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人生の午後三時

※JCZ ジャパンクラブ・チューリッヒ、2010年6月号の会報に掲載した内容です。

午後三時を示す時計

自分の一生を一日として考えると、今、何時ぐらいだと思いますか? もちろんわたしたちには自分の一生の長さはわかりませんし、もしかすると明日にもその終わりがやってくるかもしれないのですが、そういう現実的なことはさておいて、心理的な感覚として考えてみてください。

「人生の午後三時」は、ユングの著作の一部が1956年に邦訳出版されたときの(原題とは無関係な)表題です。(同書は後に(原題に忠実に)「無意識の心理」と改題されて復刻出版されました。〔高橋義孝訳、人文書院1977〕)午後三時といえば、一日の仕事を大体終えて一息ついているお茶の時間。そろそろ夕食のことを考え始めたり、さらにそのあとの(日本なら)お風呂に入って寝るだけという、まったりしたくつろぎタイムも想像でき始めるころですね。

ユング心理学は、時に「中年の心理学」と言われますが、「中年期」はまさに「人生の午後三時」。これまで忙しく、勉強したり、仕事をしたり、家庭を築いたり・・・と、大人として、社会人としてがんばってきたことがそれなりに形になり、なんとなく先のことも見えてきて、ほっと一息つける時です。「もうひとがんばり」も残ってはいますが、ちょっと立ち止まってみることも許される時なのではないでしょうか。

許されるどころか、望んでもいないのに強制的に立ち止まらされることだってあります。自分や家族の病や事故、パートナーや肉親の死、解雇や離婚・・・などによって、これまでの生活を続けることが現実的に、あるいは心理的に不可能になってしまうこともあるでしょう。そんな思いがけないあれこれが起こりやすいのもこの時期なら、特別の出来事や悲劇があったわけでもないのに理由もなく、ふとむなしさを感じたり、憂うつな気分が続くことも、この時期には珍しくありません。

自ら好んで「ちょっと一服」するにしろ、否応なく「強制休止」を強いられるにしろ、「人生の午後三時」が、残りの一日(人生)をどう過ごすかの鍵になるという点では変わりがないように思えます。

「人生の午後三時」からあとの時間は、わたしたち次第です。というのもわたしたちは、それ以降、どうすべきかを教えられていないのです。それまでの人生は、親や周りや社会の期待に合わせたり合わせなかったりして進んできました。わたしたちは地図を手渡され、「こっちの道を行けばこのあたりに着くだろう。」というのが大体把握できていたのです。でも、台本どころか地図さえないのが、現代社会に生きるわたしたちのここから先の人生といってもいいかもしれません。

ユングは、中年期において人は、重要な人生の転換期を経験するとして、この時期を「生の転換期」(独: Levenswende)」と呼びました。それは他の誰のためでもない、わたしたち自身のための時間の始まりなのです。

※この記事が掲載された「エーデルワイス」誌、実際のPDFページはこちらへ。(内情はいっしょ。読み込むのに時間がかかります。)

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