのシリーズには食いついてしまいました。ユングが個性化と呼んだ人の魂の成長の物語が一目瞭然の絵で表現されているし、象徴(シンボル)も満載だし、早速、コラムで紹介させていただきます。
ルイ・ジャンモ Anne-François-Louis Janmotと「魂の詩」
いきなり存在感アリアリの自画像やね! アルブレヒト・デューラーかと思った。
だれ、それ?
ルイ・ジャンモ(Louis Janmot, 1814 – 1892)は19世紀フランスのリヨン派の画家、詩人。リヨンで生まれ、リヨンで78歳で没している。
「魂の詩」はジャンモの最も有名な作品で、18点の油彩画による第一部(1835年-1855年)とこの制作中に構想された16点の素描画からなる続編の第二部(1860年-1880年)、合わせて34点の連作。
詩人でもあるジャンモは、絵画に合わせて詩編「魂の詩」の第一部を出版(1858年)後、それを書き換えたり追加した上で、第二部を加えた4000行の長い詩を出版(1881年)。この長い詩は「魂の詩」の絵画を解釈する原典となるが、絵画の方は、ジャンモの孫が1950年に全作品34点をリヨン市に寄贈するまでの約半世紀間完全に忘れ去られていたという。
それでは、シリーズ全作品34点を掲載します。
それぞれの絵の下に解説がありますので、余計な話を聞きたくない方は飛ばしてご覧ください。
この画家の絵は初めて見たけど、国と時代と宗教、ルネッサンスから象徴主義まで全部入っててぶっ飛んでるなー・・・と思ったら、40年かけて描いたって? それに長い詩までついているって? ますますぶっ飛んでる。
ちなみに僕は芸術鑑賞が好きな素人で、コメントには何の根拠も出典もないので、あしからず。
Contents
第一部 : 油彩画 First part : the paintings (1835年-1855年)
1. 聖なる創造 Génération divine / Divine Generation
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
魂の誕生。中央の創造主の両脇にはキリストと聖霊、その間には魂の象徴としての新生児。彼らの足元にいるのは、忘れられようとしている過去(左)、この作品の鑑賞者を正面から見つめる現在(真ん中)、そしてまだ顔の見えない未来(右)。天上界の非現実性は光で覆われ、上部の十字架(黄色)は、生命誕生のシーンを光で照らすと同時に神秘のベールで覆っている。
2. 魂の移行 Le Passage des âmes / The Passage of Souls
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
天使たちを供に連れた守護天使が誕生した魂を地上に運ぶために飛翔する。一方では、死んだ魂が天国に召されている。地上には、鎖で岩につながれたプロメテウスが、ハゲワシに内蔵を貪り食われており、この先の魂の苦しみを暗示している。
3. 天使と母 L’Ange et la mère / The Angel and the Mother
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
最初の地上シーンは平和な空気に満ちている。母親が胸に乳飲み子を抱く姿は、ラファエロの「聖母戴冠(せいぼたいかん)」を彷彿とさせるもので、母親は何も憂うことなく地面に腰を下ろしている。しかしこの先、魂には危険や涙や痛みが待ち受けていることを知っている天使は、天に向かって手を合わせ、どうかこの母と赤子に神の慈悲をと嘆願するのであった。
4. 春 Le Printemps / Spring
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
ピンクのドレスを着た少年は4歳ごろ。彼は、これから始まる旅の同伴者となるソウルメイトの女児に出会っている。タイトルの「春」は幼年時代を表わす。ふたつの魂から「エデンの園」の名残のような牧歌的な風景まで、すべてのものが何かを宿した懐妊の状態にある。
ピンクの少年が物語の主人公で、どんどん成長していきますのでご注目ください。
5. 天の思い出 Souvenir du ciel / Memory of Heaven
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
ふたつの魂が、地上の肉体から解放され、聖母子のヴィジョンに向かって上昇する瞬間。彼らの足は地面から浮遊し、時間は止まっているように見える。しかし、詩は夢の終わりを告げる。「そしてその子供は、夜の深みの中に取り残されるのだ」と。このヴィジョンはまた、母の胸に戻りたいという無意識の願望をも表現しており、たくさんの母親像が繰り返し描かれることでそれが強調されている。
6. 父の家 Le Toit paternel / The Paternal Home
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
