2016年10月8日付のロイター通信で日本の過労死関連のニュースが取り上げられています。
10月7日に厚生労働省が発表した、初の「過労死等防止対策白書」(2016年版)に関する記事なので、まず、そちらの過労死白書の内容から。
過労死ラインとされる「月80時間超」の残業をした労働者がいる企業の割合は、昨年度22・7%で、「情報通信業」が最も高い44・4%に上った。
過労が原因で脳出血や心筋梗塞を発症したとする労災申請は年間700~900件で推移し、業種別では「運輸業・郵便業」が多いとした。
(読売オンラインより抜粋。)
ロイター通信の見出しは、
「カロウシ(‘Karoshi’):20%の日本人労働者に過労死の危険あり」
です。
日本人といえば、その厳しい労働文化と長時間労働でよく知られている。
毎年、多数の過労死が報告されており、その大半は、脳出血や心筋梗塞、または自殺によるものである。
とくに自殺は危急の問題であり、2015年には2,159人が仕事に関連した事由により、自ら命を絶っている。
調査によると、21パーセントの日本人が、週に49時間かそれ以上働いているが、アメリカ、イギリス、フランスではその割合は、10-15パーセントである。
(※スウェーデンは、明らかに10パーセント以下だと思います。)その上、22.7パーセントの企業で、過労死ラインとされる月に80時間を超える残業をした従業員がいる。
しかもこの状況には限度がなく、11.9パーセントに及ぶ企業が、月に100時間を超える残業をした社員がいると報告している。
さらに深刻なことは、日本人は長時間労働をしているというだけでなく、これによって大きなストレスを感じているということである。
(※ この論旨は、つまり、やりたくてやっているわけではないということが、外国人からすれば奇異に思え、好きでやっているならともかく、ということのようです。)過労死被害者の親族が、慰謝料の請求を求めたケースは、2015年度に1,456ケースとこれまでの最高記録を更新した。
今年4月、国立過労死犠牲者保護評議会の川人博代表(Hiroshi Kawahito, secretary general of the National Defense Counsel for Victims of Karoshi)は、過労死の実数は報告されている数の十倍である、と述べた。
(※参考ページ
https://jp.sputniknews.com/japan/20160403/1893802.html)日本の過労の問題は、少なくとも1980年代から見られ、日本政府は、現在、この問題の改善を目指しており、2020年までに、すべての労働者が、有給休暇の少なくとも70パーセントを取得することを目標としている。
全国過労死を考える家族の会代表、Emiko Teranishi(寺西笑子氏,67)は、初めて作成された過労死等防止対策白書の完成を喜んでいる。
寺西氏の夫は、京都の蕎麦店のマネージャーだった20年前に過労が原因で自殺。「夫は年に4,000時間働いた。雇用側はタイムカードの記録から夫の労働状況を把握していたし、自殺の数日前には、夫から直接上司に、限界だと伝えてもいた。」と言う。
日本のカロウシ現象、一体全体、なぜ。
(So what explains the karoshi phenomenon in Japan?)「歴史的に、会社を家族のように大切にして尽くそうとする愛社精神に源があるのでしょう。
それによって、日本が奇跡的な経済的発展を遂げもしたのですが、一方ではこうした代価も支払われているわけです。」と、Temple大学東京キャンパスのKyle Cleveland教授は言う。
Harakiri(腹切り)という、日本人が使わない日本語を口にする外国人が結構いて、そのメンタリティが信じがたいようですが、そのうち、Karoshiという日本語が海外に広まってしまう前に、状況は変わるのでしょうか。
ところで、過労で病気になるというのはともかく、過労で自殺というのは、外国人でなくても理解することが難しい現象です。そこまで精神的に追いつめられてしまう異常な構造の中にいると、その構造の異常さを、異常だと認識できなくなるということもありますが、「自殺はできても、会社を辞めることはできない」という、一見矛盾した心理状態には、たんに会社を辞めると食べていけない、といった経済的理由よりも、その人の存在価値に関わる、文化的・心理的な問題が関わっていそうです。
過労死といえば、かつては、働き盛りの男性のイメージがありましたが、若い女性も例外ではありません。最近でも、「電通の女性新入社員自殺、労災と認定。残業月105時間」というニュースが話題になっています。
