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村上春樹「1Q84」抜粋と注釈:脳みその纏足(テンソク)、ユング、カルトなどなど

(最終更新日:2021/7/24 加筆)「脳みその纏足」という表現がツボにはまった村上春樹の長編小説「1Q84」。全3巻を読んで抜き書きした箇所と調べた内容のメモ。物語の筋にはお構い無しで参考になった表現や印象に残った箇所をだらだら抜き出し、テーマごとに集めて順不同で列挙した。(15,000文字。)

備忘録として短時間で簡単に抜き書きだけするつもりだったのに
結局丸一日かかってしまい15,000文字にもなったのですが、文庫本1冊あたりの文字数が10~12万字程度ということなので、これでも文庫本にすると1/7冊分にしかなりません。

「1Q84」は文庫本では6冊分ありますので、読んだことないけど、どんな感じの本なのか知りたい方はざっと目を通してみてください。わたしは1.5日かけて読んで、丸1日かけてまとめましたが、3日後にはたぶんほとんど忘れていると思います。

注力して長くなった「脳みその纏足」他、ユング関連箇所、心の苦しみ、ヘミングウェイの自殺、親に背負わされた不条理な幼少期やいじめ、DV、孤独な中年心理、老い、カルト、サイコパス、ストリート・スマート、狂った世界、中年の恋や熟年愛、老い、生き方のヒント等々の引用。

前後のつながりはありませんので、目次から関心のある項目があればつまみ喰いしてください。

ユートピアと脳みその纏足(長文)

この箇所が、現代社会に当てはまっていると思いました。何も考えないロボットになって、自分でものを考えない方が楽ということにわたし自身十分心当たりがありますが、コロナをきっかけに少しは考えるようになりました。

ユートピアなんていうものは、どこの世界にも存在しない。錬金術や永久運動がどこにもないのと同じだよ。タカシマ※のやっていることは、私に言わせればだが、何も考えないロボットを作り出すことだ。人の頭から、自分でものを考える回線を取り外してしまう。ジョージ・オーウェル※が小説に書いたのと同じような世界だよ。そういう脳死的な状況を進んで求める連中も、世間には少なからずいる。その方がなんといっても楽だからね。ややこしいことは何も考えなくていいし、黙って上から言われたとおりにやっていればいい。食いっぱぐれはない。その手の環境を求める人々にとっては、たしかにタカシマ塾はユートピアかもしれん。

Book 1, Chap 10

※タカシマ塾は、コミューンのような組織で、完全な共同生活を営み、農業で生計をたてている。私有財産は一切認められず、持ち物はすべて共有になる。

※言わずと知れたことだが、「1Q84」は1949年に刊行されたジョージ・オーウェルのディストピアSF小説「1984」にちなんだタイトル。「1984」には衝撃を受けたので、いつか「1Q84」も読みたいと思った。

小さな子供にとってはきっと楽しいところなんだろう。でも成長してある年齢になり、自我が生まれてくると、多くの子供たちにとってタカシマでの生活は生き地獄に近いものになってくる。自分の頭でものを考えようとする自然な欲求が、上からの力で押しつぶされていくわけだからな。それは言うなれば、脳みその纏足(てんそく)のようなものだ。

Book 1, Chap 10

脳みその纏足、すばらしい比喩だと思います!

纏足(てんそく)とは

「纏足」の実際や歴史を知らなかったのですが、調べてみて絶句しました。

1987年に中国旅行中に8時間かけて世界遺産の秦山を登ったとき、蛇のような9000段もある階段を纏足の老婆が一歩一歩、歩いているのを見て度肝を抜かれました。小ささが半端じゃないのです。

泰山 南天門

纏足(てんそく)は、幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにするという、かつて中国で女性に対して行われていた風習をいう。中国大陸からの移住者が多く住んでいた台湾でも纏足は行われていたが、漢民族の一部では、女性は働くことが奨励されていたため纏足をせず、「大足女」と揶揄されていた。

纏足文化ができた原因は、小さい足の女性の方が美しいと考えられたからである。当時の文化人は纏足を「金のハス」とも呼称し、セクシャリティーの象徴として高められていた。小さく美しく装飾を施された靴を纏足の女性に履かせ、その美しさや歩き方などの仕草を楽しんだようである。また、バランスをとるために、内股の筋肉が発達するため、女性の局部の筋肉も発達すると考えられていた。

纏足は男性の性欲を駆り立てるものであり、女性は夫や恋人以外の男性には纏足を決して見せることはなかった。男性は纏足女性の足の指の間にアーモンドをはさんで食べたり、足の指の間にはさんだ器の酒を飲んだりした。

