三島由紀夫が『音楽』(1965)と『三熊野詣』(1964)を書くことで、精神分析学と民俗学に決別したという聞きかじりウィキペディア情報のまとめ。(3,900文字)
直前のブログで折口信夫について調べていたら、興味をそそられる三島由紀夫の作品と解説に遭遇したので、メモしておきたい。
なお、ここでとりあげられる精神分析は、とくにフロイト派の古典的な精神分析を差している。
精神分析が批判を受けるのはよくあることですが、民俗学とセットで批判の対象になっているのが意外で、興味を持ちました。
まずは、三島由紀夫の引用から。
私がここで民俗学的方法や精神分析学的方法を非難しようとしてゐることを人は直ちに察するであらう。私はかつて民俗学を愛したが、徐々に遠ざかつた。そこにいひしれぬ不気味な不健全なものを嗅ぎ取つたからである。
三島由紀夫『日本文学小史――「古事記」と「万葉集」』
しかしもともと不気味で不健全なものとは、芸術の原質であり又素材である。それは実は作品によつて癒されてゐるのだ。それをわざわざ、民俗学や精神分析学は、病気のところまでわれわれを連れ戻し、ぶり返らせて見せてくれるのである。近代の世の中には、かういふ種明しを喜ぶ観客が多い。(中略)そこまで行けば、人は「すべてがわかつた」気になるのである。
佐藤秀明(1955 – :近畿大学文芸学部教授)は、三島がこのように、民俗学や精神分析学の知の普遍主義によって個別の文化が排除されてしまい、「文化意志」を否定することになるのを憂慮していた文脈を引用しつつ、「『音楽』と『三熊野詣』を書くことで、三島は精神分析学と民俗学に接近しながら、そこから離れようとしている」と述べ、それらの作品を書いたことにより、文化意志を否定する文化論である精神分析学と民俗学に決着をつけ決別した三島は、映画『憂国』製作に向っていったと、その動向への心理を解説している。
(ウィキペディア「三熊野詣」の項より)
ユング派の精神分析も批判される要素はいろいろあって当然ですが、少なくとも、「普遍主義」や「個別の文化の排除」には該当しないかと思います。
一方、フロイト派の精神分析や民俗学の知識は、ユング心理学を理解する上で必須であり、どちらも極めて大切な学問とみなされています。
三島由紀夫の短編「三熊野詣(みくまのもうで)」(1965)
前のブログで紹介したとおり、三島由紀夫は民俗学者の折口信夫をモデルにして短編「三熊野詣」を書いている。
この集は、私の今までの全作品のうちで、もつとも退廃的なものであらう。私は自分の疲労を、無力感と、酸え腐れた心情のデカダンスと、そのすべてをこの四篇(三熊野詣、月澹荘綺譚、孔雀、朝の純愛)にこめた。四篇とも、いづれも過去と現在が先鋭に対立せしめられてをり、過去は輝き、現在は死灰に化してゐる。(中略)
三島由紀夫『三熊野詣』あとがきより
しかし自分の哲学を裏切つて、妙な作品群が生れてしまふのも、作家といふ仕事のふしぎである。自作ながら、私はこれらの作品に、いひしれぬ不吉なものを感じる。ずいぶん自分のことを棚に上げた言ひ方であるが、私にかういふ作品群を書かせたのは、時代精神のどんな微妙な部分であるのか? ミーディアムはしばしば自分に憑いた神の顔を知らないのである。
文芸評論家の松本徹(1933- )は、上記のようなこの時期の三島の心理状態について、三島自ら「ライフワーク」と呼んでいた大作『豊饒の海』に取り掛かる直前の「屈折した気持」と、『鏡子の家』以降、強まっていた「根深い倦怠感」のなかにあったと解説している。また、この頃の三島が少年期を自分の黄金期と捉え、「二十歳で死ねばよかつた」と語っていることを挙げながら、その思いを三島が「酸え腐れた心情」とともに、小説に仕組んでいるとし、この三島の思いはライフワーク『豊饒の海』全4巻の基本的構想の一角を成すことになり、主人公がいずれも満20歳を前に命を終える設定となると解説している。
ずっと気になっていた「豊穣の海」、最近やっと手に入れたところです。
電子書籍版はないし、発売されている文庫本は文字が小さくて老眼に無理だし、唯一の選択肢であるハードカバーの古本4巻セットは海外発送には重すぎるので購入を躊躇していました。
また佐藤秀明は、三島が民俗学者の折口信夫をモデルにした『三熊野詣』を書いた同時期に、精神分析医を描いた『音楽』を書いていたことに触れ、そこには奥野健男(1926 – 1997)が指摘したように、精神分析学への嫌悪と拒否が伴う屈折があったと解説した。
(ウィキペディア「三熊野詣」の項より)
三島由紀夫の長編「音楽」(1964)
