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ヘッセが人生の転機にユングの影響も受けて書いた「デミアン」

(2021/7/28 加筆)
ヘッセの「デミアン」の解説を参照しながら、人生の転機、個人の成長や変化についてユング心理学やユングの個性化の観点からまとめた。アプラクサス、「カインとアベル」、グノーシス主義などにも言及している。(全2ページ6,700文字、2ページ目は「デミアン」からの抜粋。)

はじめに

「デミアン」、「シッダールタ」、「荒野のおおかみ」、ヘッセの代表作の中でもこの三作品はユング心理学と密接なつながりがある。

「デミアン」(1917)はヘッセが、ユング派分析家ラングとの18ヶ月に渡る精神分析セッションの終わり頃に書いたもので、ユングの著作物や、ヘッセがユングと会見したときにユングから聞いた話の影響が見られる。

この本を執筆していた当時、ヘッセは、スイスのベルンに住んでいたが、祖国ドイツの戦争継続を批判したことで厳しい批判に遭っていた他、仕事の苦悩や肉親の死などのさまざまな悩みを抱え精神的危機に陥っていた。しかし、ユングの弟子の助けを借りながら精神の回復を遂げる。そして、誕生した作品が深い精神世界を描いた作品、『デミアン』である。ヘッセの作品では初めて、「自己を追い求める」といった主題を取り扱っている。ヘッセの作風が、一変した作品であった。

ウィキペディアより一部改変

ヘッセの翻訳者といえば高橋健二(1902-1998)。ヘッセに会ったこともある人で翻訳も解説も素晴らしい。ただヘッセとユングの関係ついては知らなかったようで、彼による解説にはユングの名前こそ出てこないが、ユング心理学を知っている人なら「デミアン」の中にユングを思い浮かべる内容が多数あるのに気づく。

以下、高橋解説を引用しながら、ヘッセにとっての「デミアン」と合わせて、人生の転機や転身について考えてみたい。ユング心理学用語の個性化にも関係している。

高橋健二の「デミアン」解説より

転機に周囲の批判はつきものである

「デミアン」(1919)は力作であると同時に問題の作である。大戦直後、発表された当時、シュペングラーの「西洋の没落」※と並んで、迷えるドイツ青年層に大きな衝撃を与えたばかりでなく、ヘッセ自身にとっても人間的にも芸術的にも一転機を画した作である。成功した作であるか、失敗した作であるかは別として、ヘッセが必死になって自我と取り組んだ力作であり、よかれあしかれ彼の代表作である。

高橋健二

「成功した作であるか、失敗した作であるかは別として」とか、「よかれあしかれ」という言葉から、この作品が相当な批判を浴びたことが伺えます。
自分の生き方を見つめ直し一転機を画するためには周囲からの批判を乗り越えなくてはいけないことが多いのが思い出されます。

心から同感です!

余談ですが、問題作であるこの作品をヘッセは初め偽名で出版し、新人賞を取ってしまったので本名を明かして賞を辞退したそうです。
有名になったあとで無名で勝負して評価されるなんて、ヘッセの実力が本物であることを物語っているエピソードです。

■シュペングラーはドイツの文化哲学者、歴史学者。主著『西洋の没落』は、直線的な考え方である当時のヨーロッパ中心史観・文明観を痛烈に批判したもので、その影響は哲学・歴史学・文化学、芸術など多方面に及んだ。

たとえば『西洋の没落』第2巻(1922)では、農民と封建貴族の住む農村が血と伝統と生産の世界であり魂・感性・本能の領域に存すると称賛し、これに対して都市は貨幣と知性による寄生的世界とした。(ウィキペディアより)

幸福な世界が終わりを告げるとき

「デミアン」を境として、ヘッセの作風はいわば後期に入った。ヘッセ自身、この作品にいたるまでは「世界とよい平和の中に生きてきた」と言っている。

もちろん前期の諸作にも、いかに生くべきかの深い悩みと現代文明社会に対する鋭い懐疑はあったが、ヘッセは詩人になろうという宿題に向かってひたぶるに生きて、その努力が着々報いられていく幸福な世界に住んでいた。

高橋健二

「努力が着々報いられていく幸福な世界」が過去になる経験を多くの人が持っています。

社会の裏側や人生の苦しみを知らず、夢や希望に満ちていた時が終わりを告げたり、あるいは大人として社会人として安定した生活や地位を得て、いろいろうまく行っているところでミッドライフ・クライシスミドル・パッセージに遭遇したり・・・。

「デミアン」が書かれたのは、ヘッセが42歳の時でした。

私自身は過去に転機と呼べるようなものはあったものの、50も過ぎてコロナを経験するまでは社会に対して懐疑的な目を向けることもなく、”幸福な世界”で盲目のまま生きてきました。

ヘッセが「デミアン」書いたのが42歳ということは、日本でいう、男の大厄だったのですね。私は、この42歳の大厄って、単なる日本の迷信ではなく、意味深い年齢なんだと思います。

新聞記事での事故や事件を見ても、42歳前後がよく目につく気がします。私の父もこの大厄の時に、心筋梗塞で九死に一生を得ました。

50数年の人生ですが、転機があったのか? うーん、大したものはなさそうです。

くつがえされた幸福な世界を再建する第一歩

それが大戦によって根底からくつがえされ、彼は内的にも外的にもまったく平和と拠り所を失ってしまった。それを再建する第一歩が「デミアン」であった。つまりヘッセはここで転身したのである。