このようなことから、時代によっては纏足を施していない女性には嫁の貰い手がなかったという。

纏足ほど極端なものではないが、ヨーロッパでも、大きな足は労働者階級のものという認識があり、貴族階級では小さな足が好まれた。特に17世紀、ヨーロッパでバレエが流行・定着して以降は、きついバレエシューズによって小さくなった足は、貴族の証となっていく。人によっては、冷水に足を浸けて小さい靴に無理矢理足を入れていた。(ウィキペディアより抜粋)

「馬鹿の大足」という言葉を思い出して調べてみましたが、根拠はわかりませんでした。「バカの大足、間抜けの小足、中途半端のろくでなし」という言い方もあるようです。

昔のことですが、私の足が小さい(22cm)ので、ヨーロッパ人から纏足しているのか?と聞かれたことがあります。西洋人は日本人と中国人の区別がつきませんから!😅

ユングが引用されている箇所

光があるところには影がなくてはならないし、影のあるところには光がなくてはならない。光のない影はなく、また影のない光はない。カール・ユングはある本の中でこのようなことを語っている。
「影は、我々人間が前向きな存在であるのと同じくらい、よこしまな存在である。我々が善良で優れた完璧な人間になろうと努めれば努めるほど、影は暗くよこしまで破壊的になろうとする意思を明確にしていく。人が自らの容量を超えて完全になろうとするとき、影は地獄に降りて悪魔となる。なぜならばこの自然界において、人が自分自身以上のものになることは、自分自身以下のものになるのと同じくらい罪深いことであるからだ。」

Book2, Chap 13

自分自身以下のものになることも罪だということにご注目ください。

※この記事内、宗教の項目にもユング関連の引用あり。

心の苦しみ・自殺

慢性的な無力感は人を蝕み損ないます。

Book 1, Chap 11

あなたは何かを内側に抱え込んで、生きているように私には見えます。・・・実のところ、私にも抱えている重いものごとがあります。だからわかるんです。急ぐことはありません。しかしいつかはそれを自分の外に出してしまった方がいい。

Book 1, Chap 11

自殺を表向き病死と世間に向けて偽ることは、さしてむずかしいことではない。とりわけ資力と影響力を持つ人間にとっては。

Book3, Chap 4

あのまま9ミリ弾を頭の中に撃ち込むべきだったのかもしれない。そうすれば生き延びてこんな切ない思いをすることもなかったはずだ。しかしどうしても引き金を引くことができなかった。・・・天吾にもう一度会えるかもしれない、そういう想いがいったん頭に浮かぶと、彼女は生き続けないわけにはいかなかった。・・・論理の及ばない強い生命力のほとばしりがそこにあった。・・・これが生き続けることの意味なのだ。人は希望を与えられ、それを燃料とし、目的として人生を生きる。希望なしに人が生き続けることはできない。しかしそれはコイン投げと同じだ。表が出るか裏が出るかわからない。そう考えると心が締めあげられる。身体中の骨という骨が軋んで悲鳴をあげるくらい強く。

Book3, Chap 5

誰も知らない、でも私にはわかる。あゆみは大きな欠落のようなものを内側に抱えていた。それは地球の果ての砂漠にも似た場所だ。どれほどの水を注いでも、注ぐそばから地底に吸い込まれてしまう。あとには湿り気ひとつ残らない。どのような生命もそこには根づかない。鳥さえその上空を飛ばない。何がそんな荒れ果てたものを彼女の中に作り出したのか、それはあゆみにしかわからない。いや、あゆみにだって本当のところはわからないかもしれない。

Book2, Chap 5

どれくらい苦しいものか、こればかりは経験したことのない人間にはわからない。苦痛というのは一般化できるものじゃないんだ。トルストイの有名な一節を少し言い換えれば、快楽というのはだいたいどれも似たようなものだが、苦痛にはひとつひとつ微妙な差がある。味わいとまでは言えないだろうがね。

Book3, Chap 25

冷静な第三者の意見が必要とされている。
しかし精神分析医のところに行って診察を受けるわけにもいかない。事情が込み入りすぎているし、話せない事実があまりに多すぎる。
・・・
もし仮にその違法の部分だけをうまく伏せることができたにしても、私が生まれてこのかた辿ってきた人生の合法的な部分だって、お世辞にもまともとは言えない。汚れた洗濯物を押し込めるだけぎゅうぎゅう押し込んだトランクみたいなものだ。その中には、一人の人間を精神異常に追い込むに足る材料がじゅうぶんに詰め込まれている。いや、二、三人分は詰まっているかもしれない。

