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「自己実現」、そんなに目指すべきなのか(伊藤 貫)

(2,000文字) 国際情勢解説を聴いていたら、思いがけず「自己実現」への否定的見解が語られ、なるほどと思ったので紹介したい。

自己実現がそんなにいいものなのか

伊藤貫氏(1953年生まれ、ワシントン在住の国際政治アナリスト。)によると、アメリカでは1970年代ぐらいから、自己実現(セルフ・リアライゼーション / self-realization)とか自己充足(セルフ・フルフィルメント / self-fulfillment)が、とくに教育学者や心理学者によって強調されるようになり、それらによって自分自身に対する高い自己評価 (セルフ・エスティーム self-esteem)を持ち、はっきり自己主張(セルフ・アサーティブ self-assertive) できるようになることがいいことだと言われるようになったという。

しかし、そんなにセルフ、セルフと自分自身を追求して高い自己評価を持てるようになることが、はたしてそんなにいいことなのか、それは本当の意味で道徳的な価値判断の基準にならないばかりか、むしろ、価値判断における方向性を見失ってしまうのではないかというのが氏の見解である。

※とーなん注:「自己実現」という言葉は、日本では1980年代後半から一般的に使用され始め、1990年代を通じて急速に普及し、2000年代には日常的に使われる言葉として定着した。

自己実現とメリトクラシー(能力主義)

伊藤氏は、メリトクラシー(能力主義、業績主義)にも触れながら、能力主義が正しくて、優秀な人がどんどん金儲けして自己実現、自己充足をやることがいいことだというのは、古くからの宗教や哲学から見て「おかしな考え方」だと指摘していた。
人類が過去2500年間、正しい価値判断の基準としてそれに自分を合わせるように努力してきたのは、儒教とか仏教とかキリスト教とかプラトン哲学、アリストテレス哲学であり、能力主義によって物質主義的な自己実現をを追求するのが良い生き方だというのは、実に浅い考え方 (shallow minded) であるというのだ。

【付録】1958年に2034年を見据えて書かれた「メリトクラシーの夜明け」

メリトクラシー (meritocracy) とは、メリット(merit、「業績、功績」)とクラシー(cracy、ギリシャ語で「支配、統治」を意味するクラトスより)を組み合わせた造語。イギリスの社会学者マイケル・ヤングによる1958年の著書『Rise of the Meritocracy』が初出。個人の持っている能力によってその地位が決まり、能力の高い者が統治する社会を指す。

もっとも、ヤングによる著書は、知能指数と努力だけですべてが決まる「メリトクラシー」を採用したディストピア的近未来を舞台とした風刺的な内容であり、最後には、傲慢で大衆の感情から遊離したエリートたちを大衆が覆すという結末になっていた。つまり、ここでの「メリトクラシー」は、軽蔑の意を含んだ語であったのである。しかし、広く使われるようになるにつれて、「生まれよりも能力を重視して統治者を選ぶシステム」という前向きな意味合いで使われるようになった。

ウィキペディアより

いいなと思った古い原書の表紙絵です。最近は、電子書籍が多くなったせいか、味気ない表紙が多い気がしませんか。復刻版の表紙絵もつまらないです。

【復刻版】「メリトクラシー」日本語翻訳版(2021年、窪田訳)

(以下、アマゾンレビューより引用。)
Aさん:昔の一流の知識人が必ず読んでいた本書は、絶版で購入できず古本でも高くてなかなか購入できなかったが、復刊されたので嬉しく購入した。本当に人類にとって良い社会とは何なのか、現代における能力主義たは何なのか。混迷する現代において深い示唆を与えてくれる名著である。

Bさん:人は能力によって評価されるべきである。この一見すると真理と想える考え方が持つ大きな危険性に気づかされる一冊である。

Cさん:結論についてはサンデルが件の本で何度も引用して平明に解説を行っているで。メリトクラシーはヤングの造語であり、本書は画期的な警世の書だが、サンデルの本で事足りるのではないか。

巷の自己実現の自己(self)とユングの自己(Self)

別ページで、「自己実現」の概念を最初に提唱したのはユングだと言ったが、正確に言うと、日常で「自己実現」と言われるときの「自己 (self)」は、精神分析では「自我 (ego)」に相当する。ユングの「セルフ」は頭文字を大文字で表すSelfとして一般単語のselfと区別され、無意識を含んだ全体としての自分の中心を意味している。

いつだったかどこかで書いたと思うが、20年前にスイスのユング研究所で口頭試問を受けたとき、試験官のマリオ・ヤコビ(Mario Jacobi 故人)に、「最近、巷で流行っている自己実現と、ユングの個性化の違いは?」と聞かれたのをなつかしく思い出した。

ちなみにわたしは巷の自己実現も能力主義もよいことに違いないとは思っている。ただ、自己実現を声高に目指すというのは違う気がするし、とくに自分、自分と言い出すと、方向も違ってくる寛治がしていたので、伊藤氏の意見を聞いてコレだ!と思った。

アイキャッチ画像Image by Lliein from Pixabay

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