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ノーベル賞作家のさすらい、「霊山」に見る己との徹底対峙

おわりに

自分が大病したこともなければ、53歳になるのにいまだに身内をなくしたこともないわたしには、「霊山」に流れていた、死に直面する、一命をとりとめるというテーマがまだ想像の域を出ない。

一方、周りには、癌を克服した人たちの顔が多数思い浮かぶし、大病や事故で死の危険にさらされたり壮絶な今際の際(いまわのきわ)を経験した人たちもいる。

わたしの手元に日本から「霊山」が届いたちょうどそのときにも、失いかけた命をとりとめた人がいた。以下、今津新之助氏の手記から抜粋する。

死にかけて、戻ってきた。
まさに、九死に一生。
ぼくはなんとか一命をとりとめた。

この後、ぼくは状況を一つずつ理解していくことになる。
もう激しくギリギリのレベルだった。
明らかに死に足を突っ込んでいた。
今までのギリギリとはまったく次元が違っていた。

世界は控えめに言って絶望的だったし、
とても苦しかった。

絶望の先に、何があるのだろうか。
この体験によって、世界はぼくに何を伝えようとしているのか。

曜日感覚も時間感覚もない。
しかし、とにかく、ここから始めていくしかない。
この限りなく重たさを感じる身体を、
これから、どのように、生かしていこうか。
与えてもらった残りの生命、どのように生きていこうか。

残されたいのちを、救われたいのちを、
お前さんは、何にどうするんだい?

2021年5月 今津新之助 ”come back! OUR WORLD”より

今津氏が「お前さん」に向かって問いかけをしていることと、「霊山」の語り手が「おまえ」に向かって徹底的な自己省察を迫っていたことが重なりました。

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