(900文字+おまけ編1,100文字)
クライエントさんに教えてもらった「あなたを抱きしめる日まで」(マーティン・シックススミス著/宇丹貴代美訳、原題”The lost child of Philomena Lee”)を読んで、怒りがこみあげてワナワナするので一筆。
内容は、婚外子を身ごもった若い母が、その「罪」で修道院に収容され、罪人としてこき使われながら出産したあと、3歳になった子供を問答無用で養子に出されてしまうという実話。序文にも「失った息子を何十年もかけて捜し出す物語」と書いてあるので、邦題の「あなたを抱きしめる日」がいつ来るのかと思いながら、その日を目掛けて600ページちょっとある分厚い文庫本を飛ばし読みしたところ、なかなかその日が来ないまま、なんと580ページあたりで、産みの母を探し続けた息子の方が、母に会えないまま病気で死んでしまう! えー、うそー、ちょっとぉぉ、と狼狽した。
母に会えなかったのは、息子がはるばる海を渡って修道院を何度も訪ねて母親の情報を求めたのに、修道女たちが「知らない」の一点張りで情報を隠したからなのだ。産みの母がどんなに息子を愛し、彼と引き離されることにどれだけ抵抗したか、そしてそのあとどれだけ彼を探し回ったかを息子は知らないまま死んだ。彼は社会人として成功しながらも、一生「自分は産みの母に捨てられた、人に愛されない人間」と自分を認識して死んだのだった。
「問題は、自分をきらうのをやめられないことなんです。母はぼくを捨てて、けっして捜そうとしなかった。もし彼女がぼくを愛せなかったのなら、だれも愛してくれないだろうし、当然ながらぼくも自分を愛せません。」
「あなたを抱きしめる日まで」p.207
ユングの「影」の見本のようなこの聖職者仮面をかぶった修道女たちの意地悪さ、卑劣さ、憎々しさには、胸がむかつくような嫌悪感を覚えた。
その上、修道院が組織ぐるみで、非嫡出子として生まれた赤ちゃんたちを、母親たちから無理やり引き離して外国の富裕層に養子として高く売り飛ばしていたという、身の毛もよだつような事実。
この本には、1950年代のカソリック教会の闇が書かれているのだが、今の社会も、こんな表と裏に満ちていることにコロナ以降気付かされたので、こみあげてくる怒りもひとしおだった。
このコラムはここでおしまい。以下、関連する個人的実話が続きます。
産みの母に探し出されたジョーン(個人的実話)
上の話と対照的に、実母に再会した友人の実話です。
ジョーン(仮名)は韓国で韓国人の両親の下に生まれ、2歳のとき、ベルギー人の養子になってベルギー人として育った。ジョーンがあとで知ることになった養子になるまでの経緯は、こうである。
ジョーンが生まれたあと、父親は浮気相手と結婚したくなった。そしてジョーンの母親と離婚する際に、母親がいない隙にジョーンを”誘拐”して施設に入れてしまった。社会的身分のあった父親は、最初の結婚をなかったことにしたかったのだ。当時の韓国の女性の立場は弱く、母親がどんなに探し回っても息子を見つけることはできなかった。やっと施設をつきとめたときには、すでに外国に養子として出されたあとで手遅れだった。ジョーンの母は、その後、再婚することもなく、ジョーンのことだけを考えながら暮らした。
そして約20年が過ぎた頃、テレビで、ヨーロッパに養子に出された韓国人の血を持つ子供たちが産みの親を探しているという番組が放映された。ジョーンの母は、すぐにテレビ局に連絡を取り、ヨーロッパの養子縁組団体の情報を入手、その伝手でベルギー人として暮らしているジョーンを見つける。
ジョーンの方は、韓国人の親を探すつもりはなかった。育ての親の下、二人の姉とベルギー人として幸せに暮らしていたからだった。(産みの親を探そうとする韓国血統の養子たちは、ヨーロッパで苦労していることが多い。アジア人の容姿なので、白人の親と血のつながりがないことが誰の目にも明らかだという特別な環境に置かれていることがその一因。)
そんなジョーンが20歳を越えたとき、産みの母親が自分に会いにやってきた。自分とよく似た顔をした母親が、ずっと自分のことを想って生きていたこと、自分の元の韓国名や本当の誕生日を知った。韓国人の母親が育てていた頃は、ボンレスハムみたいに丸々太った大きな健康優良児だったのに、施設で育ってベルギーに渡ったときには平均よりも小さな子供で、推定誕生日は半年も遅く判定されていた。
その後、ジョーンは韓国に留学して韓国語を習い、韓国人と結婚した。
ベルギー人になったジョーンは決して不幸ではなかったが、それでも誰よりも自分を愛してくれる実の親の存在が彼の残りの人生を変えたのだった。
ジョーンの話はハッピーエンドと言えるかもしれませんが、それでもやはり社会的・文化的・時代的な影響を受けた悲劇には違いありません。韓国には血統を大切にする文化があり養子が好まれないので、今でも外国にもらわれる養子が多いと聞きます。スイスにいた頃、大韓航空で韓国経由でスイスに戻るとき、養子になるらしき赤ちゃんを時々見かけて複雑な心境になりました。
ここまで書いて、突然、子供の頃、父が涙しながら観ていた桂小金治の『それは秘密です!!』を思い出しました。調べると1975年から1987年まで放映された番組ですが、肉親との生き別れは、現代もいろんな形で存在しますよね。