「ペルソナ」に対して、周囲や自分の期待に「合わない」、不道徳だったり、いやらしかったりするネガティブな性質は、どんどん「影」の領域に押しやられていきます。たとえば嫉妬や妬みや憎悪などといった否定的な感情は、自分でも受け入れるのがたやすくはありませんし、できれば見たくありません。また一般的には悪くなくても、自分の属する文化や社会の中で認められなかったり、自分の価値観やイメージに合わないために意識から押しやられてしまうこともあります。
この「影」の領域には、自分や身近な人だけは知っている「人さまには見せられない部分」もあります。お酒の席で、意識のコントロールがきかなくなった拍子にそういう部分をちらりと見せてしまったりもするでしょう。でも、「影」の大部分は「自分でも知らない」要素なのです。なぜなら、「影」の領域には、自分で意識して押しやったものだけでなく、「知らず知らずのうちに」押しやられたものが詰まっているからです。
そんなネガティブなイメージをもった「影」ですが、臭いモノとしてフタをしておけばよいかというと、そうでもありません。「影」は押さえつけて見ないようにしている間、つまり無意識にいる間は、暗くて恥ずかしくて醜いモノでしかないのですが、いざ、意識という光をあててやってみると、意外とそんなに悪いヤツでもなかったりするのです。それどころか、ここに「自分の潜在的な力」が隠されていたりするんです。「影」は、現実の世界で生命力を与えられていない、言ってみれば「生きられていない自分の一部」なので、その「影」を自分の意識に取り込むことによって、今までの自分に新しい要素が加わって、より豊かな自分になれるとも言えます。これは(ユング派の)精神分析のひとつの重要なテーマです。
分析を受け始めると、ほとんどのひとがこの影の問題にぶち当たる。自分の生きてこなかった半面、いわば自分の黒い分身は、夢のなかでは、自分と同性の人間として現れることが多い。
河合隼雄「ユング心理学入門」より