この記事は、2017年5月、ストックホルム日本人会春号に掲載されたものです。(会報のPDFはこちら)
これを書いている2017年2月、「お母さん、娘をやめていいですか」というNHKの連続ドラマが話題を呼んでいます。「友達と一緒にいるより、お母さんといる方が楽しい。お母さんが自分の一番の理解者。」という25歳の娘は、職場からでも、ちょっと困ったことがあるとすぐに母親にLINEでSOS送信。聡明で献身的な母親は、すぐに、的確なアドバイスと暖かい声援を返信してくれます。二人はいわゆる「一卵性母娘」。価値観も趣味も共有して、相手の気持ちは顔を見るだけでわかる。そんな仲良し母娘の平和な関係が、娘の恋愛によって、大きく揺さぶられて崩壊の危機がやってくる、という話。
「優しくて素敵で、いつもわたしのことを考えてくれているお母さん」の存在が、実は、「限りなく重い」ことに気づいてしまった時、そこからいろんなものが見えてきます。自分がなりたくてなったつもりの高校教師という職業は、母が果たせなかった夢だったし、たくさん持っているワンピースは、どれも「母の」」好みで、よくよく考えてみれば自分はワンピースそのものが好きじゃない! 知らないうちに、すっかり母にコントロールされて、 母の思いどおりに動く人形のように生きてきた自分・・・。
子供に無関心だったり否定的だったり拒絶的だったりする「ネガティブな母親像」に対して、子供思いで、子供に尽くすタイプの母親は、社会でも個人レベルでも肯定的に認められるので、「あなたのためを思って言っている」母親の言葉に逆らうことは容易ではありません。しかし、母の「無償の愛」は、本当に無償なのでしょうか。
「幸せになってね。(でも、わたしを置いて行かないでね。)」
「幸せになってね。(でも、わたしだって幸せになりたかったのに。)」
母の発する言葉に含まれる、矛盾する無意識のメッセージを、子供は無意識に感じとり、「母の愛」に窒息しそうになることも少なくありません。