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哲学者さくらももこのコジコジと、自分の若い日のおどるぽんぽこりんメモリー

(2024/1/27、Kさん解説追加)

仕事中に教えてもらった さくらももこ の漫画「Coji Coji」をキンドルで読んだ。2018年に乳がんで53歳で亡くなったさくら氏とは同世代だが作品に触れたのは初めてで、備忘録を兼ねて紹介しようと軽い気持ちで軽くまとめたあと、深い解説をしてもらって大いに学びになった。(3,600文字)

コジコジに学ぶ

【コジコジと先生の会話】

●先生:コジコジ、キミは毎回0点だったのに、今回は自分の名前さえ間違えるなんてひどすぎるぞっ。自分の名前も書けないようでは、これから先、生きてゆけないぞ。

●コジコジ:大丈夫だよ。名前が書けなくても生きてられるよ。

●先生:(ムカーッとしながら)口ごたえするなっ。だいたいキミは、向上心がなさすぎる。毎日一体何をしているんだ。

●コジコジ:遊んでおかし食べて、山に行って遊んだり海に行って遊んだり、あと寝たりしてるよ。

先生:なにっ!? 遊んで食べて寝てるだけじゃないかっ。

●コジコジ:えっ、悪いの? 遊んで食べて寝てちゃダメ? 盗みや殺しや詐欺なんかしてないよ。遊んで食べて寝てるだけだよ。なんで悪いの?

●先生:勉強はどうした。立派なメルヘン者になるために勉強をしろ。キミはえらくなりたくないのかっ。立派なメルヘン者になりたくないのかっ。ミッキーマウスみたいに世界中の人に愛されたくないのかっ。

●コジコジ:先生、今、おなかすいたでしょ。大きい声出したから。

●先生:(カーッとなりながらそれを必死でおさえて)コジコジ、キミ・・・将来一体何になりたいんだ。それだけでも先生に教えてくれ、なっ。

●コジコジ:コジコジだよ。コジコジは生まれた時からずーっと。将来もコジコジはコジコジだよ。

●先生:(ガーンとなりながら心の中で、『真理だ、負けたぞ。先生の負けだ。』とつぶやく。)

【このやりとりを聞いていた なかまたちの会話】

●雪だるま:すごい、なんか感動しちゃったね。ほんとだよね、ぼくだって雪だるまさ、これからもずっと・・・。

●半魚ドリの次郎:オレも次郎さ、半魚ドリの次郎。

ずっとずっと何者でもない・・・自分なのさ・・・コジコジ、キミはすごいよ。

【その夜、次郎の家では・・・】

「Coji Coji」第1巻より

次郎の母ちゃんになってしまいそう・・・。

(※ 以下のKさん部分の内容は発話そのままではなく、とーなんがまとめたもの。)

この部分の抜粋だけでは、このコラムの読者に「コジコジ」が教訓めいた寓話のような印象を与え、まるで「コジコジ=善」とする価値観があるように受け取られてしまうのではないでしょうか。

おっしゃる通り、「コジコジ=善」だと感じてしまいました。ぜひ解説をお願いします。

とーなんさんが抜粋している第1話は、たしかに善悪の対比のはっきりした寓話にも読めますが、もっと淡々とした世界観がベースにあるのではないかと思うのです。”価値観の権力闘争”そのものがテーマなのではなくて、そういった権力闘争も、日常に当たり前に起きる当たり前の出来事として描かれており、なおかつ価値観の押し売りではなくギャグとして昇華されているところが、さくらももこ の力量の為せる技というか、魅力だと思っています。血肉化されたスピリチュアルな感覚をこのような形で表現できるのが素晴らしいと思います。

さくらももこ の著書に、「まるむし帳」というお勧めの詩集がありますが、その中に「善くも悪くもない」という詩があります。コジコジに出てくるキャラクターは、まさに「善くも悪くもな」く淡々と描かれていて、世界がただあるべき様にあるべくして、── 別の著作のタイトルを借りれば、 「そういうふうにできている」といった印象です。

次郎くんの母親も、今でいう毒親的に否定的に描かれているようにも見えますが、コジコジの世界観のバランスをとっている狂言回しとしての次郎くんは、あの母なしにはありえないわけで、全体として「善くも悪くもな」く世界が成り立っているのだとすれば、ユングの「個性化」というのも、仏教で言うところの悟りと同じで、目指したり、達成したり、いわゆる正解と言った類のように見えて、実際はそうではないのかもしれませんね。

Kさん談

哲学的・心理学的な深い解説をありがとうございました。

アニメ動画も無料で公開されているが漫画の方がお勧めだと聞いて、キンドルで読んだあとアニメも観てみたが、コジコジの声がイメージと合わなかった。声優が悪いのではなく、メルヘンの国に住んでいるコジコジは、せっかく性別も年齢も人間かどうかも不明な存在なので、声も自分の想像にとどめておきたい気がした。