Book 1, Chap 9

いったん世間に向けて嘘をついたら、永遠に嘘をつき通さなくちゃなりません。つじつまを合わせ続けなくちゃならない。心理的にも技術的にも、それは簡単なことじゃないはずです。

Book 1, Chap 2

君は重い試練をくぐり抜けなくてはならない。それをくぐり抜けたとき、ものごとのあるべき姿を目にするはずだ。

Book3, Chap 14

ヘミングウェイの自殺

陽気なパパ・ヘミングウェイ。その作家が晩年アルコール中毒に苦しみ猟銃自殺したことは、ここにやってくる人々にはとくに気にならないようだった。

Book 1, Chap 11

ヘミングウェイ

現在のシカゴに生まれる。父は医師、母は元声楽家で、ヘミングウェイには1人の姉と4人の妹がいた。彼は幼い時、母の変わった性癖によって強制的に女装をさせられており、彼はそのような母の性癖を子供心に疎んじていたという。一方、父は活動的な人物で、ヘミングウェイは父から釣りや狩猟、ボクシングなどの手ほどきを受け、生涯の人格を形成していった。父は後に自殺している。

『老人と海』が大きく評価され、ノーベル文学賞を受賞。同年、二度の航空機事故に遭う。二度とも奇跡的に生還したが、重傷を負い授賞式には出られなかった。以降、これまでの売りであった肉体的な頑強さや、行動的な面を取り戻すことはなかった。

晩年は、事故の後遺症による躁鬱など精神的な病気に悩まされるようになり、執筆活動も次第に滞りがちになっていき、61歳のとき散弾銃による自殺を遂げた。(ウィキペディアより抜粋)

辛い幼少期

小さな子供が生き延びていくには、両親の命令に黙って従うしかないのだ。だから給食の前には必ず大きな声でお祈りを捧げ、日曜日には母親と共に町を歩いて信者の勧誘をし、宗教上の理由から寺社への遠足をボイコットし、クリスマス・パーティーを拒否し、他人のお下がりの古着を着せられることにも文句ひとつ言わなかった。しかしまわりの子供たちは誰もそんな事情を知らないし、またわかろうともしない。ただ気味悪がるだけだ。教師たちだって明らかに彼女の存在を迷惑に思っていた。

Book3, Chap 5

X(子供)はY(親)にとって多かれ少なかれ、自分の延長線上にあるような存在である。手足と同じだ。そこには自他の区別がない。

Book 1, Chap 4

月曜日の朝になると級友たちは、日曜日に自分たちがどこに行って何をしたかを熱心に語り合った。遊園地、動物園、野球場、夏には泳ぎに、冬にはスキー、父の車でドライブ、山登り・・・。
しかし天吾には何も話すべきことがなかった。彼は観光地にも遊園地にも行ったことがなかった。日曜日は朝から夕方まで、父親とともに知らない家々のベルを押し・・・

そして彼は「NHK」というあだ名で呼ばれることになった。

ホワイトカラーの中産階級の子供が集まっている社会では、彼は一種の異人種にならざるを得なかった。ほかの子供たちにとって当然であるものごとの多くが、彼にとっては当然ではなかったからだ。天吾は彼らとは異なった世界に住み、違う種類の生活を送っていた。

Book 1, Chap 8

日曜日には子供は、子供たち同士で心ゆくまで遊ぶべきなのだ。人々を脅して集金をしたり、恐ろしい世界の終わりを宣伝してまわったりするべきではないのだ。そんなことは──もしそうする必要があるならということだが──大人たちがやればいい。

Book 1, Chap 11

私はわけがあって両親を捨てた人間です。わけがあって、子供の頃に両親に見捨てられた人間です。肉親の情みたいなものとは無縁な道を歩むことを余儀なくされました。一人で生き延びるためには、そういう心のあり方に自分を適応させなくてはならなかったのです。容易なことではありませんでした。ときどき自分が何かの残り滓(かす)みたいに思えたものです。意味のない、汚らしい残り滓みたいに。

Book2, Chap 1

3歳か4歳、言葉の意味もろくにわからないうちから、お祈りの文句を丸ごと暗唱させられた。一言でも言い間違えると、物差しで手の甲を強く打たれた。

Book3, Chap 14

世の中には知らないままでいた方がいいこともあるってことです。たとえばあなたのお母さんのこともそうだ。真相を知ることはあなたを傷つけます。またいったん真相を知れば、それに対する責任を引き受けないわけにはいかなくなる。

Book2, Chap 10

※主人公は母親が自分の小さい頃病死したと思っているが、実際は浮気して家を出て行った、そればかりか自分の生物学的父親もその浮気相手だという可能性がのちに示唆される。

