森瑤子氏が精神分析を体験したときのことが本(「夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場」講談社文庫)に書かれてあるのでご紹介します。以下、精神分析を扱った小説の、あとがき部分の対談からの抜粋です。(なお、本の中では「精神分析」に対して「セラピー」、「分析家」に対して「セラピスト」という言葉が使われています。)
森: 「この小説の書き下ろしの初めの頃と終わりの頃では、途中でセラピストのところへ通い出したということがあって、小説の内容もむろんそうですが、私自身の意識のあり方そのものが烈しく揺さぶられた、変動があったと言えますね、奇妙なことですが、途中で字まで違ってしまいましてね。小さなコロコロした字をずっと書いていましたのが、ある朝から、だしぬけに、マス目一杯はみだしそうだ字になったりして。今だにそのままです。いろいろな不思議な転換がありました。」
森: 「ちょっと取材しましょうなんていう感じで、セラピストにお会いしたんです。そうしたら、あの、不思議なんですけど、最初のその日から取材どころじゃなくなってしまった。結局、彼女のところに毎週通うことになってしまいました。丸々6ヶ月間通いましてね、それでその間にずいぶんいろいろ変わりました。顔が変わってきたとか。いままでの抑圧が全部解けて、自分の中にあるすごく悪意のある、黒々とした意識が出てくるわけですね。いろいろな不思議な布置が起こっていって、それを見つめながら小説を創るわけですが。
森: 夢なんかも、実に適切な時期に、大事な夢を見るんです。その時に見なければ何の意味もないのに、その時に見たので、非常に重要な意味をもつんです。夢というのは、無意識からの伝達ですから、映像の。二つの夢をある時期に見たことで、小説の結末が一瞬にして決まった。あれは本当に奇怪な体験でした。なにか自分で書いていて、自分の手じゃない、何か別の手が書いているっていう感じがかなりありましたね。」
森: 「ものを書く人間としては、すごく興味ありました。セラピーを受けている時の自分を、観察するみたいな冷静なところもありましたしね。」
聞き手:「自分で話すと解放されるわけですか?」
森:「そのときはすぐ解放されなくて、ものすごく惨めで、家に帰って布団かぶって寝ちゃうような感じなのね。むしろ話せば話すほど、言葉にしちゃうと何か違ったものになってしまうという感じがして。・・・(以下、略)」