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43歳は冒険家たちの「命の落とし穴」: 生と死の相剋

(2,500文字) 43歳は、「経験の拡大に肉体が追いつかなくなり始める年齢」であると、角幡(かくはた 2022)は言う。

43歳になると多くの登山家、冒険家が死ぬので、私はかねてからこれを”43歳の落とし穴”と勝手に名づけ、注目していた。
一見、ただの偶然のようにも思えるが、偶然で片付けるにはあまりにも一致しすぎている。
自分自身が40に近づき、そして40を越え、問題の43歳が近づいてくるにつれ、私はこの年齢が人生においていかなる意味あいをもつのか、切実な問題としてとらえるようになっていた。
40歳を過ぎたとき、人はそれまでとは異なる人生の新しい局面に足を踏みいれる。おそらく多くの冒険家が43歳で遭難するのは決して偶然ではない。うっかり死の淵に迷いこんでしまうだけの理由が、この年齢にはあるのだ。

43歳──。
それは、私の考えを述べれば、経験の拡大に肉体が追いつかなくなり始める年齢である。

角幡 唯介 「裸の大地:狩りと漂泊」より

年齢、経験値、体力、実行力の関係


角幡は、X軸を年齢、Y軸を実行力として、経験値と生命力を以下のようなグラフで表している。
経験値のカーブは年齢と共に上昇線を描く一方で、肉体は次第に衰え、体力や勢いや気力などが低下するので、固体としての体力や生命力は下降線を描く。

若い頃は、体力はあっても経験がないため、冒険のスケールが小さいが、そのギャップはだんだん縮まっていき、40歳ごろに交わる。そのあとは、こんどは経験や自信に体力が追いつかなくなってきて、そこに「魔の領域」が生じるという。

横綱千代の富士が引退会見(1991)で、涙ながらに「体力の限界…、気力もなくなり、引退することになりました」と述べたのは35歳のときで、瞬発力の必要な相撲と、持久力が必要な冒険家としての現役寿命には違いがあるように、職種や個人差による違いがあるにせよ、この相関関係は、ほとんどの中高年が自覚するところだと思う。 

まだこの交点に達していない若い方も、ぜひ自分のグラフをイメージしてみてください。

43歳で他界した日本人冒険家たち

角幡の言う通り、たしかに偶然とは思えない。

植村直己 (うえむらなおみ 1941 – 1984)

1970年に世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂。同年、世界初の五大陸最高峰登頂者となる。1978年に犬ぞり単独行としては世界で初めて北極点に到達。
1984年、冬期のマッキンリー(現:デナリ)に世界で初めて単独登頂したが、下山中に消息不明となった。43歳没。

長谷川 恒男(はせがわ つねお、1947 – 1991)

1979年、アルプス三大北壁の冬期単独登攀の成功は世界初。
1991年、 ウルタルII峰で雪崩に巻き込まれ星野清隆と共に遭難死。43歳没。

星野 道夫(1952 – 1996)

日本の写真家、探検家、詩人。
1996年、TBSテレビ番組『どうぶつ奇想天外!』取材のため滞在していたロシア連邦カムッチャカ半島でヒグマに襲われて死亡。43歳没。

河野 兵市(こうの ひょういち、1958 – 2001)

1997年、39歳のときに日本人初の北極点単独徒歩到達に成功。
2001年、43歳になった直後に、北極海の氷の割れ目に転落し死亡。

谷口 けい(1972 – 2015)

2008年、登山パートナーの平出和也とともにカメット未踏ルート南東壁初登攀により、2009年に女性では史上初となるピオレドール(登山界最高の栄誉)を受賞。
2015年、北海道の大雪山系黒岳の北壁を男性4人との5人パーティーで登攀中、山頂付近で用を足すためロープを外し仲間から見えない岩陰へ移動した後に滑落。43歳没。

2024年7月、登山家 平出和也45歳の死

2023年2月25日、NHKで、日本を代表する世界的な登山家、平出和也のドキュメンタリーが放映されている。
「もう一度、あの高みへ 登山家・平出和也 再起をかけた挑戦」
(NHKオンデマンドで視聴可能)

「40歳を超えベテランの域に入った平出が狙うのは、世界第2の高峰K2、未踏の西壁である」と、番組の中でそのための準備の様子が紹介されるのだが、2024年夏、このK2西壁に挑戦した平出は、登攀中に標高約7500メートル付近で滑落して帰らぬ人となった。45歳であった。
(お互いをロープでつないでいっしょに登攀・滑落したパートナーの中島健郎は39歳。)

三島由紀夫45歳の自決を冒険家はこう見る

上に引用した角幡唯介(かくはたゆうすけ 1976-)は自身も冒険家であるが、インタビュー記事の中で、三島由紀夫を例に挙げて語っていた。

40代半ばになり、身体的な衰えを感じ始めた。ふと45歳で自決した三島由紀夫が気になって、読み返したのが『金閣寺』だった。

傑作を再読し、「43歳の落とし穴」と三島の自決が結びついたという。「若い時は、肉体と経験が膨張し、自分が求めるゴール(目標)も膨張していく。それが43歳を機に肉体的な力が衰え、設定していたゴールも縮小して人生が撤退戦に入る。膨張する過程での死は美しい。三島は年齢にこだわっていて、45歳での自決には、まだ間に合うという思いがあったはず」で、三島は「人間は生きている限り、死に到達できないという真理を書いた」と読み解く。

 「冒険は、どんなに激しい行動を起こしても、生きて帰ってくると、やりきってなかったんじゃないかって感覚が残る。生の完全燃焼ポイントである死と、自分の生きている現状との距離に苦しむわけですよ」。生と死の相克の中で、これからも旅は続く。

角幡唯介 生と死の相克 冒険は続く
2024/08/02

あとがき:わたしの40代

「40歳を過ぎたとき、人はそれまでとは異なる人生の新しい局面に足を踏みいれる。」ということで自分自身を振り返ると、ちょうど40歳で母親になって人生の新しい局面に足を踏み入れた。そして、そういえば43歳ごろ、たしかに気力の衰えを感じたことがあった。しかし、体力はともかく気力はその後復活したので、あれは育児疲れだったのだろうか。

※アイキャッチ画像Image by Shri ram from Pixabay

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