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皮膚病と深層心理:脱毛症の5つの物語

症例4: 無邪気な50歳美女、精神年齢は3歳

非常に美しいこの女性は、実際には50歳近かったが25歳ぐらいに見えた。皺一つない肌に整った輪郭の顔にはペンシルで描かれた細い眉、くるりとカールしたつけまつげなど完璧な化粧が施されており、ふさふさでゴージャスなヘアスタイルだった。

最新の心理療法を受けたくて来たと言いながら、彼女がカツラを外したとき、その変貌ぶりは驚くべきものだった。30年前に頭髪がすべて抜け落ちてから一度も生えたことがなく、体毛もないという。

ぱちくりとまばたきしている彼女の顔は、ちょっと老けた新生児にも見えた。

彼女はとても年の離れた大金持ちと結婚しており、19歳になる双子の娘がいた。ヨーロッパと地中海にあるふたつの家を行ったり来たりしながら豊かで恵まれた暮らしをしていた。

30年前に脱毛症が発症した頃、病気をしたとか精神的にショックな出来事を体験していないか聞いてみたが、何もないと言い、なぜ髪が抜けてしまったかについては、なにしろ30年も前のことだからと考える気もなさそうだった。発症後の2年間は、あらゆる心理療法を試みたがどれも効果がなく、これ以上できることはないと言われたのだった。

私も「最新の心理療法」を求める彼女と何かできるとは思えず、そのときはそれっきりになったが、1年後、彼女はかなり体調を崩してまたわたしの元に訪れた。症状を聞いたわたしは、一度、心臓専門医を訪ねるようにアドバイスした。はたしてそこで、その医師は彼女の胸に小さな傷跡があるのを発見した。彼女はそれは弾丸の傷跡だと医師に説明し、この医師は私にこのことを伝えた。

次に彼女が来たとき、私はその傷跡について尋ねてみた。

彼女は30年前、19歳のときに起きたその事件をわたしに話すのを忘れていたと言いながら以下のことを話した。

当時、彼女は兵役軍人と婚約していたが、結婚式が間近に迫ったある日、母親がその結婚を止めるように言った。前年に父親が事故で死んだため家計が苦しく、その貧乏な若者は娘にふさわしくないという理由だった。

その翌日、この従順な娘は婚約者に会いに行き、母親に言われたことをそのまま軽く彼に伝え、だからもう会えないと言った。当然ながら若者は動揺し、翌日、最後にもう一度会って食事しようと、渋る彼女を説得して約束を取りつけた。

そして翌日、若者は、彼女にもう一度考え直すように嘆願したが、彼女は聞き入れなかった。そこで彼はピストルを取り出し、車の中で彼女を撃ったのだった。弾丸は心臓の壁に当たったが中まで突き抜けなかったため、彼女は意識不明になったあと1週間後に回復した。彼女の髪がすべて抜け落ちたのは、まさにその直後で、それ以来、二度と生えてこなかったのだ。

その若者はその後どうなったのか聞くと、彼女は、刑務所に入ったと思うが、その後、どうなったかは知らないと言った。

心臓専門医がその傷跡について尋ねるまで、彼女は完全にこのことを忘れていた。彼女はこの恐ろしい秘密に蓋をかぶせ、夫にも子供達にも話さなかった。

彼女のこの話を聞いてはじめて私は、いつも物静かに微笑んでいる彼女の態度を理解することができた。彼女は美しくあどけない三歳児のようでもあったが、実際、彼女の精神年齢は幼子だったのだ。

若者は恋人であった彼女を殺そうとし、まさに危機一髪のところで彼女は死を免れた。若者のしたことは許されるべきものではないが、同情の余地はある。彼女が母親に言われたことをそのまま若者に伝えたそのやり方は、まさしく若者の心臓をナイフでえぐるようなことであり、彼は同じやり方で彼女に報復したといえよう。

この悲劇の背後に母親がいる。女性の意識のダークサイドと呼んでもいい。母親は、娘をひとりの人間として尊重することはなく、娘の若者に対する気持ちを聞こうとも、若者がどんな思いをするか思いやることもしなかった。独善的な母親がまるで憑依されたように冷淡に娘について決定したことから始まり、最後はピストルの発砲に至る悲劇の連鎖となった。

ここで娘は、自分自身の女性性に無自覚なまま、母親元型につかまって思いのままに動かされるゲームの駒、チェスでいえばもっとも弱いポーンというところだろう。

チェスのポーン

30年前とはいえこれほど大きな事件について語っても、彼女がそれについて深く考える様子はなく、私が挑発的な質問を投げかけても反応はなかった。彼女は、このドラマにおける自分自身の役割を汚れのない純真無垢なものと信じて疑っていなかった。

彼女の自我の意識は、この事件に直面する重荷に耐えられず、退行することを選んだ。母の娘、あるいは母のアニムスの奴隷のままでいることの方がラクだったのだ。

母のアドバイスに従ったあの夜は、文字通りに致命的なものであったが、女性としての自我意識に欠けた彼女は、母の意見を自分から切り離すことができず、ひとりの女性として意識的に生きることができないまま30年間無意識の状態にとどまり続け、母親の”生きられなかった生”を忠実に生き続けたのだった。しかしその代償は? 彼女のシワのない美しい幼い顔と髪の毛のない頭は、彼女が意識的に目覚めることから避けてきたことと、その代償として背負わされた苦しみの現れといえる。

この女性は、自分の双子の娘たちが19歳になったとき、著者の診察を受けに来ています。無意識が彼女を、彼女が封印した19歳のときに引き戻そうとしたように感じられます。

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