日本では、その年の最初に見る「初夢(はつゆめ)」を重んじる文化がありますが、ユング派の精神分析では、分析を始めたころに見た夢を、とくに「イニシャル・ドリーム(初回夢)」と呼んで、注目します。
はじめての分析を受ける直前に見ることもあれば、直後に見ることも、また最初の数回のセッションを受けて見ることもあるこの「初回夢」ですが、なぜこれに注目するかというと、初回夢が、その人の課題や、これから分析が進んでいく方向を、うまく表現してくれていることが多いからです。
たとえば、わたしの見たイニシャル・ドリームは次のようなものでした。
わたしは友人宅を出て、家に戻ろうとバス停に行くが、最終バスがすでに出たあとだった。気付くと、真夜中で、あたりは真っ暗。周りには人影もない。どうやら朝まで待つしかなさそうだ。家に帰ることも、友人宅に引き返すこともできず、これからどうやって何時間も過ごしたらいいのかと思いながら、不安な気持ちで途方に暮れていた。
夢分析が何かも知らず、興味もなかったわたしは、夢を見たかと聞かれたので、この夢を、なんの感動もないまま話しました。
この夢を聞いたアメリカ人の分析家は、「なるほど、あなたは、ひとりで暗闇の中で待つしかないのね。」と、妙に意味ありげに言いました。
「暗闇の中でひとりで待つ」というのは、「ひとりで無意識という暗闇に向き合う」ということだったのです。
そのとき34歳だったわたしは、「もうすぐ35歳になることだし、そろそろ結婚もして、落ち着かなくては。」と思っていました。具体的に「誰と」というのもなかったくせに、「結婚ぐらい、わたしさえその気になればいつでもできる!」と傲慢に考えていました。ヨーロッパ旅行の最後に立ち寄ったスイスで、思いがけず精神分析をかじってみることになったものの、ほんの寄り道気分だったので、そのままユング研究所に長居する気もありませんでした。
それにわたしは、すぐに結果を求めるタイプで、待つことは大の苦手だったのです。
しかし、わたしの無意識は、「暗闇の中でひとりで待つしかない」と宣言したのでした。
そしてわたしは、そのまま「ひとりで暗闇の中で」、数年間をスイスで過ごしたのでした。その間、「待ちたくないのに、待つしかない」ということは、何度も、テーマになりました。
もうひとつの例は、最近、分析を始めた50代の女性のイニシャル・ドリームです。
三本足のヤギが、とくに不自由そうでもなく、ふつうに歩いていた。わたしはそのヤギといっしょに丘を上って行った。なだらかな丘だったが、着いたところで下を見下ろすと、とても高い崖になっていて、下には、海があった。と、ヤギはジャンプしたかと思うと、その海に飛び込んだ。わたしもヤギの後に続いて、海に飛びこむようだった。こわかったけど、わたしにはそれができることがわかっていた。
この女性も、この夢を話したときには、「たんなるヘンな夢」としか思わなかったのですが、セッションでいろいろなことを話しているうちに、自ら「あっ、この三本足のヤギは、わたしだ!」と言ったのです。
自分は、一見、なんの不自由もなく、ふつうにやっているけれど、実際には「何か」がはっきり欠けている。まるで、四本足のうちの三本だけ使って歩いているように、自分の力を出し切って生きていない、と。彼女にとって、仕事も趣味も、自分の能力をすべて出し切らなくてもできることで、そこに物足りなさを感じているということでした。
また、この女性は、「ヤギがこのあとどうなったかわからない。なぜなら、それは終わりのイメージだったから。」とも言いました。
「終わり」は「始まり」に他なりません。
とてもパワフルで美しい夢のイメージだと思います。
自分の無意識に向き合うことが、海に飛び込むイメージだというのは、こちらのページで書いたとおりです。