北原白秋が童謡に込める思いを綴った文章を国立国会図書館デジタルコレクションの資料から抜き書きした。(1,700文字)
このページは、前記事(残忍さは悪でも醜でもない:北原白秋の童謡「金魚」)の付録です。
「童心を忘れるな」とはよく言われる言葉だが、北原白秋の文章を読むとその言葉にはこんなに重い意味も含まれているのだと気付かされる。
大正8年(1919年)9月、今から100年以上前に、北原白秋(1885-1942, 享年57歳)は小田原に建てた”木菟(みみずく)の家”でこれを書いた。
北原白秋にとって子供に還ることとは
私の童謡はただ美しいとか上品とか云ふばかりを主にして居ますのではありません。
北原白秋「トンボの眼玉」はしがきより
(中略)
ほんたうの童謠は何よりわかりやすい子供の言葉で、子供の心を歌ふと同時に、大人にとつても意味の深いものでなければなりません。然し乍ら、なまじ子供の心を思想的に養はうとすると、却つて惡い結果をもたらす事が多いのです。それであくまでもその感覺から子供になつて、子供の心そのままな自由な生活の上に還つて、自然を觀、人事を觀なければなりません。
(中略)
子供に還ることです。子供に還らなければ、何一つこの忝い(かたじけない)大自然のいのちの流をほんたうにわかる筈はありません。
※とーなん注:忝い(かたじけない)は「恐れ多い」の意。
「子供は大人の父だ」と申す事も、この心をまさしく云つたものに外なりません。
私たちはいつも子供に還りたい還りたいと思ひながらも、なかなか子供になれないので殘念です。
私の童謠に少しでもまだ大人くさいところがあれば、それは私がまだほんたうの子供の心に還つてゐないのです。さう思ふと、子供自身の生活からおのづと言葉になつて歌ひあげねばならぬ筈の童謠を大人の私が代つて作るなどと云ふ事も私には空おそろしいやうな氣がします。然し、私たちから先づ、その子供たちのさうした歌ごころを外へ引き出してあげる事も必要だと思ひます。さういふ心で私は童謠を作つて居りますのです。
私もこれから努めます。だんだんとほんたうの子供の心に還るやうに、ほんたうの童謠を作れるやうに。
北原白秋の童謡に込める想い
北原白秋は、100年以上前の「この頃の子供たち」を心配してこのように書いている。
昔の子供たちはかういふ風におのづと自然そのものから教はって、うれしいにつけ悲しいにつけ、いかにも子供は子供らしく手拍子をたたいて歌つたものでした。
北原白秋「トンボの眼玉」はしがきより
それが、この頃の子供たちになると、小さい時から、あまりに教訓的な、そして不自然極る大人の心で詠まれた學校唱歌や、郷土的のにほいの薄い西洋風の飜譯(ほんやく)歌調やに壓(おさ)えつけられて、本然の日本の子供としての自分たちの謡(うた)を自分たちの心からあどけなく歌ひあげるという事がいよいよ無くなって来てゐるやうに思ひます。
今の子供たちはあまりに自分の欲する童謡やその他を、その學校や親たちから與へられて居りません。それは今の世の中があまりに物質的功利的であるからでもあります。
私たちの子供の頃は今から考へましても、それはなつかしい情味の深いものでした。あの頃子供であった私たちがいかほど大人になりましても、いつまでも忘れられないのは、幼い時母親や乳母たちからきいたあの子守唄の節まはしです。
(中略)
あの野山の木萱(きかや)のそよぎからおのづと湧いて出たと云ふ民謡や、かうした純日本の童謡やが、次第に廃れてゆく心細さはありません。私は一方にさうしたいつまでも新しい、而かも日本人としての純粹な郷土的民謡を復興さしたいと云ふ考を持つてゐますにつれて、おなじやうにかうした童謡をも今の無味乾燥な唱歌風のものから元の昔に還さなければならないと思つてゐます。さうしてその本然の心を失はないで、さらに新らしい今の日本の童謡をもその上に築き上げなければならないと願つてゐます。
抜き書きしながら、旧漢字に読めないものがたくさんあって調べるのが大変でした。(読めないとタイプできませんので・・・。)
【参考文献】
●トンボの眼玉 : 白秋童謡集1 北原白秋 著 (国立国会図書館デジタルコレクションより)