【長文】ユング派分析家の老松克博氏(1956 -)が、スピーチで民俗学者の折口信夫の人物像を詳しく紹介した。2024年3月3日 日本ユング心理学研究所(AJAJ) 研修会 基調講演メモ。折口信夫は、三島由紀夫の短編のモデルにもなった人物である。(5,900文字)
数多くの著作で知られている老松氏だが、講演はなかなか引き受けられない方のようで、顔写真もほとんど公開されていないので、貴重といえるこの講演は、老松氏の大阪大学大学院の退官記念講演ともみなせるようで、巷では河合隼雄氏の京都大学最終講義も引き合いに出されながら語られていた。
京都とZOOMで開催された研修会で、AJAJのアソシエイトメンバーとして聴講させてもらえたので、スウェーデン時間は日曜日の朝4時からでしたが、張り切って早起きしました。
Contents
テーマ 『私とユング心理学 – 折口信夫の俤(おもかげ)を追って』 講師 老松 克博
講演概要
不勉強を棚に上げて言ってはいけないが、正直、私にとってユングは難しい。拙い分析家 資格論文※の執筆時からつい最近まで、私を何度も窮地から救い出してくれたのは折口信夫だった。同時代人のユングと折口は、人間の心をかたどる神々の闘争に注目し、深層に揺曳 (ようえい) する古代人の姿を見通すなど、持論が わりと似ている。参照すれば霧が晴れる。しかも折口は、自身の人生と学説と文学作品を通して、愛着の問題、発達系※のあり方、SOGI※ の苦悩を理解するためのヒントを遺してくれた。その汲めども尽きぬ泉の水をたとえ一口なりとも ともに味わってみたい。
老松克博「講演 概要」より
上に引用したのはプログラムに記載されている内容ですが、講義メモの前に、太字にした部分について自分が調べたことを付記しておきます。
※SOGI(ソジ)とは、性的指向(Sexual Orientation)、性自認(Gender Identity)を組み合わせた用語。
折口信夫(おりくち しのぶ / のぶを)
折口信夫(おりくち しのぶ:1887 – 1953)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。折口の成し遂げた研究は、「折口学」と総称されている。柳田國男(やなぎた くにお:1875 – 1962)の高弟として民俗学の基礎を築いた。
※ユングは柳田國男と同じ1875年の夏に生まれ、柳田國男より1年早く1961年の夏に他界している。
※名前の本来の読み方は「のぶを」であったが、國學院在籍時から「しのぶ」と名乗るようになった。
人格系と発達系
「発達系」ってなんのことだろうと思ったら、「人格系」とともに、老松克博氏のオリジナル用語でした。
空気を読んで気配りを重ねる一方で周囲の評価を気にしすぎる人。
「あなたはどちら? すべての人がどちらかに分けられる、人格系と発達系」より
空気を気にせず正直に意見を言うけれど周囲とぶつかりがちな人。
ユング派精神分析家で精神科医の老松克博さんは、空気を読みすぎる傾向を【人格系】、空気を読まない傾向を【発達系】と呼んで、すべての人はどちらかに分けられると説明します。しかも、どちらのタイプも自分を押し殺しているので、二つのタイプの特徴を理解することが生きづらさを解消する第一歩だと主張します。
あなたは、どちらかといえば【人格系】でしょうか。
それとも【発達系】でしょうか。
現代新書の最新刊(2021)「空気を読む人 読まない人」から、第1章の冒頭を特別にお届けします。
老松克博のユング派分析家資格取得論文
老松克博氏がスイスのユング研究所で分析家資格を取得するときに提出した論文は、「漂泊する自我―日本的意識のフィールドワーク」(新曜社 1997)という題名で出版されている。
折口信夫
約100分間の講演は、主に折口信夫の紹介だった。(ユング心理学そのものはあまり出てこなかった。)事前配布資料の項目に沿ってまとめる。
折口家の家族構成
(老松氏の配布資料を参考に、とーなんがウィキペディア等を抜粋してまとめたもの。)
折口家は、曽祖父彦七の時から商家となり、生薬と雑貨を商った。