牛河は小学校に良い思い出を持っていない。彼は体育が不得意で、とくに球技が苦手だった。ちびで足が遅く、目には乱視が入っている。体育の時間は悪夢だった。学科の成績は優秀で、よく勉強もする。(だからこそ25歳で司法試験に合格できた。)しかし彼はまわりの誰にも好かれなかったし、敬意も払われなかった。運動が得意でないことも原因のひとつだが、顔の造作にも問題があった。子供時代から頭が大きくて、目つきが悪く、頭のかたちがいびつだった。分厚い唇は両側が下がって、そこから今にもよだれがこぼれ落ちそうに見えた。髪は縮れてとりとめがなかった。人に好意を抱かれる外観ではない。小学校時代、彼はろくに口をきかなかった。いざとなれば弁が立つことは自分でもわかっていたが、親しく話ができる相手もいなかったし、人前で弁舌を振るう機会も与えられなかったので常に口を閉ざしていた。・・・いずれにせよ牛河にとって、小学校での日々は好んで思い出す人生のひとこまではない。

Book3, Chap 10

いじめ

もし気がつかなかったのなら、それは一度もいじめにあっていないということよ。だっていじめというのは、相手に自分がいじめられていると気づかせるのがそもそもの目的なんだもの。いじめられている本人が気がつかないいじめなんて、そんなものありえない。

Book 1, Chap 6

自分が排斥されている少数の側じゃなくて、排斥している多数の側に属していることで、みんな安心できるわけ。ああ、あっちにいるのが自分じゃなくてよかったって。どんな時代でもどんな社会でも、基本的に同じことだけど、たくさんの人の側についていると、面倒なことをあまり考えずにすむ。

Book 1, Chap 6

最後の一文は耳が痛いです。

優秀でなければ生きていけなかった

ふたりとも物心がつくと努力してそれぞれにスポーツの奨学金を手に入れ、親からできるだけ遠く離れようと試みている。ふたりとももともと素質に恵まれていたが、彼らには優秀でなくてはならないという事情もあった。彼らにとってスポーツ選手として人々に認められ、良い成績を残すことが自立するためのほとんど唯一の手段、自己保存のための貴重な切符だった。普通の十代の少年少女とは考え方も、世界と向き合う姿勢も違う。

牛河にとっても状況は似たようなものだった。家庭は裕福だったので奨学金を手に入れる必要はなかったが、一流大学に入るため、司法試験に合格するために、死にものぐるいで勉強をしなくてはならなかった。天吾や青豆と同じで、ほかの級友のようにちゃらちゃらと遊んでいる暇はなかった。あらゆる現世的な楽しみを棄てて──それはたとえ求めても簡単には得られそうにないものだったが──とにかく勉学に専念した。劣等感と優越感の狭間で彼の精神は激しく揺れ動いた。

Book3, Chap 7 (若干変更あり)

孤独な中年心理

ひとりぼっちで震えながら寝袋に入っていると、家族に囲まれて暮らしていた日々が思い出された。とくに懐かしく思い出したのではない。今自分が置かれている状況とあまりにも対照的なものとして頭に浮かんだだけだ。家族と暮らしているときだってもちろん孤独だった。誰にも心を許さなかったし、そんな人並みの生活はどうせかりそめのもので、いつかこんなものはあっけなく壊れてなくなってしまうに違いないと考えていた。弁護士としての忙しい生活、中央林間の一軒家、見栄えの悪くない妻、私立小学校に通う二人のかわいい娘、血統書付きの犬。だからいろんなことが立て続けに起こって生活があっけなく崩壊し、一人であとに残されたときには、どちらかといえばほっとしたくらいだ。

Book3, Chap 13

牛河の娘たちは小学校での生活を心ゆくまで楽しんでいた。ピアノやバレエを習い、友達も多かった。自分にそういう当たり前の子供たちがいるという事実が、牛河には最後までうまく受け入れられなかった。どうしてこの自分がそんな子供たちの父親であり得るのだろう?

