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精神分析とお金2


カウンセラーになった当初、わたしは勤務先のクリニックにパートタイムで勤めていました。給料は、カウンセリングをやらない時間も含めて時給でもらいながら、わたしのカウンセリングを受ける患者さんは、クリニックの診療費とは別に保険適用外の自費で3,500円を、クリニックの受付で、クリニックに払っていました。

患者さんが自腹を切ってクリニックに払う、わたしの収入には関係がないその3,500円が、わたしには大きなプレッシャーでした。

大学1年生のときからやっていた、家庭教師のアルバイトで、時給3,500円もらうことには、なんのプレッシャーもなかったのです。

家庭教師のアルバイトは、他のアルバイトに比べると、かなり高額なのにもかかわらず、自分のやるべきことが明確で、それをきちんとやっている自信と自負があったからだと思います。

ところが、カウンセリングとなると、相手は、ただわたしに話すだけ。わたしのやるべきことは不明確なことこの上ありません。どんなに一生懸命やろうが、それが、役に立っているとは限らないし、それを判断することもできません。そもそも、一生懸命やればいいというものですらないのです。

はたして、「わたし」と話すことに3,500円の価値があるのだろうか。白衣を着て、患者さんに「先生」と呼ばれながら、わたしはどこか居心地悪く感じていました。

「とりあえず、大学院で学んだ専門家」ということにはなっていましたが、「臨床心理士」の資格を取ることや、一応の体裁を整えることは、実体とはなんの関係もありません。

一方、同じクリニックに勤める先輩格のカウンセラーたちが、患者さんから、10,000円!もの大金を、しかも直接、もらっているのを見ながら、わたしは、日々、「3,500円でも、こんなにプレッシャーなのに、よくも平気で、10,000円も受け取れるなあ! すごい自信だなぁ。」と思っていました。

あれから18年。
今、わたしは、「かなり平気で」12,000円を受け取っています。

これは、わたしが歳をとって、図太くなったから(ばかり)ではありません。

経験を積んで、自信ができたから(ばかり)でもありません。

もし、わたしがあのまま日本にいたら、わたしは、ずっと、カウンセラーが何なのか、はっきりわからないままでいたと思います。

スイスの研究所で5年間を過ごして、わたしは、自分の仕事が何なのかを認識できました。

その「自信」は、日本で先輩カウンセラーを見ながら想像していた「自信」とはまったく種類の違うものでした。

それは、自分のカウンセラーとしての技術や能力に対する自信ではなく、「無意識を信頼できる自信」なのだという気がしています。

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