高橋健二

内的・外的な平和と拠り所を失ってしまったときそれを再建する第一歩がヘッセにとっては「デミアン」だったなら、みなさんには何(だった)でしょうか。

音楽制作活動が自分の精神安定に役立ったけど、実質的に自分の危機を救ったのは、その時々でお世話になった人たちじゃと思う。

もがき苦しむのは本人でも、それを乗り越える具体的なきっかけを与えるのは誰かしら運命の他人。音楽制作の環境を確保する上でも身の回りの人の助けが大きかった。

素直で純情な作風からの転身

ヘッセの愛読者の中には、転身以前の作品を愛する人が多いであろう。たしかに、ヘッセの好まれるよさの一つである叙情的な哀感は、後期の作品においてはそれほど素直でも純情的でもない。あまりに求める一念が強すぎて、人懐かしく柔らかいムードがはげしい懐疑に乱されているのを、うらみに感ずる人も少なくないであろう。しかし、ヘッセがもしこの転身をしなかったら、イージー・ゴーイングな甘い作家であり、ゲーテ的な意味での詩人にはなりえなかったであろう。

高橋健二

自分らしく生きようとするとき、その人の今までのイメージに慣れている周りの人たちが、その人の変化に動揺するということがあります。

子供が成長して自分の手の届かないところに行ってしまうことをどこかで「うらみに感ずる」親もそうですし、いい人仮面を脱いで素の自分を出したら、親友や恋人やパートナーが「うらみに感じて」その人たちに嫌われてしまったり・・・。

でもそのときこそ「嫌われる勇気」が大事なのだと思います。

自分に言い聞かせています。

嫌われる勇気!私も頑張ります!

実は友達とのやりとりで感じた違和感を飲み込んで無視するところでしたが…
このブログを読んで飲み込むのをやめ、勢いに任せて本音をぶつけてみました。ガクガク・ブルブルしましたが、それができた自分がまんざらでもなかったです。
あの勢いの源は勇気だと思います。そして相手からの反応は、概ねハッピーエンドと言えるものでした!

インナーチャイルドを癒して自分を無条件に大好きになったことで、嫌われる勇気は必要ないと感じました。 好きとか嫌いは個人の自由、相対的価値観だから。 私は私の絶対的価値観で自分が大好きだから、ただそれだけで充分。

そもそも「うらみに感ずる」輩は、自分の人生と他人の人生を混同しとるけどな。

脱皮と転身を繰り返して”真”を目指す

真の詩人は、ゲーテのように脱皮と転身によって更生することを怠らないものでなければならない。

高橋健二

ユング心理学ではもっと大げさに「死と再生」という言葉を使います。象徴的な言い方ですが、「脱皮」や「転身」には、一度死んで生まれ変わるぐらいの覚悟が必要だといえます。

わたしはまさにこの覚悟で転機を経験しました。25歳の時でしたが、友人関係を全て絶ち、持っていた洋服なども全部捨てて、新しい命に生まれ変わる気持ちでした。

変化しても元のよさは失われない

もとよりヘッセは常に同一であるから、「デミアン」とその後、すなわち後期の作品にも、前期の要素の多くのものが残っていることは言うまでもない。

高橋健二

高校時代にヘッセを読みふけりました。まさにそれ!それ!それです!

多くの人がなかなか変化できない理由には、先ほど述べたように、「自分が変わることで周りの人たちが困惑することに自分が耐えられない」ということもありますが、自分自身も「古い自分のよさがなくなってしまうのではないか」と心配してしまうということもあります。

でも古い自分のよさは、それが自分にとって”本当に”良いものであれば、必ず新しい自分の中にも受け継がれるものです。失うものがあるとすれば、それは不要なものだったと言ってもよいのではないでしょうか。

そうですよね。ただ、良し悪し関係なく、全ては意味があって起きていることだから、その全てを消化することで全ての出来事が”本当に”良いものになるんだと思います。

なるほど!

ここまでで、転機や変化の重要性や難しさについて認識していただけたら、次の言葉がいっそう説得力をもつと思う。

「デミアン」のアプラクサス Abraxas

「デミアン」第5章「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う」に出てくる以下の言葉は有名で、少し検索するとたくさん出てくる。人気アニメの「東京喰種 トーキョーグール」の名言集にまで載っていた。

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」

『デミアン』新潮文庫 P121

これがアプラクサス(bは”ぷ”と発音、ウィキペディアの”ぶ”は間違い!)。

グノーシス主義の神話に出てくるキャラクターだが、ユングが「死者への7つの語らい」(1916)で言及しており、ヘッセはユングに会ったときにグノーシス主義の話を聞いてこの挿話を入れたようだ。

他にも「デミアン」に出てくるカインの捉え方は、グノーシス主義独特のもので、そこでもヘッセにユングが与えた影響が見られる。

次のページでは「デミアン」よりユングの個性化に関係する箇所を抜粋しています。

ここまででもう十分という方は、よろしければヘッセの他の記事をご覧ください。

 

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