Book3, Chap 19

カルトと宗教

宗教がらみの原理主義者たちに対しては、一貫して強い嫌悪感を抱いていたからだ。そういった連中の偏狭な世界観や、思い上がった優越感や、他人に対する無神経な押しつけのことを考えただけで、怒りがこみ上げてくる。

Book 1, Chap 9

青豆家の人々は、偏狭は考え方を持ち、偏狭な生活を送る人々であり、偏狭であればあるほど天国に近づけると頭から信じて疑わない人々だった。彼らにとって信仰を捨てた人間は、たとえ身内とはいえ、間違った穢れた(けがれた)道を歩む人間なのだ。いや、もう身内とも思っていないかもしれない。

Book3, Chap 7

信仰の深さと不寛容さは、常に裏表の関係にあります。(カルトを指す。)

Book3, Chap 10

でもそれは彼らの神様ではない。私の神様だ。それは私が自らの人生を犠牲にし、時間と希望と思い出を簒奪(さんだつ)され、その結果身につけたものだ。姿かたちを持った神ではない。白い服も着ていないし、長い髭もはやしていない。その神は教義も持たず、経典も持たず、規範も持たない。報償もなければ処罰もない。何も与えず何も奪わない。昇るべき天国もなければ、落ちるべき地獄もない。熱いときにも冷たいときにも、神はただそこにいる。

Book3, Chap 14

カルトにはまっている家族のもとを11歳で離れた青豆が、自分の神を見つけるくだり。最後の不可解な言葉、「熱いときにも〜」はユングに関係している。詳細は当ブログ内の別記事、『ユングのボーリンゲンの塔:村上春樹の「1Q84」より』を参照。

人物描写

サイコパス、DV、エリート

与えられた情報によれば、その領域では有能だということだった。物腰でそれはわかる。育ちが良く、高い収入を得て、ジャガーの新車に乗っている。甘やかされた少年時代を送り、外国に留学し、英語とフランス語をよく話し、何ごとによらず自信たっぷりだ。そしてどのようなことであれ、他人から何かを要求されることに我慢ならないタイプだ。批判にも我慢ならない。とくにそれが女性から向けられた場合には。その一方で、自分が他人に何かを要求することはちっとも気にならない。妻をゴルフクラブで殴って肋骨を数本折ることにもさして痛痒を感じない。この世界は自分が中心になって動いていると思っている。自分がいなければ地球はうまく動かないだろうと考えている。誰かに自分の行動を邪魔されたり否定されたりすると腹を立てる。それも激しく腹を立てる。サーモスタットが飛んでしまうくらい。

Book 1, Chap 3

この人物はやり手だったが、いささか働きすぎたのだ。高い収入を得ていたが、死んでしまってはそれを使うこともできない。アルマーニのスーツを着てジャガーを運転していても、結局は蟻と同じだ。働いて、働いて、意味もなく死んでいく。彼がこの世界に存在していたこともやがて忘れられていく。まだ若いのに気の毒に、と人は言うかもしれない。言わないかもしれない。

Book 1, Chap 3

よくあるパターンだよ。男は世間的に見れば有能な人間だ。まわりの評価も高い、育ちも良いし、学歴も高い、社会的地位もある。
ところがうちに帰ると人ががらりと変わる。
とくに酒が入ると暴力的になる。といっても、女にしか腕力をふるえないタイプ。女房しか殴れない。でも外面だけはいい。まわりからは、おとなしい感じの良いご主人だと思われている。

Book 1, Chap 7

世間でエリートと呼ばれる人々の決して少なくはない部分が──あたかも社会的割りあてを進んで余分に引き受けるかのごとく──鼻持ちならない性格や、陰湿な歪んだ性向を有していることは、一般によく知られる事実である。

Book3, Chap 4

もし離婚が成立し、慰謝料なり生活扶助金の額が確定したところで、そんなものまともに払う男は少ない。日本では慰謝料を払わなかったという理由で、元亭主が刑務所に入れられることはほとんどない。支払いの意思はあるという姿勢を示し、名目上いくらかでも支払えば、裁判所は多めに見てくれる。日本の社会はまだまだ男に対して甘くできているんだ。

Book 1, Chap 7

これは知りませんでした。マイナンバーが徹底している北欧では、本人が送金するのではなく国が自動で引き落とすため、決められた支払い義務から絶対に逃れられないシステムになっています。高給取りのときに離婚して、そのあと安月給になったのに離婚時に決まった高い養育費を払い続けなければいけず、長年大変な思いをした人も知っています。

彼らは仕事で東京に出てくるときには、新幹線のグリーン車しか使わないし、決まった高級ホテルにしか泊まらない。一仕事終えると、ホテルのバーでくつろいで高価な酒を飲む。多くは一流企業に勤め、管理職に就いているか、自営業者、または医者か弁護士といった専門職だ。中年の域に達し、金には不自由していない。そして多かれ少なかれ遊び慣れている。

Book 1, Chap 5

誠実な男だったし、頭も切れた。学者としても優秀だった。しかし残念ながら、能弁すぎて自分の言葉に酔ってしまう傾向があり、深いレベルでの内省と実証に欠けるところも見受けられた。

Book 1, Chap 10

失礼ながら、コロナ報道時の専門家の方々の顔が思い浮かびました。

“発達障害”とか”コミュ障”傾向?

