(2024/2/12 加筆)「チ。」を歌った「カシオピア係留所」のミュージックビデオ追加、4800文字。
漫画「チ。」の主題や、作者のインタビュー記事などから参考になった箇所を寄せ集めた備忘録。
最近 仕事中に教えてもらった漫画第2弾。前ブログで紹介した、ソフトで軽いゆるキャラ「コジコジ」から一転、「チ。」は、劇画調でハードなオトコ漫画にして内容もすこぶる重い。舞台は15世紀のヨーロッパ、異端とされた地動説を命がけで研究するオトコたちの生き様と信念を描いたこのフィクション漫画の作者 魚豊(うおと)は若干24歳の青年。「地動説」をめぐる歴史上の大きなドラマを題材にした物語が、漫画だけでなく、映画や小説を含め、古今東西これまで誰にも作品化されていないのに驚きながら、それなら自分がこのネタをもらって描こうと思ったそうだ。
命を捨てても曲げられない信念があるか?
世界を敵に回しても貫きたい美学はあるか?
情熱が理屈を超えてしまった人たちの物語
このキャッチフレーズ、熱血すぎて引いてしまう人もいると思うが、漫画を読み始めると納得する。
信念を持って、自分の利益にならないことに全力投球しているクライエントさんや、理屈を超える情熱を向けられるような対象を探しているクライエントさんたちを思い浮かべながらまとめました。
僕は「チ。」というマンガを読み終えて、言葉では説明できない衝動みたいなものを感じたんですよ。主人公たちはみんな止むに止まれぬ衝動に突き動かされて、地動説の正しさを証明しようとする。そして、死の危険をおかしても星の運行を観測する。その理屈を超えたパッションが、自分にとって大事な何かを思い出させてくれました。
(声優 津田健次郎)
このコラムも長文になりましたが、ここから下は、つながりのない寄せ集めなので、目次に興味ある項目があればそこだけお読みください。
Contents
「それでも地球は動く」
イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイは、天動説が信じられていた時代に「地球が動く」と主張して裁判で有罪判決を受けたそのとき、「それでも地球は動く」とつぶやいたと言われている。いつの時代にも、たとえ自分が不利益を被ることになっても、大きな犠牲を払うことになっても、自分の信念を曲げず、何かをやり抜こうとする人たちがいる。
「チ。」ってなに?
「地球の運動について」という副題のついたこの漫画のタイトルの「チ」には、地球の「地」だけでなく、知識の「知」と血液の「血」の意味が含まれている。
「チ。」に”ドハマリ”したという声優 津田健次郎は、「こんなにも知的で熱くなれるマンガはほかにない!」と言っているが、「知」はこの漫画の主題ともいえそうだ。「血」についてはあとで触れる。
「チ」のあとにつけられた「。」はというと、「文章の終わりと停止を意味する句点が作者の好み」で、前作品のタイトルにもつけられているのだが、今回はそれだけでなく、丸い地球の形をも表していて、下のように、漫画の表紙には◯の動線が加えられている。
凝ってますね。自分より30年も後に生まれてきた人の発想は、斬新です!
悪という自覚のない悪
地動説を追求する主人公たちを追い詰める人物は、元傭兵の異端審問官ノヴァク。作者はこの悪役のイメージを、ナチスドイツでユダヤ人たちをアウシュビッツの強制収容所に移送した担当者であるアドルフ・アイヒマンから採っている。
ハンナ・アーレントという、戦時中アメリカへ亡命したユダヤ人哲学者がいまして。全体主義の研究で有名なんですが、彼女が戦後、イスラエルで開かれたアイヒマンの裁判を傍聴し、“悪の凡庸さ”という有名な言葉を残しているんですね。アーレントいわく、アイヒマンは決して狂信的な反ユダヤ主義者ではなかった。むしろ有能な中間管理職、もっと言えば組織の歯車として淡々と業務をこなしていたと。「自分にこの流れを止める力はない」という思考停止と、「結局は仕事なんだから、効率的にこなすしかない」という極端な割り切り方が、僕にはすごくグロテスクに思えまして。
同じ状況に置かれたら、僕だってたやすくそうなるかもしれない。自分の身の安全を守るために、おそらく声を上げられないだろうと。そういう人間の弱さに根ざした悪というのが、ストーリー的にはインパクトがあると思って、地動説を追求する主人公たちを追い詰める人物として、最初に考えたんです。
作者 魚豊(うおと)インタビューより
これを受けて、対談相手の津田が「ノヴァクは悪意の人ではなく、彼にとっては、宗教に基づいた社会秩序を維持することだけが大切。だからこそ読んでいて、背筋がゾッとするリアルな怖さがある。」と言っているのにも共感したが、戦争中に限らず、今の世の中にもこの「悪という自覚のない悪」は至る所にあると思う。
「悪という自覚のない悪」、自分の中にもありそうでどきりとする言葉です。
知りたいという好奇心のもつ暴力性
主人公の男の子は12歳で大学に合格した秀才。彼の信条は「合理的に生きること」。世界は「チョレーーー(ちょろい)」もので、「バカばっかりのこの世」で、上手に生きていくことはいとも簡単だった。そんな彼が、「知りたい」という好奇心から、理屈より自分の直感に従わざるを得なくなり、極めて危険な道を進むことになる。(ここまでは無料で読める。)
感情は非合理的なもので心は理屈では満たせないことが、漫画でドラマチックに表現されています。
話がそれますが、とくに中年期には、世間的には成功してすべてうまく行っているはずの人たちが、なぜか喜びを感じられなくなって停滞してしまうことがあります。効率や合理性を重んじることは理屈では正しくても、非合理な感情や魂を知らず知らずのうちに抑圧することは危険です。
話を戻す。
