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仕事中、クライエントに「ヘリコプターペアレント」という言葉を教えてもらった。「自分の子供の周りを、まるでヘリコプターがホバリングするように、関わり続けることがやめられない親」のことで、自分の子供が傷ついたり失敗したりしないように過剰に保護することによって、子供の成長を著しく妨げるという。
ヘリコプターペアレントに育てられた子供はこんな大人になる
- 課題や問題を自分で解決する能力も意欲もなく、誰かが自分のためにそれをやってくれることを期待する。
- 基本的に、自分のために考えて行動することができない。
- 能力もないのに、自分が優先的に扱われることを期待する。
- たとえば職場の休憩時間が終わった時、自分のゴミや飲み終わったコーヒーカップを片付けなかったりするので、不評を買い、ひいては人間関係にも支障をきたす。
さらにワシントンポスト(2013年)には「ヘリコプターペアレントに育てられた大学生はうつの割合が高い」とも報告されているという。
子供を愛することは、導き、守り、支えることで、過保護にして、子供が自分で考えて課題を克服したり、失意や失敗を乗り越えたりすることを学べないほど過干渉になることではありません。
親として子供にしてやれることは、自分は後ろに退いて、あえて子供自身に失敗させたり、葛藤させたりしながら、自らの力でそれに対処させることでもあるのです。時として「子供のためにそこにいてやる」というその最良の「ありかた」は、「そこにいないというありかた」という場合もあるのです。そうすることで、子供たちが自信や能力や自尊心、それに心の知能(Emotional Intelligence)を発達させることができるのです。
若者たちは、社会的に機能できる大人になるために、親の支えを必要としています。それは、親がヘリコプターのように子供の周りをホバリングすることをやめ、つまり、子供への過干渉や過保護を止めることによって、子供たちに、自分自身で物事に取り組んだり、解決したり、困難に打ち勝つ方法を自分で学習したりする力を与えてやることなのです。
(引用の出典は後掲)
おまけ:ヘリコプターマザーの思い出
かつてスイスに留学していた時のこと、ホクオの留学先の研究所に興味があるという、医者になって間もない若い女性からホームページを通じてメールをもらった。旅行でスイスに行く機会があるので、ぜひ会って話を聞きたいと言われ、会うことになった。
待ち合わせの場所に行くと、女性は、お母さんと一緒に立っていた。てっきり、お母さんはどこか時間つぶしに行くのだろうと思い、「じゃ。」と一礼して別れようとしたところ、お母さんは、自分も一緒についていきたいと言う。
想定外の展開だったが、とくに断る理由もない。きっと、待っている間に他に行くところもないので、一緒に来て近くに座っているということなのだろうと勝手に想像しながら、三人でお茶を飲み始めた。が、ホクオが娘の顔を見て話していても、お母さんばかりが身を乗り出していろいろ質問してくるので、お母さんに視線を合わせざるをえない。だんだん、どっちに向かって話しているのかわからなくなってきて困惑した。
お母さんが手にぶら下げていた菓子折りをホクオに差し出し、母娘は去って行ったが、最初から最後まで、娘についてきた母というより、母についてきた娘にしか見えなかった「本人」に違和感があった。今回、ヘリコプターペアレントという言葉を知って、10年以上前に見たあのお母さんの姿がヘリコプターのイメージにぴったり重なって思い起こされた。
※この記事の引用部分は、原文を参照しながら「”ヘリコプターペアレント”とは? 生きづらい子どもに育つ親の存在」を引用、改訳、編集した。