小松には時間の観念というものがない。自分が何かを思いついたら、そのときにすぐに電話をかける。時刻のことなんて考えもしない。それが真夜中であろうが、早朝であろうが、相手が電話をかけられて迷惑するかもしれないというような散文的な考えは、どうやら彼の卵形の頭には浮かんでこないらしい。

Book 1, Chap 4

「今度XXXXする。もし覚えていたらだけど。」
もし覚えていたら。それが数学科出身者の問題点のひとつだ。自分に直接関心のない事象に関しては、記憶の寿命はびっくりするほど短い。

Book3, Chap 6

ストリート・スマート

才能と勘のちがい:どんなに才能に恵まれていても腹一杯飯を食えるとは限らないが、優れた勘がそなわっていれば食いっぱぐれる心配はないってことだよ。

Book 1, Chap 6

俺は系統的な教育を受けてないから、実際に役に立ちそうなものだけを、ひとつひとつその度に身につけていくしかないんだ。希望のあるところには必ず試練がある。ただし希望は数が少なく、おおかた抽象的だが、試練はいやというほどあって、おおかた具象的だ。

Book 2(たぶん)

俺はたしかに時代遅れのみっともない中年男かもしれない。いや、かもしれないなんてものじゃない。疑いの余地なく、時代遅れのみっともない中年男だ。しかし俺には、ほかの人間があまり持ちあわせていないいくつかの資質がある。天性の嗅覚と、いったん何かにしがみついたら話さないしつこさだ。これまでそいつを頼りに飯を食ってきた。そしてそんな能力がある限り、たとえどんな妙ちくりんな世の中になっても、俺は必ずどこかで飯を食っていける。

Book3, Chap 7

狂った世界

土間にいっぱい詰まっているお客の顔が、一どきにこちらを向いた様であったが、その顔は犬だか狐だか解らないけれど、みんな獣が洋服を着て、中には長い舌で口のまわりを舐め回しているのもあった。

Book3, Chap 3

「千と千尋の神隠し」を思い出しました。コロナの世の中も・・・。

見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。

Book 1, chap 1

狂いを生じているのは私ではなく、世界なのだ。

Book 1, Chap 9

私がおかしくなっているのか、それとも世界がおかしくなっているのか、そのどちらかだ。どちらかはわからない。瓶と蓋の大きさがあわない。どちらのせいかわからないが、サイズがあっていないという事実は動かしようがない。

Book 1, Chap 9

君が世界を信じなければ、またそこに愛がなければ、すべてはまがい物に過ぎない。どのような世界にあっても、仮説と事実とを隔てる線はおおかたの場合目には映らない。その線は心の目で見るしかない。

Book2, Chap 13

我々の生きている世界にとってもっとも重要なのは、善と悪の割合がバランスをとって維持されていることだ。リトル・ピープルなるものは、あるいはそこにある何らかの意思は、たしかに強大な力を持っている。しかし彼らが力を使えば使うほど、その力に対抗する力も自動的に高まっていく。そのようにして世界は微妙な均衡を保っていく。どの世界にあってもその原理は変わらない。

Book2, Chap 13

自分が死ななくてはならないことを、青豆はさして残念だとも思わなかった。大小二つの月が空に浮かび、リトル・ピープルなるものが人々の運命を支配する条理のわからない世界で、一人ぼっちで生き続けることにいったいどれほどの意味があるだろう?

Book3, Chap 2

世の中の人間の大半は、自分の頭でものを考えることなんてできない──それが彼の発見した「貴重な事実」のひとつだった。そしてものを考えない人間に限って他人の話を聞かない。

Book3, Chap 7

彼女と直接話ができる相手は限られており、それ以外は砂糖壺に潜り込もうとする蟻のようにあっさりとつまみ出される。

Book3, Chap 4

「世のためになることをする人間よりは、ためにならないことをする人間の方がずっと多いですから。」

「あんたの言うとおりだ。この世の中、良いことをする人間よりは、ろくでもないことをする人間の方が数としちゃずっと多い。」

Book3, Chap 4

俺たちはまるで映画「2001年宇宙の旅」に出てくる猿みたいだ。黒い長い毛をはやして、意味のないことをわめきながら、モノリスのまわりをぐるぐる回っているやつらだよ。

Book3, Chap 18

世間のたいがいの人々は、実証可能な真実など求めてはいない。真実というのはおおかたの場合、強い痛みを伴うものだ。そしてほとんどの人間は痛みを伴った真実なんぞ求めてはいない。人々が必要としているのは、自分の存在を少しでも意味深く感じさせてくれるような、美しく心地よいお話なんだ。だからこそ宗教が成立する。