「音楽」は、三島由紀夫の長編小説。精神分析医の「私」が、不感症に悩む或る女性患者の治療を通して、彼女の深層心理の謎を探っていく物語。サスペンス風の娯楽的な趣の中、精神分析という学問・世界観に対する疑問を呈しながら理論だけでは割り切れない「人間性の謎」や「人間精神の不条理さ」、「性の諸相」を描き出そうとした作品である。
「音楽」は娯楽的な趣で、三島由紀夫の主要作品ではないため本格的な論考はほとんどなされていないが、1960年代の〈人口一千万の大都会〉東京を舞台とした都市小説として位置づけられ、神経症患者の増加という社会システムの歪みに対して鋭敏に反応していた当時の三島が時代に抱いていたニヒリズムや絶望感の一端が垣間見えるものでもある。
1972年、黒沢のり子主演で映画化された。
(三島存命中の1965年に中村登監督により松竹で映画化されることになっており、主演予定の岩下志麻も共に三島邸で三島と打合せをし、シナリオまで発表されていたが、実現されなかった。)
(ウィキペディア「音楽」の項より)
三島由紀夫の言葉。
今日、われわれの心に楽の音は絶えてゐる。精神的な音楽も肉体的な音楽も。……これは、あたかも現代といふこの不毛な時代を象徴するごとく、どんなに努力し、どんなにあせつても、自分の心と肉体の中に真の音楽をきくことができない一人の女性の半生の物語である。つひに彼女はその音楽を、耳に、体内にたしかにきくことができるだらうか? できるとすればいかにして? それは、それとも幻覚だらうか? 現実のまちがひのない音楽だらうか?
三島由紀夫「音楽」作者のことば より
以下は、「音楽」のアマゾンレビューに掲載されている、感想というより、まるで専門家のような解説です。とても参考になったので、長文ですが引用しておきます。
この作品は心理劇である。
そもそも三島の心理的洞察には鋭いものがあり、だからこそ優れた小説家たりえているのだが、彼の作品に登場する主人公は、一方ならぬ自意識を持っている人物ばかりであり、
その自意識こそが彼の作品の支柱となっている。
いわば自意識こそが、人間の「条件」であり、人間を複雑怪奇な存在にしているものでもあり、だからこそ、三島は自意識の強い主人公を意図的に設定して、人間の真実性に迫ることができると考えた。シンプルなヒューマニズム思想や階級史観などでは、人間の真実を語りえない。
そこで、この『音楽』という作品は、三島文学思想の一つのアンチテーゼを表現した作品であると言ってよい。三島はある意味において、心理主義文学者であるものの、心理学や精神分析というものを嫌っていた。
そのような科学主義的な合理性というものから、人間自体を表現できないと考えていたのである。
人間というのは情念や欲動に支配されており、不合理性に包まれた存在であると見る。
したがって、心理劇作家としての三島由起夫はありえても、心理学者(精神分析家)としての三島由紀夫は存在しえないのである。
そしてこの小説はあえて、精神分析的な考察に則りながら、精神科医と患者を主人公に据えて物語を展開させている。アンチテーゼ文学とは言いながら、三島は精神分析に関する一角ならぬ興味をいだき、かなり勉強もしていたことを伺い知ることができる。
だから彼にとってみれば、一つの挑戦的な実験小説であり、彼の本来的な文学様式ではない。内容についても彼にしては平易な文章で描かれ、読みやすいものであり、単純に読み手側からいえば、平明な小説に仕立て上げられているのである。
しかし、その心理分析手法を用いながらも、描かれる表現の見事さには、非常に感心させられてしまうほどの三島節も健在である。
そして、理路整然とした心理分析というものを行ってみせながら、精神分析的な文学表現というものに対する批判的な三島の声が、常に、同時に聞こえ響いてくるのである。
だからこそ、この作品は三島文学の中では実にユニークで特異な小説であって、その意味からでも、読むべき作品としてお勧めしたいものである。
いわば、三島の数ある作品の中でも、特筆に値するほど本道から外れた作品であって、オーセンティックな三島文学ではないことを前提として読むべきでありながら、ユニークな角度から三島文学をより深く知ることができ、大いに価値的なものである。
三島にしてはエンディングに救いがあるのは珍しいが、これは精神分析が医学治療である限り、結末において主人公を完治させなければならないからである。しかし、彼の本意からすればそのような結末にしたくはない筈だが、そうせざるを得なかったのも、完全主義者三島が結末に至るまで、アンチテーゼの実行義務を果たそうとしたからだろう。
さすがと言うべきである。
(KeepModerato氏によるレビュー)
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※アイキャッチ画像は熊野古道、出典はこちら。