ふたりの子供は嵐から逃れて家に戻り、自然が織りなす空の壮観図を窓から見ている。夢中で雷雨を見つめる少年と不安げな少女。ここで雷雨は、家庭という安住の場所の外にある危険や脅威のメタファーである。この絵画は、再度 幼年時代の楽園の喪失のテーマを呼び起こすものであるが、画家は、失った美しい楽園の追憶をキャンバスに再現させてもいるのである。父親的な男の像は、ジャンモ自身の自画像である。
7. 悪しき小径 Le Mauvais Sentier / The Wrong Path
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
この絵画は、当時のカトリック信者たちを狼狽させた教育論争に触発されて描かれた。トガ(古代ローマで着用された一枚布の上着)を着た教授たちがずらっと並んでいる状況は、世俗的な大学教育が、純粋な魂たちに与える脅威を表している。ふたりの子供は明らかに不安そうにしっかりと抱き合いながら、圧迫感のある建物と荒れた自然の間に果てしなく続くこの階段を上っている。手前の年取った管理人は、不気味な装飾の施された自分の住まいに子供たちを引き入れようとしているように見える。
第一部の油彩画18枚は、ルネッサンスのシスティナ礼拝堂の天井壁画からフランス芸術アカデミーへの移調と思ったけど、この第7作からいきなりラファエロ前派のエヴァレット•ミレイ (Sir John Everett Millais) からバーン=ジョーンズ (Edward Coley Burne-Jones) へと転調した感じだね。
さっぱり、話についていけません。
8. 悪夢 Cauchemar / Nightmare
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
前の絵画の別の側面が描かれている。背後の小窓に並ぶ恐ろしい顔は、映画 “The Wrong Path”に出てくる教授たちそのものである。子供たちは、邪悪な老継母のわなにかかってしまう。悪女に抱えられた少女の目は催眠にかけられて上を向いているが、この絵が描かれた当時、メスメル(催眠術の概念をもたらした理論の提唱者)が評判になっていた。今にも転びそうな少年の顔は恐怖に慄いている。
9. 麦の粒 Le Grain de blé / The Grain of Wheat
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
教育をテーマにした三枚の最後になるこの絵画では、ふたたび平和が訪れている。太陽の光に照らされた子供たちは成長し、画家ジャンモの学生時代の哲学の教授であるノワロ神父の授業を受けている。構図の中心を成す「麦の粒」(教授が左手の上に持っている。)は、自然の中に神が存在すること、また信仰と科学の調和を表す。
10. 初聖体拝領 Première Communion / First Communion
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
白いローブに身をまとった主人公のふたりは、リヨン大聖堂で初めての聖体拝領※を受ける。彼らは厳粛な面持ちで列を組んでいる。左には、ステンドグラスの窓からの光に照らされた母子が立っているが、この母親の顔は画家ジャンモの当時すでに亡き母に似ている。ジャンモは「魂の詩」の詩では、全体にわたって、母親の思い出を染みこませている。
※聖体拝領:カトリック教会用語で,ミサ聖餐においてキリストのからだとなったとされるパンとぶどう酒を食すること。
11. 純潔 Virginitas
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
純潔のシンボルであるユリの花を中心としてシンメトリーの構図で描かれたこの絵画は、「魂の詩」のイメージをもっとも直接的に表している。華やかな白いローブを着たふたりが、それぞれ飼い慣らされた動物をなでているのは、彼らが、自分自身の欲求を自分のコントロール化におこうとしていることを意味する。女性と男性の象徴が入れ替わり、鳩が少年の横に、パンサーが少女の横にいるのは、ジャンモが、当時のロマン派に好まれた両性具有のあり方を強調したかったためであろう。
12. 黄金の梯子 L’Échelle d’or / The Golden Ladder
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
眠っているカップルが、ふたつめのヴィジョンを見ている。 (ひとつめは No. 5)
9人の天使が地上と天上を結ぶ階段を上っている。これが意味しているのは、芸術と学問が魂を高みに昇らせるということで、こちらを向いている6人はそれぞれ、羽ペンを持つ詩人、建築家、パレットを手にした画家、竪琴を抱えた音楽家、地球儀を持つ天文学者、フラスコを持っている科学者である。最も高いところに、聖三位一体 ( The Holy Trinity ) のトライアングルで表される神学があり、さらに哲学と尊厳が加わった9つで地上界と天上界が結ばれる。
13. 太陽の光 Rayons de soleil / Rays of Sunlight
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