アニメで流れる、さくらももこ作詞の主題歌「コジコジ銀座」は良かったです。

キミのそばにも それはあるはずだよ
楽しみながら さがしてみるといい
ふしぎなことは 偶然じゃないんだ

「コジコジ銀座」作詞さくらももこ

さくらももこ(1965 – 2018)

静岡市で八百屋の次女として生まれたさくらももこ の幼少期のキャラクターは、ちびまる子ちゃんとは違って、内気で目立たない子供だったという。
怠け者、真面目に勉強しない、姉との喧嘩が絶えない・・・で、母親にしょっちゅう怒られていたところは重なるらしいが。

高校3年生のときに最初の漫画投稿がボツになり、漫才師か落語家を目指そうと考えていたというぐらいなので、ユーモアのセンスが素晴らしいのもうなずける。文才は少女時代からあったとのこと。

短大を卒業後、上京して出版社に入社するのだが、勤務中に居眠りして上司から「会社を取るか、漫画を取るかどちらか選べ」と言われ、漫画を取ると答えて入社わずか2か月であっさり退職。

短かすぎて大きな声では言えなかったわたしのOL生活より、だいぶ短いからちょっと嬉しいです。

人気漫画家になったあとは、もっぱら「まる子がそのまま大人になったような人物」と評されていて、「楽しいことにはノリノリだが、義務っぽい雰囲気が出るとすぐ消極的になる」ので、周囲は、彼女を乗り気にさせるための作戦を考えるのが大変だったそうだ。
友人の吉本ばななによると、普段は まる子そのものな人物である一方、時折全ての感情を超越して俯瞰しているような、コジコジにも通じるような状態を見せることがあった。

以上、「ちびまる子ちゃん」も名前しか知らず、さくらももこの本を読んだこともないままウィキペディアを読んでまとめた。
わたし同様、「Coji Coji」を知らなかった人も多いと思うが、調べていて「ちびしかくちゃん」もいたのを知った。

Kさんオススメのさくらももこ「まるむし帳」

「善くも悪くもない」

わたしは
だれのものでもない
あなたも
みんなも
だれのものでもない
善くも悪くもない
生まれたときに
世界の幕がひらき
全ての広がりが舞台となって
泣いたり笑ったり
しているだけだ

(さくらももこ「まるむし帳」より)

■10代の頃 この本と出会って、“この世界をまったく違う次元で生きている人間がいる”と衝撃を受けたのを今でも思い出す。私に「モノの見方」の新しい価値観を与えてくれた本…そして 人…さくらももこ。そしてなにより 私に文字を書く楽しさをおしえてくれた。さくらももこ、ありがとう。
(by 英国の竹の子)

■ひねくれてる感じのエッセイと比べ、丸く暖かい詩に、癒されます。
(by さくらもち)

■この本読むと自分の気持ちがすっと軽くなって明日もがんばろうって思えるいい本です。
(by みみたん)

「まるむし帳」アマゾンレビューより

昔、タイトルに惹かれて「ふつうがえらい」という佐野洋子のエッセイを読んだのを思い出しました。今は、ふつうもえらいし、えらい人もえらいと思えます。

「おどるポンポコリン♪」の思い出

日本在住のクライエントさんたちのおかげで、現在のわたしはストックホルムの他の日本人に比べると、日本の情報を知っている方だが、かつて日本に住んでいるときには、誰でも知っていることを知らないことも多かった。

そのひとつが「ちびまる子ちゃん」。大学卒業後、地元に戻って就職して新入社員歓迎会に行ったときのこと、二次会のスナックで、先輩女子ふたりがマイクを握って立ち上がり、いきなり「ぴーひゃらぴーひゃら」と歌い踊り出したときの衝撃は忘れられない。周りのおじさんたちが、驚く風もなく当然のように手拍子を打っているのを見てますます狼狽し、どんな顔をしていいのかわからず固まったのだった。

1990年の春、22歳のわたしはちびまる子も当時大ヒットしていた「おどるポンポコリン」も知らなかった。バブル全盛期のミーハー女子大生で、親元を離れて勉強もせずボーッと遊びまわっていた割には世間の流行について行っていなかったのはどういうわけか。常識にも欠け、どこかが大きくズレていたのに、その自覚もなかった若かりし頃、今振り返ると、たくさんの赤っ恥をかいた。

次々と頭に浮かんでくる、恥ずかしい過去のエピソードはまたの機会に聞いてください。

「ちこちゃんに叱られる」のちこちゃんを教えてもらったときには、これはちびまる子ちゃんじゃないのかと思いました。

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