祖父は大和の明日香村の古社である飛鳥坐(にます)神社の養子。大阪の折口家に婿養子として入り、本業の町医者の傍ら従来の家業を兼ねた。
信夫の母親は三姉妹の長女で、折口家の婿養子となった父親も町医者を継いだが、同じ婿養子でも実直な祖父と違って、父は気まぐれで放蕩三昧。信夫は四男(第五子)で、数年間、里子に出されているが、幼稚園のときには実家に戻っている。幼い頃は赤い着物を着せられて女の子のような装いをさせられていた。
7歳のとき双子の弟が誕生するが、その双子の母親は、同居していたふたりの叔母のうちのひとり(母の上の妹)で、父は、その叔母と不倫関係にあった。信夫は、母の下の妹である叔母には可愛がられたが、家庭内の複雑な人間関係や愛情にかかわる葛藤は、信夫の心に深い陰影を刻んだと言われている。
たとえばこんな歌を残している。
わが父にわれは厭はえ
我が母は我を愛まず。
兄 姉と 心を別きて
いとけなき 我を 育(おふ)しぬ。
折口の臨床像
折口の弟子による折口の第一印象
(老松氏の配布資料より一部を抜粋)
・最初、教室で見た折口先生の印象は奇妙なものだった。小走りするような内股で教壇 に上ると、1オクターブ高い声で講義が始まる。
・なで肩で丸みのある体つきや特殊な話し方、全体的に女性的な感じがした。
・胆汁質な※言いまわしや慇懃なもの腰に抵抗を感じた。
※胆汁質とは気が短くて怒りっぽく、攻撃的であること。
こだわりや強迫傾向
・家の隅々に、こまかなしきたりやこだわりがあった。
・熱すぎるくらいの湯にからだを沈めながら、一方で蛇口の水を出しっぱなしにして頭からかけながら入浴した。(風呂好きだが、のぼせるのは嫌い。)
・潔癖で、本の上にちょっとでも埃が見えると、手にとるのも気持ち悪そうで、着物の左袖で顔を覆い、右手の袖をはさんで本をつまみあげた。
・ドアノブにも襖や障子にも直接手を触れず、着物の袖で触った。
・抹茶茶碗や茶筅(ちゃせん)もクレゾール液で消毒した。
・温泉宿では、靴下は決して脱がなかった。
・混んだ電車やバスの中で、女の髪の毛が自分の顔や手に触れたときには、「すさまじいばかりの嫌悪の表情」を見せた。
・女性ファンからラブレターが届くと、手紙を親指と人差し指の爪先でつまみあげて、なんともいえない迷惑そうな顔をした。
・同居人に女がいると、女は汚いと言って炊事をさせなかった。
・弟子たちには、異性に対する厳しい禁欲生活を強いた。
・自分は醜いという醜貌恐怖の兆候が見られる詩あり。
嗜癖、薬物
コカインを常用していたために嗅覚がほとんど失われていた。「まれびと」や「日本文学の発生」といった初期の代表的論文はコカインを常用していた時期に執筆したものである。
ウィキペディアより
(老松氏の配布資料より一部抜粋)
・下剤を飲んだあと、下痢止めを飲んでいた。
・弟子が風邪をひくと、定量の三倍の薬を飲まされ、心臓がドキドキして汗まみれになるほどだったので、弟子が多すぎないかと言うと、「人の愛情を信じる素直さがない」と叱った。
・旅行時にはあらゆる薬を持参したが、旅先でも薬屋に寄った。
怒りと衝動性
・焦心のため、1、2ヶ月も待つことに耐えられないので、文壇に作品を投稿したことがない。
・怒りの激しさが度を超えるもので、自分でも自分の怒声に驚くほど。歌も詠んでいる。
「ころび声 まさしきものか。わが声なり。怒らじとする心は おどろく」
その他
顔に痣(あざ)があり、中学時代は「インキ婆々」というあだ名がついていた。
折口信夫の同性愛エピソード
折口信夫が同性愛者だということは、なんとなくは知っていましたが、こんな具体的な話に触れたのは初めてでした。
三島由紀夫にも繋がりました。
藤無染(ふじ・むぜん)
1900年夏(13歳)に大和の飛鳥坐神社を一人で訪れた折に、9歳上の浄土真宗の僧侶で仏教改革運動家である藤無染(ふじ・むぜん)と出会ったのが初恋。
『口ぶえ』という、男子中学生同士の恋を叙情的に描いた若い頃の小説は、この恋についての自伝的小説。
1902年暮れと1903年3月の自殺未遂はこの恋に関連する?