秋の風景の中、主人公の若者(中央)は輪に招き入れられ、踊り、歌いながら冬になる前の最後の太陽の光を浴びている。この場面は束の間の生の喜びの象徴であり、三人の金髪の女は、美・徳・忠誠を表す三美神 ( Three Graces ) である。濃茶色の髪の眼光の鋭い4番目の若い女は、ポピーの花冠とイヤリングときらびやかな衣を身にまとった誘惑者である。しかし高潔な若者は、自分の恋人から目をそらさない。
14. 山の上で Sur la Montagne / On the Mountain
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
ここで初めて若者は、自分の方が恋人の手を引いて彼女を先導している。若者は恋人に、向こう見ずな青春時代に別れを告げ、精神的な高みへの旅を始めるよう促す。絵画は人物を下から見た構成になっており、印象的な明暗効果により光を背景にした人物像が、記念碑(モニュメント)のように見える。清らかで冷たい空気感は、19世紀の人々に大きな影響を与えた教義である啓明主義思想(イルミニズム)を思い起こさせる。
15. 夕べ Un Soir / An Evening
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
頂上までたどりついた恋人たちはそこに腰を下ろし、周りの景色と地平線に沈みゆく夕日を眺めている。夕刻はすべてが動きをなくし静まりかえる時間だ。ふたりの人物もまた周囲の景色に溶け込んでその一部となっていて、そこには画家ジャンモのロマンチックな汎神論、つまりすべてのものに神が宿っているという思想の影響が伺える。
彼らの瞳がかすかな憂いを含んでいることに気づく人もいるだろう。それは続くふたつの作品に表されている、永遠へと向かう飛翔の前触れである。地上界にいる限り、魂は永遠に満たされることはない。
ミッドライフ・クライシスの話になってきました。
16. 魂の飛翔 Le Vol de l’âme / The Flight of the Soul
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
若者は恋人の乙女に抱かれて導かれ、ふたりは新しい土地を目指して飛び立つ。彼らは川やなだらかな斜面の谷の上を低空飛行しているが、この地上の風景は安穏とした幼年時代の象徴である。
この乙女像は、ユングがアニマと呼んでいる魂の導き手のイメージにぴったりですね。
(オルセー美術館展示室 英語解説をとーなんが要約)
ところでジャンモがこの場面を描くとき、アリ・シェフェールの「パオロとフランチェスカ」(1835)が頭をよぎったのではないだろうか。ジャンモはシェフールと同じモチーフの浮遊する恋人たちを、シェフールに比べてずいぶん抑えた絵画で表現しているが、詩の方ではこの場面は、性的なメタファーも含みながら大胆で官能的に表現しており、絵画とのコントラストが興味深い。
脱線しますが、ついでにシェフール (Ary Scheffer)の「パオロとフランチェスカ」もご紹介します。シェフールは同名・同内容の絵を何度も描いていて、そのうちの一枚 (1855 )はルーヴル美術館にもありますが、もっとも評価が高いのはいちばん最初の1835年に描かれたもので、イギリスのウォレス・コレクションで観ることができます。わたしには全部同じに見えますが、違いが分かる、違いを見比べたいという方はこちらの英語版ウィキペディアをご覧ください。
17. 理想 L’Idéal / The Ideal
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
魂の飛翔が神秘的な神の領域に到達している。恋人たちは、想像を超える高さまで飛翔し、若者は自分のこころの無限の希求をも満たそうと手を心臓の上に載せている。この絵画はひとつ前の作品 (No. 16) と比べてもっと劇的に描かれており、ゴツゴツしていて暗い遠影と、雲の切れ目から差す光の輝きが陰影効果をもたらしている。今や恋人たちの旅は終焉を迎えつつある。乙女は天上界との境目である雲のカーテンの背後へと去り、消えていくところである。
18. 現実 Réalité / Reality
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
ソウルメイトの後を追って天上界に行くことができなかった若者は地上に戻り、厳しい現実に直面する。孤独と苦しみ、そして死に対峙しなくてはならないという現実に。若者は、花輪を飾った十字架を、恋人が葬られたばかりの柔らかい土に植える。初めて経験する孤独感、それは目的の喪失を意味していた。
「理想」から「厳しい現実」になったところで、第一部は終わっている。
この下に続く第二部はこれまであまり注目を浴びていないが、オルセー美術館のキュレーター(学芸員)はこの後半のシリーズを高く評価し、以前から第二部を含む全34枚をまとめて公開する構想を持っていて、それが今年(2023)、実現したとのこと。
第二部は素描画なので多彩色ではなく、テーマには宗教色が強いので、第一部だけで十分という方もいらっしゃるかもしれません。
前半(第一部)は、隣り合わせの絵同士で巧妙に韻を踏んでる感じもあってよかったけど、圧巻は後半(第二部)の16枚。最初エッチングかと思った。こっちはいつまで観ても飽きない。黙示録のレベルだよ。作者の死生観はこっちの方が数倍強い!
