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下の絵は草間彌生が10歳(1939年)のときに自分の母親を描いたもので、トレードマークの水玉模様が描かれている最も初期の作品でもある。草間彌生の生い立ちを知ると、この作品がまた違った風に感見えてくるように思う。
このコラムでは、草間彌生の母娘関係を扱った論文を詳しく紹介している。教えてもらって読んだが、草間彌生だけでなく、佐野洋子の母娘関係や、テレビドラマやコミックの題材となっている母娘関係が具体例として挙げられていて参考になった。
「母娘関係を考える -草間彌生の作品を中心に-」と題された中村 圭美氏のエッセー(立教大学ジェンダーフォーラム年報 第10号 2009年) を切り貼りした内容です。元の論文は、こちらからPDFをダウンロードして全文をお読みください。
Contents
自伝から知る草間彌生の生い立ち
草間はさまざまなところで、画家になることを反対された少女時代について語っている。「当時の社会通念からすれば、「女性には画家としての将来性なぞない」というのが一般的だったし、とりわけ旧弊で封建的な我が家の家風では、「絵描きや役者なんてあんなものは・・・」という観念から抜けきっていなかった(草間、2002)」。その封建的な家において、特に母親からはものすごく反対されたという。「私が絵を描いていると、机をひっくり返したり、絵を破り捨てたりする。だから、私の中では母親に対するものすごい確執があった」(草間、2002)。そしてことあるごとに金持ちのところへ嫁に行けと言われ、写真を沢山見せられたという(草間、2002)。(中略)「子供の頃の母の思い出といえば、朝から晩まで、叱られ、殴りつけられたことばかり(草間、2002)」。
そんな草間の母は、父(草間彌生の父)と年中けんかをしていたという。養子で草間家に入った父は、 芸者遊びばかりして妾を持たない時期がなかったほどであったからだ(草間、2002)。草間は述べている。「男は無条件にフリーセックスの実践者であり、女はその陰でじっと耐えている。そういう姿 を目の当たりにして、子供心にも、「こんな不平等なことがあっていいものだろうか」と、強い憤りと 反発を感じたものだ(草間、2002)」。父が妾の所へ行くとき、母の言いつけで草間は何度も父を尾行したという(草間、2002)。
中村 圭美 (2009)
(中略)
草間は、 かかりつけの精神科医から、「家にいたらあなたはもっとノイローゼになるから、少しでも早くお母さんから離れなさい」と勧められ、日本からの脱出を真剣に考えるようになったという(草間、2002)。彼女の場合は、逃れる先は絵描きになれる場所。それがニューヨークであった。
草間彌生の体験が描かれたみっつの小説
草間彌生の小説では、父親に対する嫌悪の情はあまり描かれていない一方で、母親像はいつも嫌悪の対象として描かれているとして中村は草間彌生のみっつの小説を紹介している。
●「心中櫻ヶ塚」(1989)の主人公マッチャーは、12、3歳の少女。母親が稼いだお金も巻き上げて女郎屋へ行くような父と、夫婦喧嘩が絶えない状況により心が荒れてしまいストレスの捌け口として子供にあたってしまう母。この愛情に恵まれていない家庭で少女はいつも、両親の言い争い、母親の虐待に脅えながら、 心が沈んだ生活を送っていた。大人たちに傷つけられ、一日一日を過ごすだけで精いっぱいの毎日。そ んな環境のもとにいるマッチャーは、心の傷から神経病となってしまう。
●「離人カーテンの囚人」(1989)(「クリストファー男娼窟」所収)の主人公の少女キーコの体には、母親から受けた折檻の痕がある。母親は、 資産家一族の娘。夫も資産家一族の息子であったが放蕩息子であったので、やっかい払いするために婿養子に入れさせられた。夫婦仲は悪く、次から次へと女のところを渡り歩く夫に嫉妬する妻(主人公の 母親)は、そのストレスを子供たちへぶつける。母親のヒステリーや暴力に怯えながら生きていたキー コ。精神が極限状態に置かれた彼女は、離人症を発症してしまう。
みっつのうちこの「離人カーテンの囚人」だけ読みましたが、事実に基づく話だと思うと言葉を失うような内容でした。