Aという説がその人たちの存在を意味深く見せてくれるなら、それはその人たちにとって真実だし、Bという説がその人たちの存在を非力で矮小なものに見せるのであれば、それは偽物ということになる。Bという説が真実だと主張するものがいたら、人々はその人物を憎み、黙殺し、ある場合には攻撃することだろう。論理が通っているとか実証可能だとか、そんなことは彼らにとって何の意味ももたない。

Book2, Chap 11

哲学的な話

心から一歩も外に出ないものごとなんて、この世界には存在しない。

Book2, Chap 11

※自分の心の中でしか存在していないはずのことを、他人の口から聞いたときに驚いていたら、言われたセリフ。

「みようとおもえばあなたにもみえる」ふかえりの簡潔な語法には、不思議な説得力があった。

Book 1, Chap 4

意味が説明できないということではない。しかし言葉で説明されたとたんに失われてしまう意味がある。

Book2, Chap 13

人間は時間を直線として捉える。でも実際には時間は直線じゃない。どんなかっこうもしていない。それはあらゆる意味においてかたちを持たないものだ。でも僕らはかたちのないものを頭に思い浮かべられないから、便宜的にそれを直線として認識する。そういう観念の置き換えができるのは、今のところ人間だけだ。

Book3, Chap 3

雑学

看護婦になる教育を受けているときにひとつ教わったことがあります。明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせるということです。明るい言葉には明るい振動があります。その内容が相手に理解されてもされなくても、鼓膜が物理的に明るく震えることにかわりはありません。だから私たちは患者さんに聞こえても聞こえなくても、とにかく大きな声で明るいことを話しかけなさいと教えられます。理屈はどうであれ、それはきっと役に立つことだからです。経験的にもそう想います。

Book2, Chap 24

ものごとには必ず二つの側面がある。良い面と、それほど悪くない面の二つです。

Book 1, Chap 10

熟年愛・中年の恋

ヤナーチェックは愛のない不幸な結婚生活を送っていたが、1917年、63歳のときに人妻のカミラと出会って恋に落ちた。既婚者同士の熟年愛である。一時期スランプに悩んでいたヤナーチェックは、このカミラとの出会いを契機として、旺盛な創作欲を取り戻す。そして晩年の傑作が次々に世に問われることになる。

Book 1, Chap 9

俺がこの少女のあとをつけたのは、ただその姿を眺めていたかったからかもしれない。・・・買い物袋を抱えて道路を歩いていく彼女を見ているだけで、彼の胸は重く厳しく締め付けられた。肺の動きが不規則でぎこちなくなり、生ぬるい突風の中に置かれたみたいにひどく息苦しくなった。これまでに味わったことのない奇妙な心持ちだった。・・・この少女は森の奥に生きる、柔らかな無言の生き物だ。魂の影のような淡い色合いの羽を持っている。遠くから眺めているだけにしよう。

Book3, Chap 16

小説内では関連がないが、この少女は、蝶やHSP(傷つきやすく敏感な人たち)をも思い起こさせる。

蝶というのは何よりはかない優美な生き物なのです。どこからともなく生まれ、限定されたわずかなものだけを静かに求め、やがてどこへともなくこっそり消えていきます。おそらくこことは違う世界に。

Book 1, Chap 7

それは蝶に骨格を与えるのに等しいのではないのか。

Book 1, Chap 6

忘れられない過去の人

私という存在の中心にあるのは愛だ。私は変わることなく天吾という10歳の少年のことを想い続ける。彼の強さと、聡明さと、優しさを想い続ける。彼はここには存在しない。しかし存在しない肉体は滅びないし、交わされていない約束が破られることもない。
青豆の中にいる30歳になった天吾は、現実の天吾ではない。彼はいわばひとつの仮説に過ぎない。すべてはおそらく彼女の想念が生み出したものだ。天吾はまだその強朝と、聡明さと、優しさを保っている。そして彼は今では大人の太い腕と、厚い胸と、頑丈な性器を持っている。青豆が望むとき、彼はいつもそばにいる。彼女をしっかりと抱きしめ、髪を撫で、口づけをしてくれる。・・・青豆が時々たまらなく男たちと寝たくなるのは、自分の中ではぐくんでいる天吾の存在を、可能な限り純粋に保っておきたいからかもしれない。