全体的に、押し付けがましいキリスト教の匂いが希薄で、楽しめたよ。
ほう。
第二部はたしかに宗教色が強い話になっていましたが、私は、先祖や一般的な”神様”という、もう少し自分が身近に感じられるイメージを思い浮かべながら鑑賞して楽しみました。
ユング心理学では、”神”と自己(セルフ)は時には同じ意味合いを持ち、どちらもちっぽけな自我を越えるもっと大きな力をもった何かと考えられますので、宗教の違いや信仰心の有無などの具体的な個人差にこだわらずにクロムさんのようにイメージを味わうと、自分の魂(こころ)についていろいろな気づきがありそうですね。
第二部 : 素描画 Second part : the drawings (1860年-1880年)
19. 孤独 Solitude / Loneliness
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
ひとりぼっちになった若者は、恋人の死の悲嘆に暮れている。深い森の暗さが彼の気持ちに呼応し、前景の腐食した木の幹が若者の哀しみとソウルメイトの死の残酷さを思い起こさせる。
編集作業中に通りかかった西洋美術には詳しくてうるさい西洋人の家人が、珍しく足を止めてこの絵に関心を寄せ、実物を見てみたいと言っていました。何かピンとくるものがあったようです。
20. 無限 L’Infini / The Infinite
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
若者は眠り、裸の若い女たちが花を摘んでいる夢を見る。若者がその中の一人の美しさに目を奪われていると、その女が近づいてきてバラの花を撒く。若者は目覚め、そのヴィジョンは消える。ここで女の身体は、それまでに描かれていたものに比べてより官能的に描かれている。誘惑に満ちたイメージが、第一部の「黄金の梯子」(No. 12)と対照的である。
21. 情火の夢 Rêve de feu / Dream of Fire
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
若者の責め苦は続く。しゃれこうべを抱えてスフィンクスに座っているのが若者で、死のテーマが再び現れている。猿をなでながら鏡に映った自分に見惚れている学者は、ダーウィンへの皮肉で、ジャンモは彼の種の起源の説を受け入れていなかった。上部で踊っている上半身裸の7人の女は、七つの大罪( seven deadly sins )を意味する。
22. 愛 Amour / Love
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
夢で見たあの若い女が、今や現実の恋人となり、ふたりは第一部では描かれていなかった肉欲に耽っている。女が被っている冠は婚約や結婚を意味するが、彼女の視線は若者に注がれておらず、若者の自分への愛情に無関心のようにも見える。この場面について詩の中で表現されているのは、決して続くことのない幸福を失うことへの恐れである。またジャンモにとって幸福は、肉体的な喜びの中で見出されるものでもなかった。
23. 別れ Adieu / Farewell
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
再び得た束の間の幸福は砕け散りながら、消えゆく幻影のように女は逃げてゆく。女は追いすがる若者を振り返らない。第一部で純潔の象徴として描かれていたユリは萎れている。海は心踊る美しい舞台ではなく、乗り越えられない境界線としての背景である。画家は、肉体的な愛が気まぐれで絶望的なものだと知る。
24. 疑惑 Le Doute / Doubt
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
再びひとりになった若者は、絶望の淵で、幸福を見つけることなど不可能なのではないかと自問する。そのクエストに答えを探すべく旅に出るが、その道は、彼の苦悩に呼応する険しいものであった。雲に覆われた空の下、そびえたつ崖に囲まれた暗い谷を彼は歩き始める。疑いはロマン主義の画家につきもののテーマで、この絵にはジャンモの友人のドラクロワ※の影響も見られる。
※ドラクロワは19世紀フランスのロマン主義を代表する画家、アーティスト。
25. 悪霊 L’Esprit du Mal / The Evil Spirit
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
クエストの途中で若者は、世俗的なうつろいやすい楽しみの中に幸福が見つかるかもしれないという期待と共に悪の道にそそのかされる。中性的な悪魔が若者の腕にしがみつき、耳元でささやいている。彼の周りに描かれているのは、左から嫉妬、怒り、強欲、淫欲、暴食、怠惰を表す大罪の擬人化である。
26. 大饗宴 L’Orgie / The Orgy
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
若者は誘惑に負けて舞踏会に行き、美女と踊っている。ふたりとも手にはグラスを持ち、周りの輩たちも酔っ払っている。このシーンは古代ギリシャローマのヴィーナスとバッカス(酒神)を思い出させるが、ジャンモは当時の退廃的な社会を嘆き、この作品で政治批判を匂わせている。
タイトルの「オージー Orgy」は、古代ギリシャローマで酒神バッカスの名を掲げて行われた秘密の饗宴のようなもので、そこで人々は恍惚としながら飲んで歌って踊り狂っていたようです。現代では乱行パーティーを意味することもありますが、たんに暴飲暴食の快楽に耽るときにも日常でよく使われる言葉です。
暴飲暴食に乱痴気騒ぎ、たまにはいいかも。