地動説を追い求める過程で、主人公たちはどんどんヤバイ状況に陥っていくじゃないですか。真理に近づくほどリスクが増すことは分かっているのに、でも止められない。そうやってメーターが振り切れていくドライブ感が、僕はたまらなく好きです。
地動説の研究に関わっても一文の得にもならないってわかっている。でも知ってしまった以上、先に進むしかない。こういう純粋な衝動が世界を変えてきたんだなと、美しさを感じました。
(声優 津田健次郎)
作者は「何かを知りたい」という好奇心を、肯定的なものとしてだけ捉えているのではなく、好奇心が暴力性や加害性にもつながることにも関心を向けている。核開発に関わった科学者たちや、ダイナマイトを発明したノーベルの例でわかるように、「知」は「血」とも密接につながるという。
迷いを引き受けることの意味
(まだ無料部分しか読んでいないのでインタビュー記事によると、)漫画の終盤で問いかけられるのは、人は神によって“進むべき道”を与えられなければ、宗教による秩序が失われた世界で待っているのは技術の暴走、ひいては大虐殺なのではないかというものであった。この問いに対する答えは、神に導かれずとも「苦しみを味わった知性は、いずれ十分迷うことができる知性になる」で、作者が「迷い」に肯定的な意味を持たせているのが興味深かった。
このあたりについて作者の言葉を引用しておく。
知性と暴力って対照的に見えがちだけど、そうじゃない。実際は表裏一体の関係だったりするんですね。じゃあ何がこの2つを隔てるかと言うと、僕は迷いだと思う。どんなに高度な知識体系でも、自己を疑う心がなければたやすく暴力に転じうるでしょうし。逆にひどく暴力的なものにも、そこになんらかの迷いや懐疑が含まれているなら、救いの可能性はある。「チ。」というのは、最終的にはそういう地平に向かっていく話だった気がします。
作者 魚豊(うおと)インタビューより
覚えておこうとする人と忘れようとする人
ポッドキャストの「ラジオの時間」を聞いて印象に残ったのは、「チ。」の作者 魚豊(うおと)が、人間を善と悪に分けることはしないと言う箇所だった。そんな彼の中で唯一、善悪があるとすれば、それは、「覚えておこうとする奴」か「忘れようとする奴」かで、「忘れようとする奴」は、振り返ることも迷うこともしないので、それが彼にとっての悪だという。覚えておこうとすることで、歴史も個人のアイデンティティも作られると思うと語っていた。
1997年生まれ、当時24歳の魚豊(うおと)は、顔写真は公表していませんが、インタビュアーによると、色白でミュージシャンタイプの若者だそうです。インフルエンサーになれそうな中身の濃さとは裏腹に、自信に満ちたユーチューバーたちと違ってとても控えめな印象を受ける口調でした。
ポッドキャスト情報
2021年7月、まだ「チ。」の連載途中に公開されたポッドキャストは「マンガのラジオNo.13 – 16」(約20分 x 4本)。上に紹介した「覚えておこうとする奴と忘れようとする奴」は、その3で出てくる。
インタビュー記事情報
引用したインタビュー(作者 魚豊と声優津田健次郎の対談)記事はコミックナタリーより。
声優 津田健次郎のアフレコ
「コジコジ」のアニメにダメ出しして、マンガのキャラクターの声は自分の想像にとどめておきたいと言ったばかりだが、早速前言撤回。このコラムで何度も引用した声優の津田健次郎が、「チ。」の悪役のアフレコをしているのを聞くと、イメージにぴったりだった。どこかで聞いたことがある声だと思ったら、「ゴールデンカムイ」のアニメで、あのシビれるキャラクター、尾形の声を担当したのがこの声優だった。
「チ。」は2024年のアニメ化が決まっていますが、まだ声優キャストは発表されていません。この人に決まりだと思いませんか?
以下のYoutube、「チ。」の紹介から始まり、アフレコは4分のところから。
「チ。」を歌にした「カシオピア係留所」by Amazarashi
よかったら、これも聴いてみてください!
青森のバンドamazarashi(あまざらし)の中心メンバーの秋田ひろむは「チ。」の愛読者で、この作品にちなんだ歌を作っている。「チ。」の最終集発売日(2022/6)に合わせて公開されたこのミュージックビデオは、背景に「チ。」から抜粋された台詞が使われている。MVの作者の魚豊もamazarashiのファンだとのこと。
「チ。」は本当に良い漫画。読者の我々の方が「チ。」よりもずっと未来に生きてるはずなのに、読んでいると「チ。」のキャラクターたちは我々よりもずっと先を行っている感じがする。@user-hl7xo7sm9c
なんでだろう、何でもいいから何かに情熱をもって、人生をかけてる姿を見ると涙が止まらない。@mach0man80
最初は漫画知らなくて曲だけ聞いていい曲!って思ってたけど、漫画読んだ後だとただいい曲っていう感想だけでは言い表せない感情があった。
いつもamazarashiは原作に敬意をもって曲を創ってることを改めて思い知らされる。@user-nx2jd2tt9s
二日間で漫画を七冊も読んだのは人生で初めてでした。七冊目を読み終えた頃に丁度日付が変わり、最終集を読みました。言葉を取り戻せと、かつてamazarashiから受け取った言葉の自由を訴える意思は、この漫画にも宿っていると思えました。素敵な音楽をいつもありがとうございます。そして今回は、素敵な漫画との出会いもありがとうございます。@redcatfish8793
「あまざらし」というバンド名は、日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、雨曝しでも、“それでも”というところを歌いたいという思いで名付けられたそうです。