(2023/5/3 コメント等 加筆)
「おひとりさま」が人口に膾炙(かいしゃ)するようになり、シングルに対する世の中の見方も肯定的なものへと変わっていくのかと思いきや、逆に「ぼっち」という言葉をよく聞くようになった気がする。ひとりは悲しい、ひとりは可哀想、ひとりは変わり者という固定観念はとくに日本文化の中で根強く残っているように見える。このコラムでは孤独死について取り上げた。
(1,700文字、読むのに9分。)
理想的なご臨終?
人はひとりで生まれ、ひとりで死んでいくと誰もが知っている一方で、家族等々に見守られてこの世を旅立つのが臨終の理想像だという固定観念もあり、そんな死に方をしたいと思っている人も多い。それは確かに収まりがよいイメージだし、わたしも見送る立場ならぜひともそうしたいと思う。臨終の瞬間に立ち会えるかどうかで、残されたあとの心の整理のつけかたにも影響を及ぼしそうだ。
しかし自分が死んでいくときにそれが理想かと聞かれると、そうとも言い切れない。外飼いの猫は、死期が近づくと姿を消して飼い主の知らないところで死ぬと聞くが、わたしもどちらかと言うとひとりでひっそり死にたい気もする。ましてや、仏様のように安らかに死ねるならともかく、いまわの際で醜態をさらけだすかもしれないので、そんな姿は誰にも見られたくない。
「孤独死」と可哀想がられた大原麗子
昭和の大物女優 大原麗子が2009年に62歳で逝去したとき、自宅でひとりで亡くなって3日後に弟に発見されたということで、マスコミは一斉に「孤独死」と騒ぎ立てた。「女優としては成功したが、女としては2度の結婚に失敗し子供にも恵まれず、晩年は悲惨な状態で最後はひとり寂しく死んで行った。」というストーリーだ。(実際には子供は持たなかったのは本人の意志によるもので、仕事を優先させて堕したのに、「恵まれず」と書かれている。)
マスコミのこのトーンに誘導され、大原麗子を知らない平成時代の若い人たちも、動画を観て「これほど美しくて可愛くて甘い声の女性が、晩年はあんな寂しい死に方をするなんて。」と憐れむ。
大原麗子が毎日眺めていた詩
大原麗子のデビュー当時からのマネージャーは、大原の晩年まで親しくしていたそうで、マスコミのこの「孤独死」という表現に疑問を呈し、彼女が大原と同居していた時に、大原が壁に貼って、毎日眺めていたという詩を紹介している。
一つ 孤独な鳥は高く高く飛ぶ
二つ 孤独な鳥は仲間を求めない、同類さえ求めない
三つ 孤独な鳥は嘴を天空に向ける
四つ 孤独な鳥は決まった色をもたない
五つ 孤独な鳥はしずかに歌う
(16世紀のスペインのカトリック司祭の言葉)
(この詩を紹介した元マネージャーは)この詩は大原の生き様そのもので、大原が亡くなる2年ほど前から、大原は「私は死ぬときにはスーッと消えて、そのままいなくなりたい」と言うようになっており、大原は「孤独に追い込まれたのでなく、自ら『孤高』を選んだ」という見解を示している。
ウィキペディアより
美空ひばりについてまとめていたら大原麗子も出てきたので、ついでに調べていて目に留まったこの詩を紹介しようと思って、この記事を書きました。
いただいたコメント
私も死ぬ時は、ひっそりと姿を消してそのままいなくなる事ができるならそれが理想だったので、すごく共感しました。
死体を人様に晒すのも嫌だし、火葬はともかく、葬式などの儀式はしてほしくないです。物理的に「蒸発」できればいいのにと思います。
孤独死は、自分はいいけど、もし誰にも気づかれなかったら死体は誰が処理してくれるのだろう?と考えてしまいます。やっぱり、自分がこの世からいなくなる時には看取ってくれる人がいてほしいです。
大原麗子全盛期の伝説のCM「少し愛して、なが~く愛して」
昭和時代の男性たちを魅了した、大原麗子の「少し愛して、なが~く愛して」(1983年)を思い出したい方は動画を見つけましたのでご覧ください。
大原麗子の存在感は、自分を含め、昭和魂を今だに持つ男達の心を掴んでやまないと思います。
大原麗子さんの全盛期、すごく可憐ですね。
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