27. 神の喪失 Sans Dieu / Without God
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
享楽と放蕩を重ねた結果、若者はさらにひどい絶望に陥る。彼は、深淵の淵で、根こそぎになった枯れ木に座り、右足で福音書を踏みつけて、信仰の拒否を宣言するのだった。まるで大災害でもあったかのような荒涼とした周りの風景は、若者のこころと響き合っている。背後には亡霊のような人物の姿が見える。
これもミッドライフ・クライシスのイメージと重なりますが、この絵画からは、ヨブ記の一場面も連想しました。幻想を失ったヨブがゴミ捨て場のてっぺんに座って、自分は一体どこで間違ってしまったのだろうと忸怩(じくじ)たる思いになる場面です。
28. 亡霊 Le Fantôme / The Ghost
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
自然美の中で、若者の希望に再び火が灯る。このポーズ※には、彼が再び取り戻した気力と無限の願望の意味がこめられいて、胸の上に手をあて、大きく肘を開くことで息をいっぱい吸い込みながら、世界との間で一種の聖体拝領の儀式をしているといえる。海の前に立ち、視線は遠くに泳がせている。無限 (infinite) という言葉を、画家はしばしば詩の中で神聖さと共に使用している。
※オルセー美術館の解説内で、ホードラー (Ferdinand Hodler) が同じポーズを描いているのが紹介されている。
29. 運命への転落 Chute fatale / Fatal Fall
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
ついにファントム( 怪人 )が、死 (Fatality)としてのその正体を表わす。手にしているノートには若者を含む数人の名前が書かれている。ファントムの右には物質世界があり、左で短剣と放火をもくろんでたいまつをふりかざしている人物は反逆のアレゴリー(寓意)である。後ろで燃えている街は、1871年のパリ・コミューンによる騒動を意味するのであろう。こうしたアレゴリーを見据えつつ、若者は後ろ向きに奈落の底に落ちていく。
30. メゼンティウスの責め苦 Le Supplice de Mézence / The Torture of Mezentius
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
覆面した正体不明の何者かが若者を捕まえ、自分について来るように命令する。恐怖に慄きながら若者は抵抗するが無駄であった。波立つ重苦しい海と雲で覆われた空が、この場面の緊張感と響き合う。若者が尋ねても正体は明かされない。はたしてこれは死神なのか。あるいは擬人化された若者自身の苦悩なのか。
タイトル内のメゼンティウス (Mezentius)とは、
小川正廣「メゼンティウスと鬼子(リーベン・クイズ)」(名古屋大学学術機関誌掲載論文)
ローマ詩人ウェルギリウスの古典叙事詩「アエネイス」後半の戦争の物語において、最大の鬼として登場する人物。エトルリア人の王であり、強豪の勇士。神々を蔑む者と言及されるように、とりわけ傲慢で凶暴な性格の人間として描かれている。
この覆面の輩は、ユング心理学の「影」に相当する存在ですね。
31. 悪の世代 Les Générations du Mal / Evil Generations
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
主人公の外見がかなり成熟している。奈落の底に転落した彼の身体には、死んだ女が鎖でくくりつけられている。それはかつての恋人の死体であり、彼の精神的苦悩の発端が彼女の死であったことを思うと、それが目に見える形で表されているといえる。死ぬまで死体といっしょにいなければいけないという拷問のシナリオは、古代ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』※に見られる。
※『アエネーイス』はウェルギリウスの最後にして最大の作品であり、ラテン文学の最高傑作とされる。
32. 母親の取りなし Intercession maternelle / Intercession maternelle
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
主人公の男はキリストに向かって祈りを捧げる。かつてキリストを否定したことを悔い、助けを求めて嘆願する。男は母親と聖マリアのおかげで天上界にやってこれたのであった。周りにいるのは4つの美徳(知恵、勇気、節制、正義)を表す像で、天使は男の死んだ恋人を生き返らせて、男の助けとなるよう地上に連れていこうとしている。絵画の構成は、より古典的な宗教画となっており、聖マリア崇拝やとりなしの意義を重んじる当時の信仰のあり方が反映されている。
33. 解放または未来の予見 La Délivrance, ou vision de l’avenir / Salvation, or Vision of the Future
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
キリスト教の教義の勝利を示すこの絵画では、救済の天使が異教徒を意味する死体を踏みつけている。左の「科学」は、右に位置する「神の法則」と調和を保っている。この作品にこれまで主人公であった男の姿が見られないのは、当時の第三共和制宣言に対しジャンモが君主制を支持する立場にあることの表明であろう。
34. 神のみもとへ Sursum Corda!
