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青年の複雑な心と分かり合えない親子:三島由紀夫「豊饒の海 (1) 春の雪」より抜粋メモ

三島由紀夫の遺作となった長編小説「豊饒の海」、第一巻「春の雪」 (1969)を読んで、参考になった箇所を書き抜いた。(2,600文字)

本を読んでいなくてもわかるようにまとめたので、三島由紀夫の格調高い日本語を味わいながら、読んでみてください。

恵まれた家庭で育ったクールな子供

恵まれた家庭に育って幸せそうに見える子供たちが、人知れず悩みや葛藤を抱えていることは多いが、「春の雪」の主人公もその例にもれない。

清顕(きよあき)は、侯爵の父親をもつ華族の御曹司でひとりっ子。渋谷郊外の大邸宅で、たくさんの使用人たちに「若様」と呼ばれながら育ち、学習院高等科の学生になっているところから物語が始まる。

清顕は18歳だった。
それにしても、彼がさういふ悲しい滅入った考へに、繊細な心をとらはれるには、その生れて育つた家は、ほとんど力を及ぼしていない、と云ってよかった。

三島由紀夫「春の雪」p.5より

清顕の友にならうとして失敗して、結局彼に嘲笑される羽目になった級友は少なくない。本多一人は、そんな彼の冷たい毒に對して、うまく身を處してゆくといふ実験に成功したのだ。

三島由紀夫「春の雪」p.21より

新学期に入つて俄かに人が変り、何かうつろな陽気さ快活さを身につけた清顕を、本多(親友)は訝しく思つたけれども、・・・(略)

友にさへ心をひらかずに来たことが、今では清顕には、唯一の賢いやり方だつたと思ひ做(な)された。・・・(略)

貧しい想像力の持主は、現実の事象から素直に自分の判断の糧を引出すものであるが、却って想像力のゆたかな人ほど、そこにたちまち想像の城を築いて立てこもり、窓といふ窓を閉めてしまふやうになる傾きを、清顕も亦持つていた。

三島由紀夫「春の雪」p.153-154より

今、彼の気持の証人は、しかしこの広い世の中に一人もなかつた。それが清顕に、自分の気持をいつはることを容易にさせた。

三島由紀夫「春の雪」p.155より

次の引用箇所は背景情報が必要なので、説明します。

【背景】
この家には、清顕が12歳の頃から6年間あまり、清顕の”お付き”として奉公していた清顕より5歳ほど年長の書生がいた。住み込みの家庭教師役であるこの飯沼(いいぬま)は、親以上の愛情を持って清顕に接してきた腹心で、清顕も飯沼をとても信頼し、親に話せない秘密もいろいろ打ち明けていた。しかし、噂話が元で、この書生が突然クビになって家から追い出されることになったとき、清顕は、少しも抵抗することなく淡々とそれを受け入れた。

以下は、最後に飯沼が、清顕の部屋へ別れを告げに来て泣いた時の、清顕の様子である。

清顕の口を出る一語一語は、正にかういふ場合にはかう言ふべきだと、彼が考へていたとほりに円滑に流れ出て、何ら感情の裏付のない言葉のはうが、人を一そう感動させるといふ現場をありありと示した。感情にだけ生きていた筈の清顕が、今や必要上、心の政治学を學んだが、それは又必要に應じて、彼自身にも適用されるべきものだつた。彼は感情の鎧を着、その鎧を磨き立てることを覺えたのである。
 悩みもわづらひもなく、あらゆる不安から解き放たれて、この19歳の少年は、自分を冷たい万能の人間だと感じていた。何かがはつきりと終わつたのだ。

三島由紀夫「春の雪」p.157 より

喪失の安心が清顕を慰めていた。
 彼の心はいつでもさういふ働きをするのであつたが、喪ふことの恐怖よりも、現実に喪つたと知るはうがよほどましなのだつた。

三島由紀夫「春の雪」p.160より

わかり合えない親子

母は目に見えないものについては、理解できないといふ心性を恥ぢなかつたが、それが清顕には母の唯一の長所のやうに思はれた。そんな母が、法話を聴かうなどといふ殊勝な心掛を示すのは滑稽だつたが。

三島由紀夫「春の雪」p.25より

両親にとつて清顕は結局謎のやうな存在で、自分たちの感情の動きとはあまり隔たるその感情の跡を、追はうとしては道に迷ふ毎に、もう追はうとすることすら諦めてしまつた。

今では侯爵夫妻は、わが子を預けた綾倉家の教育を、多少恨みに思ふまでになつていた。

※とーなん注:清顕の父侯爵は、幕末にはまだ卑しかった自分の家柄にコンプレックスがあり、清顕を身分の高い綾倉家(公卿、伯爵)に預けて、”優雅”を身につけさせることを目論んだ。

自分たちがかねて憧れていた長袖者流の優雅とは、要するにこのやうな意志の定まらぬわかりにくさだけを意味していたのであらうか?

※とーなん注:長袖者流(ちょうしゅうしゃりゅう)とは、公卿や僧侶などのたぐい。また、それらの人々の流儀。

遠目には美しくても、近い息子にその教育の成果を見れば、ただ謎をつきつけられているのと同じことだ。

侯爵夫妻の心の衣装は、たとへさまざまな思惑があつても、南国風のあざやかな単彩であるのに、清顕の心は、むかしの女房の襲(かさね)の色目のやうに、朽葉色(くちばいろ)は紅いに、紅いは篠(ささ)の青に溶け入って、どれがどれとも見定めがつかず、それをことさら忖度しようとするだけで侯爵は疲れた。

何事にも無関心に見える息子の、冷たい何も語らない美貌を見ているだけで疲れた。侯爵の少年時代の思ひ出のどこを探つてみても、こんなにあいまいな、そして漣(さざなみ)が立つかと見れば底澄の、不安定な心に悩まされた記憶はなかつた。

三島由紀夫「春の雪」p.143 – 144より

上で引用した下線部の表現、イメージしやすかったです。

【両親の衣装のイメージ】単色でシンプル。

【息子の衣装のイメージ】女房の襲(かさね)のように何層にもなっている。

息子の重ねられた衣装の色は、境目もはっきりしない。

あ、ハードカバーの「春の雪」のカバーは、この箇所からの着想!?

朽葉色(くちばいろ)とは:一般に、くすんだ赤みがかった黄色のこと。平安時代中期から使われていた、秋の落ち葉の色を表す王朝風の優雅な伝統色名である。当時の人は、赤みが強い色を赤朽葉、黄色みが強い色を黄朽葉と呼ぶなど、「朽葉四十八色」といわれるほど微妙な色の違いを見分けていた。

平安時代は、色の名前も風流ですね。

※引用元本は、ハードカバー( 昭和52年、48刷)。

※ほぼ元本どおりに抜き書きしたが、旧字を新字で代用したり、一部、端折った箇所もある。


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