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心の声を聞く修行

いただきものの本「生きるコント〈2〉」 (文春文庫)がおもしろくて、一気に読みました。

その中で、大宮エリー氏は、コピーライター、CMプランナーとして活躍していた電通を7年後に退職した理由について、「理由はないけど、ふと急に、辞めようという気持ちが降ってきた」と言い、その気持ちが「降ってきた」きっかけについて、次のように語っています。

* * *

山ごもりしたり滝に打たれたりという修行を積んでいる行者に会ったとき、「自分の気持ちが一番大事ですよ。」と言われた。

そんなことは、所詮「理想論」だと思った大宮氏、「心のままにって、そんなの無理じゃないですか? だってそんなことしたら、会社員なんてしてられないっすよ。」と反論。

行者は微笑んで「それが心の声なら辞めればいいんです。心のままに直感を信じて生きれば、びっくりするぐらい幸せになれますよ」と答える。

わたしは普通の人だ。社会の中で折り合いをつけて妥協して生きていかないといけない。自分に正直に生きるなんて身勝手をしたら面倒なことになり、むしろ不幸になるのではないか。

さらに行者は、自分の気持ちに正直になる修行を勧めた。

その修行とは、「直感でいいから、いいなと思ったことを実践する癖をつけること」、たとえば「蕎麦が食べたいと思ったら、昨日も蕎麦だったとか野菜不足だとか考えずに、何が何でも蕎麦を食べにいく」ことだという。それを聞いた大宮氏は、修行といっても案外簡単だと思いながら、この行者に会ったことはすっかり忘れて暮らしていた。

その数週間後、深夜残業中に、会社で無性に蕎麦が食べたくなり、ふと行者の言葉を思い出す。

「あら! これだわ! じゃあ、おいしいお蕎麦を今すぐ食べにいかなきゃ!」

直感を信じて高速を走り、ラストオーダー5分前に、目当ての蕎麦やに入店。

さっきまで会社にいたのに今は手打ち蕎麦を食べている。確かにちょっと贅沢な気分。だが、こんなことが幸せへの修行になるのだろうか。

 

直感で食べたいと思ったものを食べるという「謎の修行」を続けていた大宮氏は、次に「花」だと思う。

花だ。心がそう言っている。暮らしに花。会社に花を。それから毎朝、ピンときた花を買って、デスクに飾るようになった。
(中略)
そしてある日、わたしは花を買いたいと思わなかった。欲しい花が浮かばない、その心に耳をすませたところ、こんな声が聞こえたのである。
「会社、やーめよっと」

* * *

「心に耳をすます」というのは、たしかに、こういうことでもあると思います。この修行を、わたしも日々実践したいものです。

がしかし、「お蕎麦が食べたい」という「心の声」を聞くのは、それほど難しくなくても、「会社を辞めたい」という「心の声」を聞くのは、とても難しいことです。こんな風にすっきりはっきり聞こえてきて、さらに実践にも移せるなんていうことは、実際には、なかなかないでしょう。

「会社を辞めたい」という気持ちには、たいてい「辞めたくない」という気持ちもついてきます。

大宮氏の言うとおり、「社会の中で折り合いをつけて妥協して生きていかないといけない。自分に正直に生きるなんて身勝手をしたら面倒なことになり、むしろ不幸になる」、面倒なことになりたくない。不幸になりたくない。つまり「辞めたくない」のです。「辞めたいけど、辞められない」というのは、正確に言うと、「辞めたいけど、辞めたくない」だと思います。

だから、自分の身体や心が病んだり、家族の中で問題が起きたりして、外の力によって強制的に「辞めさせて」もらわなければ辞められない、ということにもなるのです。

そういうわけで、やはり「直感で食べたいものを食べる」「直感で買いたいものを買う」「直感で行きたいところに行く」・・・という、「直感を信じる」修行は大切ではあるけれど、「それだけ」では足りない、それを補うひとつの方法が、精神分析だとわたしは思っています。

※引用は、「生きるコント〈2〉」 (文春文庫)収録の「行者のことば」より。

●おまけ●
著書の大宮エリー氏の名前は、この本をいただいて初めて知りました。1975年生まれで、脚本家、CMディレクター、映画監督、作家、エッセイスト、コピーライター、演出家、ラジオパーソナリティ・・・とたくさんの肩書をもつ、多才な売れっ子なのですね。

今年のはじめに渋谷で初めて開催された個展(「思いを伝えるということ」展)は、1万人以上を動員し、札幌に続いて、この秋(2012年9月~10月)には、京都でも開催されるそうです。

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