(オルセー美術館展示室 英語解説のとーなん拙訳)
この最終場面には、”lift up your hearts”を意味する、ミサの典礼から借用されたラテン語のタイトル がつけられている (Sursum Corda) 。男は救いを見出し、天上界で愛する乙女に迎えられる。両側にいるのは、信仰、希望、慈善というみっつの神学的徳と、知恵、勇気、節制、正義のよっつの枢要徳の象徴で、頭上では、聖人と天使に取り囲まれたキリストが天の集会を主催している。
この絵画でのハッピーエンドはしかし、詩とは一致していない。詩の中でジャンモは、この男の「この時」はまだ来ておらず、男はまた地上に戻り、死ぬまで信仰のために修行を続けなければならないことを示唆している。
ユングの言う魂の成長は個性化というプロセス(過程)であり、ゴールや到達点はありませんので、絵画のハッピーエンドが詩と一致していないのもうなずけます。
私は最後の絵のタイトルにびっくりマークがつくところが気に入っていて、画家が、よっしゃ!みたいな気持ちを込めて書き上げたのかと思っていましたが、そうもいかないんだねってとーなんさんの紹介で知りました。大きな括りで絵が理想で詩が現実なんですかね〜。
感嘆符がついていることには気づきませんでした。クロムさん、目のつけどころがすごいですね。
★フランス語のできる人は、ここでジャンモの長い詩が読める。
https://www.musee-orsay.fr/en/node/275212
わたしは読めませんので、読まれた方はぜひ感想を教えてください。
とーなんさんが、AI翻訳でまず仏語から英語に直してから和訳してや。AIで仏語を日本語訳にしたらめちゃくちゃな訳になって、もっとぶっ飛びそうだからそれはやめてな。
えもさん、とても面白い方です! 絵の技法についての話も勉強になったし、ぶっ飛んでいるっていうセンスも好きです。
おわりに
人生の長い道のりは山あり谷ありと言われるが、絵画では天上界や奈落の底という、よりスケールの大きい世界で上昇したり落ちたりしながら悲喜交々のドラマが展開していた。ここまで見ていただいた方は、34枚の絵画で表現された画家の魂の旅の物語をどんな風に味わわれ、どんな風にご自身の魂の旅と重ねられただろうか。
34枚それぞれに音楽をマリアージュさせると良さそう。 僕の頭には、リストの「愛の夢」、ヴィヴァルディの「調和の霊感」、ドビュッシーの「亜麻色の乙女」、バッハの「トッカータとフーガ」・・・が浮かんできた。
とーなんさんがまとめてくれたおかげで絵に対する理解が深まり、うまく説明できませんが、現状を突き動かす力をもらえました。滞っていた悩みに対して行動を起こすこともできて、スッキリしています。
※2023年9月現在オルセー美術館の特別展で展示されているルイ・ジャンモの作品は、リヨン美術館から期間限定で貸し出されている。
オルセー美術館に展示されている間にぜひもう一度訪れたいです。ひとつひとつの作品がとても丁寧に展示されていました。
すっかり、行ってみたくなりました。
実は、ルーブル美術館が定休日だったので代わりにオルセー美術館に行きました。何気なく入ったらこの特別展の初日だったんですよ。なんだか導かれていたような気がしてきました。
うーん、一通り見ましたが・・・不思議な絵と言ったらいいのかな。
絵は、やっぱり本物をじっくり見るのがいいですね。東京都美術館で見たムンクの「叫び」と、兵庫県立美術館で見たゴッホの「糸杉」に感銘を受けたのを思い出しました。
参考サイト
●オルセー美術館 特別展の英語サイト
●ウィキペディアで第二部の作品も掲載されているのは、フランス語サイトのみ。
当サイト内関連コラム
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