写真は、高橋まつりさんの遺影を掲げて記者会見する母親の幸美さん(東京・霞が関の厚生労働省2016年10月7日)
以下がその記事です。
「電通の女性新入社員自殺、労災と認定 残業月105時間」
朝日新聞デジタル 10月7日(金)21時50分配信広告大手の電通に勤務していた女性新入社員(当時24)が昨年末に自殺したのは、長時間の過重労働が原因だったとして労災が認められた。遺族と代理人弁護士が7日、記者会見して明らかにした。電通では1991年にも入社2年目の男性社員が長時間労働が原因で自殺し、遺族が起こした裁判で最高裁が会社側の責任を認定。過労自殺で会社の責任を認める司法判断の流れをつくった。その電通で、若手社員の過労自殺が繰り返された。
亡くなったのは、入社1年目だった高橋まつりさん。
高橋さんは東大文学部を卒業後、昨年4月に電通に入社。インターネット広告を担当するデジタル・アカウント部に配属された。代理人弁護士によると、10月以降に業務が大幅に増え、労基署が認定した高橋さんの1カ月(10月9日~11月7日)の時間外労働は約105時間にのぼった。
高橋さんは昨年12月25日、住んでいた都内の電通の女子寮で自殺。その前から、SNSで「死にたい」などのメッセージを同僚・友人らに送っていた。
(Yahooニュースより)
Don´t you risk death from overwork?
「過労死」の英訳は「デス フローム オーバーワーク」ということですが、改めて英語で聞くとまるでホラーストーリーのようなインパクトがあります。
「自称、過労死予備軍」などと、冗談半分で言ってる場合ではありません。
So what explains the karoshi phenomenon in Japan?
以下は、このロイター通信を読んだ周りのスウェーデン人のコメントです。
日本人の勤勉さや真面目さが、過去に奇跡的な経済的発展をもたらしたことは事実。しかし現在の日本はといえば、競争力は極めて低く、他のアジア諸国に追い抜かれている状態。(つまり、現在の日本で、個人が自分を犠牲にしてまで働くことの肯定的な意味は見られない。ナンセンス!)
(60代男性)
欧米でも、とくにエリート階層にオーバーワーク(過労)している人は大勢いるが、日本と違うのは、彼らが、自らそれを望んでやっていること。彼らは、義務としてではなく、個人的な理想や目標達成のために、好んで自分に試練を課している。
このことは、日本の教育と関連があるのではないか。日本では、幼い頃からプレッシャーをかけられ、子どもたちが義務として勉強する。「嫌なことでもやらなければいけない」「努力や我慢はするべき」と幼い頃から教えられて成長するため、大人になってもその態度で仕事に臨み、自由や選択肢を自分に与えることができないのだろう。
(60代男性)
「自殺はできても、会社を辞めることはできない」ということは、自分の属している集団に自分の全アイデンティティがあるということだろう。属している集団の中で、期待に応えられないこと、失敗すること、落伍者というレッテルを貼られること、それは、自分の存在そのものを否定されることであり、そんな自分は生きている資格がない、という発想につながるのではないか。
(ユング派分析家)
ヨーロッパでは、勤勉は美徳ではありません。せっせと長時間労働をしている人、(シフトとは関係なく)週末や休日にも働いている人がいると、「仕事が本当に好きな人なんだな。」と思われるか、あるいは「この人には、私生活がないのだろうか。趣味もないのだろうか。家族はいないのだろうか。」と、あわれみの対象になるかで、「よく働いて立派な人だ」とはふつう思われません。
長期休業しない個人商店を見ると、よほどお金が必要な理由があるのだろう、または、がめついと思われるぐらいで、確かに「いつも開いてるから便利」なのですが、「お客のことを考えてくれるいいお店」とは思われないのです。
(それでわたしも、ふつうのスウェーデン人の真似をして、今では、休みをたくさん取っていますが、日本人としての心理的ハードルが高くて、思い切ってそれができるようになるまでには、何年もかかりました。罪悪感や不安感なく休めるようになるには、まだまだかかりそうですが。)
※英文のロイターニュースと、冒頭の写真は、以下からの引用。
https://www.rt.com/document/57f8ea7cc361881e3a8b4567/amp
※この記事は、ストックホルム日本人会会報2016年秋号掲載内容に加筆したものです。