1905年から藤無染と同居。
伊勢清志(生徒)
「新しい恋に逢著した,それは生徒に対してであつた」(1915年、28歳)。
折口信夫は、大阪府の中学校教員を2年半で辞め、卒業生10名を連れて上京し共同生活を始める。そのうちのひとりが伊勢清志だった。その後、清志は鹿児島の高等学校に入学するが、折口は、”女にうつつを抜かしている”清志を諌めに、2回鹿児島に行っている。(上述の怒声の短歌はそのときのもの。)
藤井春洋(弟子、はるみ)
・1928年、弟子の藤井春洋(愛人)と同居生活を始める。
・1941年、太平洋戦争に突入、春洋応召。
・1944年、春洋、硫黄島に着任。春洋を養子として入籍。(春洋はこの事実を知らない。)
・1945年、春洋の居る硫黄島の玉砕発表。
・春洋の死後、1947年から岡野弘彦が書生として同居し、死期を看取った。
・1949年、春洋との父子墓を建立。
折口の、18年間を共にした養子春洋の追悼の念は徹底的であり、敗戦の詔を聞くと四十日間喪に服し、自分の死ぬまで遺影前の供養を欠かさなかったという。
ウィキペディアより
加藤守雄(弟子)
折口の性的指向に対して柳田は批判的で、折口の前で加藤に向かって「加藤君、牝鶏(ひんけい。おそらく鶏姦の意)になっちゃいけませんよ」と忠告したこともある。
ウィキペディア「折口信夫」の項目より
折口自身は「同性愛を変態だと世間では言うけれど、そんなことはない。男女の間の愛情よりも純粋だと思う。変態と考えるのは常識論にすぎない」と述べている。
同性愛者である折口から「森蘭丸は織田信長に愛されたということで、歴史に名が残った。君だって、折口信夫に愛された男として、名前が残ればいいではないか」と迫られ、同衾を要求されたため名古屋の実家に帰郷。
ウィキペディア「加藤守雄」の項目より
加藤守雄は、「わが師 折口信夫」(文藝春秋 1967・朝日文庫 1991)を出版して、赤裸々に事実を伝え、当時の世の中に衝撃を与えている。
箱根の山荘で、夜、フトンの上からのしかかり、唇を合わせてきた師を撥ねつけると、加藤はそのまま山を下りようとする。
哀願しながら、それを引き止めようとする師。
《先生の訴えるような表情を、無感動にながめていた。私を射すくめた、高い精神も鋭い気魄も、もうここにはない。みずぼらしく、女々しい人間がいるばかりだ》もちろん、こうした<痴情>のみ、つづられているわけではない。
折口信夫の暮らしぶり、その気高い精神性、からだの奥底から発する激しい愛憎……などなどが、じつに率直に記されている。スキャンダラスな一面はあるけれど、<人間・折口信夫>が描かれていることも、また、たしかである。
加藤から拒まれた折口はつぎのような歌をうたっている。
然(しか) 我を歎かすなかれ
我が子らよ 我はさびしゑ
年ふれば 齢は老いぬ
老いぬれば かたち醜し
かく故に 我はわびしゑ(「応報」)柳田国男とならぶ<民俗学の雄>――折口信夫の<素顔>の一面を伝える証言として、貴重な書だ。
アマゾンレビューより
老松克博講演資料メモ
【ヒルマン(J. Hillman)による、師弟関係おけるセネックス/プエル元型】
・同性愛の元型的な背景の一つ:セネックス/プエル元型の働き。
・セネックスとプエルは1枚のコインの両面であり、「同じものの合一」union of samesである。
・ホメオパシーの原理(似たものが似たものを癒す。)に関連。
【舅と婿】
・アポロン神話とヘルメス神話に同性愛の基盤が見られる。(R. Lopez-Pedraza)
・太陽神アポロンとテッサリアのアドメトス王
・ヘルメスとアルカディアのドリュオプス王
・オホヤマモリの叛逆譚との類似
・舅と婿、ヤマトヲグナ(ヤマトタケル)とクマソタケルの神話
・ホメオパス元型
講演内容、その他
折口古代学をめぐって
・マレビト:各地の来訪神の一例として、スイスのファスナハトも紹介。
・モドキ:ボケとツッコミにも通じる。
・ミコトモチと咒詞(呪詞、じゅし)
・叛逆と祝福
トランス系の神話
一人称のスサノヲ
折口にとってのスサノヲ、発達系の神としてのスサノヲ、人格系の神としてのスサノヲ、トランス系の神としてのスサノヲ、人間を深く愛する神。
折口信夫の短歌と詩
講演資料として配布された10枚のレジメのうちの2枚は折口の年譜、2枚半は、折口の短歌と詩の抜粋であった。文芸にも造詣の深い老松氏が、学者としての折口だけでなく、歌人としても高く評価しながら、作品をひとつひとつ丁寧に味わっているのが感じられた。
講演メモは以上になります。日本ユング心理学研究所の会長が、老松氏の研究内容がいずれ本になる日が楽しみですと結んでいましたが、同感です。
三島由紀夫もモデルにした折口信夫
折口信夫の関連文献は数百冊にも及ぶそうです。わたしが持っているのは中沢新一の「古代から来た未来人 折口信夫」だけですが、三島由紀夫にも折口をモデルにした短篇小説がありました。老松氏の講演では触れられていませんでしたが、講演で教えてもらったキャラクターそのものです!
三島由紀夫の短編「三熊野詣(みくまのもうで)」の藤宮先生:
ウィキペディアより
60歳。独身。歌人。清明大学の国文科主任教授。文学博士。古今伝授の研究で有名。弟子や崇拝者の学生が沢山いる。風采は上らず、子供のときの怪我からなった眇(すがめ、斜視)の負い目で暗い陰湿な人柄。奇異な高いソプラノの声。ひどい撫で肩。髪は真黒に染めている。アメリカン・フットボールを、「汚れ蹴鞠」と呼んで諷刺的に歌に詠じる。学生への礼儀作法にやかましい。その業績に敬意を払わない他学部の学生には「化け先」と陰で嘲られる。好物は牛肉、イサキ、柿など。消毒用アルコールを染ませた脱脂綿を常に携帯するほどの潔癖症。
折口信夫を読む
有名な「死者の書」は青空文庫で無料で読める。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/4398_14220.html
その他、青空文庫で読める作品リスト。
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person933.html
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老松克博氏といえば、アクティブイマジネーションですね。
※アイキャッチ画像の出典は国立図書館電子展示会より。