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悩みがなくても精神分析

「人間だから、悩みのひとつやふたつは当然あるけど、自分はカウンセリングとか精神分析なんてものとは無縁だ。」「自分のことは自分がいちばんよく知っているのに、他人に話を聞いてもらってもどうにもならない。」と、世の中の多くの人は思っています。でも、そう思ってしまうのはもったいないことです。

わたしたちは、今までに身につけた、特定の行動パターンや思考パターンを持っています。そのパターンには多かれ少なかれ偏りや不自然さがあり、改善する余地があります。(「世の中に、“神経症”でない人はいない。ただ、自分が神経症であることを知らない人が大勢いるだけだ。」と言われるゆえんです。)しかし、今まで慣れ親しんだパターンを変えることは、容易ではありませんから、いつも決まって同じような問題に繰り返しぶつかることになります。そんな「自分のあり方」をじっくり見つめ直すことによって、もっとラクに、もっと自分らしく生きることができるようになります。

そういうわたしも、自分はカウンセリングとか精神分析なんて“受けなくていい”と思いこんでいました。それで、「自分には必要があるとも思えないけれど、トレーニングだから・・・。」と思ってなんの期待も関心もなく分析を受け始めました。そして、始めるとすぐに「自分にとってこんな有益なことがあったなんて!」とびっくりしたのです。

精神分析やセラピーに対する抵抗感、あるいは関心の持てなさは、特別の悩みがない人にとっては当然のことかもしれません。たとえば、過去にユング研究所で学んだ秋山さとこ氏は、「チューリヒ夢日記」(筑摩書房)の中でこのように書いています。

精神分析というものについては、どこか怪しげなものだという漠然とした知識しかなかった。

自分の体験のために分析家を見つけて、いわゆる教育分析というものを受けるという話だった。いくら体験のためとはいえ、精神分析を受けるということには、いささか抵抗があった。しかし、それまでさんざん禅の世界でもまれてきた私にとって、自分自身の内的な世界に特に恐れるものはなにもなかった。それよりも、東洋人の心の深層を西洋人がのぞいた時に、どんな反応を示すだろうかという興味があった。もっとも、これはユング心理学を知る前の、私の気追った考えであることを、後に知るようになったが・・・。

山根はるみ氏については、別項目にも書きましたが、「私には、これといった問題はありません。楽天家だし、夫もいるし、子供もいる。お金に困っているわけでもない。それに夢もあまり信じられません。こういう私にも、何か効果はあるんでしょうか?」と宣言したという、上述のわたしに似た態度について、「まさに、自分のことは自分が一番知っていると思いこむ、ユングのいう、人生前半に適応しすぎていることのポーズをとった」と山根氏自身でコメントをつけています。

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