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映画「手紙」(2006)に描かれた犯罪者家族の苦しみ、差別やきょうだいについて/宮崎勤と林真須美の家族

世間を騒がせた犯罪者たちの家族

宮崎勤の父親は自殺

1989年、連続幼女誘拐殺人事件で逮捕され、のちに死刑となった宮崎勤の家族。

●姉妹2人:「お前たちも死ね」「殺してやる」という旨の嫌がらせの手紙が殺到。長女は勤めていた会社を辞め、すでに結婚間近だったが自ら婚約を破棄した。次女は在学していた看護学校にいられなくなり、自主退学に追い込まれた。

●父親の弟2人も退職したうえ、次男は持っていた会社を妻の名義に変更し、5つの会社役員を全て辞職。三男には娘が2人おり、宮﨑姓を名乗ることの影響を考え、苦渋の決断の末に「巻き込むわけにいかないから」と妻を説得して離婚、娘たちは妻に引き取らせた。

●母親の兄の2人の息子は警察官、高校教師であったが辞職した。背景には週刊誌で暴露された影響があったと言われる。

●宮﨑は父親に対して私選弁護人をつけてくれるよう要請したが父親はこれを拒絶。4年後の1994年に父親は自宅を売って、その代金を被害者の遺族に支払う段取りをつけると、東京都青梅市の多摩川にかかる神代橋 (水面までの高さ30m) から飛び降り自殺を遂げた。

ウィキペディアより

林真須美の長男はマスメディアに登場

1998年和歌山カレー事件後、林真須美(死刑確定囚)と夫健治が逮捕され、子どもたち4人は施設に預けられた。

●2021年6月、長女A(37)は自殺:Aの娘(16)の変死事件後、別の娘(4)を道連れに飛び降り自殺。

●長男コウジ(仮名)はインタビューを受けたり、SNS発信もしている。

「両親が逮捕されたのは、小学校の運動会当日の朝でした。直後に僕らは児童養護施設に行くことになりました。慌ただしく家を出るときに台所を覗くと、母の作りかけのお弁当が残されていたことを今も覚えています。あのとき母の手料理を食べておけばよかった……

児童養護施設に預けられたその日から先にいた子供たちに囲まれて1時間ほど殴ったり蹴られたりの毎日が続きました。顔をエアガンで撃たれたり、鉄アレイで頭を殴られたりもしました。学校も彼らと一緒でしたから、逃げ場がなかった。

中学生になると施設の女性職員から性的暴力を受けました。思い出したくもない記憶です。高校生になると少し遠くの学校へ。最初は楽しく過ごしましたが、すぐに正体がバレて、居場所を失いました。就職してからも身元がバレると職場にいづらくなって、転職を繰り返しました。 子供の頃は、いつかまた皆であの家に暮らせると思っていましたが、実家は’00年に放火されて焼失してしまった。

社会人になってから結婚も考えましたが、死刑囚の息子だと相手の両親に伝える度に破談になるんです。今まで優しかった親御さんから、打ち明けた途端『死刑囚の息子なんかに娘はやれない』と怒鳴りながら、塩を投げられたこともあります」

34歳長男が激白「林眞須美死刑囚の家族として生きること」より

被害者の家族

被害者の兄の動画

最後に、被害者側の家族の話も紹介する。
”「妹」を殺害した男と、兄が対面。伝えた「思い」とはー”(15分)

被害者の兄についてのノンフィクション

「僕とぼく」というノンフィクションもぜひ読んでみてください。「佐世保小6殺害事件」の被害者のお兄さん2人の話です。

緊迫した心情に触れ、何度も本を閉じて深呼吸をしなければならなかった。被害者の家族とはこんなにも苦しいものなのか。だが終盤、二人に救いが訪れる。苦しめるのも人なら手を差し伸べるのも人なのだ。受け止めきれない悲惨な現実に見舞われた若者の心のケアについて考えさせられる、貴重な記録である。

https://www.bookbang.jp/review/article/574141

ありがとうございます。ぜひ読ませていただきます。

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