●「すみれ強迫」(1989)は、16歳のサチコが主人公。絵を描くことが好きな彼女は、自らが体験したことを絵で表現する。その体験とはしかし、幻覚である。彼女がそのような体験をするようになったこと、つまり精神的な病をもつようになった背景には、家庭環境に起因するものがあった。サチコの祖父は大地主で地元の名士。父親は入婿で、事業家である義父には大学出の参謀格の人物として重宝されているが、 サチコの母親とは仲が悪く他の女性のところに入り浸ったりしている。サチコの母親も精神状態が不安定で、夫以外の男性とも性交渉をもつ。彼女自身の精神の不安定からか、それともサチコの通常とは異なる性質に対していらだちを覚えるのか、サチコへの暴力が日常的にふるわれる。
草間彌生の 母に対する複雑な想い
母と娘の関係は複雑で深い。
中村 圭美 (2009)
現在残っている一番古い草間の作品は10 歳の頃に描いたデッサンであるが、そのモデルは母親である。渡米の際には家族で写った写真をしっかり持って行っている。あれだけ草間が絵描きになるのを 反対していた母親も、草間の渡米に尽力した。
草間の母は歌人であったのだが、死後、草間が遺品から見つけた三首を『心中桜ヶ塚』の末尾に採録 している。「母に対する私の想いは、そして父に対する私の想いは、万巻を費やしても語りきれるものではないが、自分の著作の中に母の歌を添えることによって、私は父と母の思い出の片鱗を定着させたかった(草間、2002)」と述べている。
自伝であれほどいやな思いをさせられたことを書いているにもかかわらず、やはり、というか当然というか、母への想いは特別なものなのだろう。
信田さよ子の母娘分類
信田さよ子著「母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き」は、カウンセラーである著者が、数多くのカウンセリングに基づいて、「母との名状しがたい関係に苦しみながら、それでも罪悪感にとらわれている女性たち」について書かれた本である。 そこには、
中村 圭美 (2009)
・独裁者としての母と従者としての娘、
・殉教者としての母と永遠の罪悪感にさいなまれる娘、
・同士としての母と絆から離脱不能な娘、
・騎手としての母と代理走者としての娘、
・嫉妬する母と芽を摘ま れる娘、
・スポンサーとしての母と自立を奪われる娘、
などさまざまな事例が書かれ、そして(それぞれの事例で)母親から(受ける)苦しみが書かれている。
佐野洋子は母親が嫌いだったと公言
草間彌生(1929-)とほぼ同世代の絵本作家・エッセイストの佐野洋子(1938-)も、「シズ子さん」において、母親への愛憎を書いている。 「シズ子さん」は小説ではない。実話である。シズコさんは、佐野洋子の母親。結婚して北京で暮し、終戦、引揚げの間に三人の子供を亡くす波瀾の人生。しかし佐野は、そんな母親をいっぺんも好きになったことがないと書く。「私は母に子供の時からなでられたり、抱きしめられたりしたことがなかった。四歳位の時、母が私の手をふりはらった時から、私は母の手にさわった事がない」(佐野、2008)。読んでいて伝わってくるのは佐野と母親の相性の悪さ。母親は、ごめんなさいとありがとうを絶対に言わない。娘のことを決して褒めない。北京から引き揚げてから山梨で暮らしていた三年間、母は娘を虐待すらする。
中村 圭美 (2009)
佐野はこの本で述べる。「私は、ずっと私の半生をかけて、母親と娘というものは特別に親密なものに違いないと思っていた。私だけなのだ、母親が嫌いなのは」(佐野、2008)。しかし、「四十を過ぎて、自分の母が嫌いな人が沢山居るのを知って驚いた。あゝ居るのか」(佐野、2008)。
佐野洋子は好きではない母の手をずっと触ることができなかった。
中村 圭美 (2009)
『シズコさん』の後半。佐野の母親は次第に呆けはじめ、佐野はやがて老人介護施設に入所させるこ とを決意する。そしてその後ずっと佐野は、母親を捨てたのだと自身を苛む。介護施設で母の痴呆は進み、しかし、以前は決して口にしなかったありがとうとごめんなさいを、「バケツでぶちまける様に」 言うようになり、そして仏さまのように柔和になる。母を好きになれず、母に触れることができなかった佐野は、あるとき突然、ゆるされたと感じる。きっと佐野自身をゆるしもしたのだろう。角田光代は 佐野の本を評して、「ゆるされること、ゆるすことがどんなにきれいごとでないか、どんなに長い道の りの先にあるのか、思い知らされる」と述べている。「ここには奇跡のような瞬間が描かれている」。 そしてもうその頃には佐野は母親の手だけではなく足までさすれるようになっていた。
