アメリカ人ジャーナリストMichael Hirshの「僕らも日本人みたいになるべき?(Should We Be Turning Japanese?)」という記事のかじり読みによる、部分的な内容の大雑把な訳です。
2015年11月、パリでテロのあった直後の東京、オープンカフェの並ぶ通りを歩きながら、ボクは、何かがチガウことに気付いた。日本人は、群衆の中にいても少しも警戒していないし、親たちは、子どもを人混みの中に行かせることだって全然平気なのである。
・・・バーで若者たちと話してみると、彼らの将来に対する不安は、もっぱら「ひとりで孤独な老後を迎えること」という個人的なものであって、少子化による日本社会の人口問題など話題に出ない。
・・・日本人は、社会的・経済的格差に関しても、それほど騒ぎ立てないし、社会的経済状況がどうであれ、都市のデパートやレストランは、いつも大賑わいだ。・・・
つまり、この部分に関しては、「僕らも日本人みたいになるべき?」、「なれないよね。(なりたくないし。)」という皮肉です。
冒頭の写真は、この記事の冒頭に使われている写真で、内容には関係なく、季節柄使われているようですが、桜に群がる日本人の様子は、わたしがかじり読みした部分の「お気楽な日本人」の姿をよく表していますよね。
「お気楽な日本人の典型」を自称する特派員によるレポートでした。
■ 参考:2016年4月12日付のPolitico.comの記事
この記事の主旨は、グローバル化(glovalization)についてです。後日、追記したいと思っていますが、興味と英語力のある方は、原文をお読みください。
http://www.politico.com/magazine/story/2016/04/globalization-japan-terror-insularity-213807