Book2, Chap 5

※天吾は、10歳のとき、青豆(苗字)がいじめられているのを助けてくれた級友。ふたりは一度も話したこともない関係だが、青豆は転校する前に、天吾に近づいて、黙っておもむろに手を握って去ったため、天吾にとっても青豆が忘れられない少女になった。

若い人にはわからない「老い」

あなたはまだお若いし元気だから、そのへんのことはおわかりにならんかもしれない。ある年齢を過ぎると、人生というものはものを失っていく連続的な過程に過ぎなくなってしまいます。人生にとって大事なものがひとつひとつ、櫛の歯が欠けるみたいにあなたの手から滑り落ちていきます。肉体的な能力、希望や夢や理想、確信や意味、あるいは愛する人々、そんなものがあなたのもとから消え去っていきます。そしていったん失ってしまえば、もう二度とそれらを取り戻すことができません。かわりのものを見つけることもままならない。こいつはなかなかつらいことです。時には身を切られるように切ないことです。あなたはもうそろそろ30歳になる。これから少しづつ、人生のそういう黄昏た(たそがれた)領域に脚を踏み入れようとしておられる。それが、ああ、つまりは年をとっていくということです。

Book2, Chap 6

今まで、お姑さんが、年を取っていくことに伴う辛さについてボヤくのを聞く度に、一生懸命想像しながらも本当に共感できるわけではないので反応に困ることもありました。でもこれを読んで、何かがわかった気がします。

生き方のヒント

すべてを考慮した上で、俺の本能は「前に進め」と告げている。

Book 1, Chap 2

それは天吾にしかできないことであり、やるだけの価値のあることであり、やらなくてはならないことだった。

Book 1, Chap 8

(君は)数学の教師にも見えないし、小説家にも見えないね。
・・・
何かに見えないというのは決して悪いことじゃない。つまりまだ枠にはまっていないということだからね。

Book 1, Chap 10

それがまさに文学と株式の違いなんだよ。そこでは良くも悪くも、金以上の動機がものごとを動かしていく。

Book 1, Chap 2

小松さんも文学に憑かれた人間の一人です。そういう人たちの求めていることは、ただひとつです。一生のうちにたったひとつでもいいから間違いのない本物を見つけることです。それを盆に載せて世間に差し出すことです。

Book 1, Chap 10

おまけ:サラリーマンの宿

出張で東京にやってくるおおかたの会社員は、こんな高級ホテルには泊まらない。もっと宿泊代の安いビジネスホテルに泊まる。駅に近く、ベッドが部屋のほとんどのスペースを占め、窓からは隣りのビルの壁しか見えず、肘(ひじ)を20回くらい壁にぶっつけないことにはシャワーも浴びられないようなところだ。

Book 1, Chap 5

以前、東京で定宿にしていたビジネスホテルが思い浮かんだので、思わず抜き書きしました。近くに「膝まくら耳かき」という気になる店名の巨大な看板のあるビルがあるホテル、展望ラジウム温泉つきでそこから東京タワーが見えます!

ベストセラー・リストで一位になっているのは「食べたいものを食べたいだけ食べて痩せる」というダイエット本だった。素晴らしいタイトルだ。中身がまったくの白紙でも売れるかもしれない。

Book3, Chap 3

チャールズは外見からいえば、皇太子というよりは、胃腸に問題を抱えた物理の教師みたいに見えた。

Book 1, Chap 9

あとがき

前の記事で山崎豊子について調べていたら、「1Q84」が出てきたので積ん読本を思い出して読んだ。何年も前にストックホルム日本人会が図書室閉鎖の際に「持ってけドロボー」期間があり、タダでもらってきていたもの。ジョージ・オーウェルの「1984」が凄い本でコロナ騒ぎの最中よく思い出したので、あれに匹敵するような内容を期待したその点に関しては期待はずれでも、Book 2までは話として面白く読んだ。Book 3からはつまらなくなってしまい結末に至っては・・・という感じだったが、題名だけでも価値があるし、あちこちにちりばめられた社会へのメッセージや風刺は、時代のヒーローだと思う。

村上春樹は、そのやんわりとした上から目線が好きになれない作家ではあるが、とーなんさんの感想文を読むのは面白かった。

今まで、村上春樹は好きではありませんでしたが、このブログのおかげで見方が変わりました。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は面白かったですが、「ノルウェーの森」は意味不明だったし。
ユングの言葉の深さを勘だけで感じ取るなんて、村上春樹はすごい人ですね!

村上春樹の作品そのものはわたしにもぴんとこないのですが、ユングが出てくる箇所は、参考になってありがたいです。

■当サイト内関連記事:
ユングの塔:村上春樹「1Q84」より
村上春樹、父との20年間の絶縁と和解を綴る

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