テレビドラマ「すいか」の母娘
2003年に放映されたテレビドラマ『すいか』は母(と父)と同居している 34 歳の独身OLが、その主人公である。母親の希望通りに短大を卒業し地元の 信用金庫に14 年勤め続けている主人公・早川基子。いくつになっても親から自立できず、職場でも同 世代の女性は既にほとんど退職してしまってもう居場所がなく、とても「煮詰まって」いる。
中村 圭美 (2009)のエッセーより一部改変して抜粋
(中略)
基子が煮詰まってしまったその一番の原因が、母親との関係である。娘思いの母親。そうであるがゆえに、娘の幸せを願い、ことあるごとに早く結婚しろと口にする。そんな母親を疎ましく思いながらも、 一方ではとても大切にも思っている基子。母親の希望通りに入った信用金庫での仕事が面白いわけでは なく、そこでの居心地が決してよいわけでもない。しかしやりたいことがこれといってあるわけではな い。どのように生きてよいかわからないまま、自分で何かを決めることもなく、母親のいる家と会社と の往復で過ぎていく日常。
(中略)
このような中で煮詰まってしまった基子が、母親とのちょっとしたことがきっかけで家を飛び出し、年齢も境遇も異なる下宿人の集まる「ハピネス三茶」で暮らすようになり、そこで下宿人たちと日々生活を共にし触れ合っていくことで、少しずつ変化していく。基子だけでなく、他の下宿人たちも、お互いの存在を通して、それぞれの新しい生き方を模索し見つけていく。そのようなドラマである。
『すいか』では、主人公・基子が煎餅を食べる場面が二度登場する。この食べ方が特殊で、クズが落ちないようにときどき吸いながら食べるのである。母親がきれい好きで、このように食べるようになってしまったと基子は解説する。母親がハピネス三茶に来たときも、やはり基子と全く同じ食べ方。母親の考え方が娘に身体化されているのである。それは娘が幼いときから少しずつ二人の関係性においてつくられていくもの。母と娘の関係はこのように日々作られ身体に刻み込まれていく。
中村 圭美 (2009)
『すいか』は当時の視聴率はふるわなかったが、主演の小林聡美をはじめ出演者の演技や脚本への評価は高く、さまざまな賞を受賞した。放送から18年を経てBlu-ray Boxが発売されたり、放送から20年を迎えた2023年7月にはファン有志による記念イベントが早稲田大学の小野記念講堂にて開催されるなど、いまなお語り継がれる珠玉のドラマ、とのこと。
★ドラマ「すいか」は、動画配信サービスHuluで配信されている。
(2週間の無料期間に1話から最新話まで無料で見ることも可能。)
近藤ようこのコミックの母娘
近藤ようこのコミック「雪夜の告白」の主人公の母親は、上品で知的な美貌をもつ映画女優。主人公・雪夜はしかし、母親とは似ても似つかない容貌であった。雪夜は、その容貌に常にコンプレックスを持ち、そしてその容貌 ゆえに母親から愛されていないと感じていた。醜さゆえに受ける嫌な出来事の数々。母はよく雪夜を連 れて歩いた。母親の一番身近な引き立て役だと感じていた雪夜には苦痛だったが、母にはそれが理解で きていないようだった。雪夜の唯一の親友・安良が、その美しさから女優としてスカウトされると、以前からその子の自然な振る舞いを気に入っていた雪夜の母は、自らの後継者にと熱心に稽古をつけた。 雪夜は、自分には決して向けてくれない熱意を親友に注ぐ母に対して、憎しみを覚えた。
中村 圭美 (2009)
高校を卒業しその後、家に閉じこもりがちだった雪夜は、母親への憎しみを日々つのらせていった。 そしてある日、彼女は母親を自宅の階段から突き落とす。母は亡くなり、そしてそれをきっかけに雪夜 は顔を整形する。美しく顔を変え、そして名前も変えて、醜かった過去を捨て新しい生き方を、と模索するのであった。
母が好きか嫌いか、そんなに単純なものではない
母親が好きか嫌いかというのは、そんなに単純なものではない。角田光代も次のように述べている。「母もくしは家族について、嫌いだったとか好きだったとか、葛藤があったとかないとか、そんなシンプルなことってないだろうと思うのだ。カリフラワーを好きか嫌いかという話ではないのだ」。
中村 圭美 (2009)
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