(2021/2/12更新)
ヌミノーゼ(Numinöse)とはドイツの神学者ルドルフ・オットー(1869-1937)が定義した概念である。
合理的に発達した宗教の核心には、非合理的なもの――感情や予覚による圧倒的な「聖なるもの」の経験が存在する。オットーはその本質を「ヌミノーゼ」と呼んだ。
オットーは『聖なるもの』(1917年、邦訳 岩波文庫)の中で、真・善・美の理想を求めるカント的理性宗教に対して、非合理的かつ直接的な経験こそが「聖なるもの」であると述べた。これを、ラテン語で「神威」を意味する”numen”から取った”das Numinöse”という造語で規定した。神への信仰心、超自然現象、聖なるもの、宗教上神聖なものおよび、先験的なものに触れることで沸き起こる感情のことを指す。
ユングは、1937年にヌミノース(ヌミノス)についてこう述べている。
(以下、「ユング心理学辞典」からの引用。)
・・・意志という恣意的な働きによって引き起こしえない力動的な作用もしくは効果である。逆に、ヌミノースは、人間という主体を捉え、コントロールする。つまり、人間がそれを創り出すというよりも、つねにその犠牲になっているといえる。ヌミノースは、その作用の源泉がいかなるものであろうと、主体の意志にかかわりなく生じる経験である。
・・・ヌミノースは目に見える対象に帰属しうる性質でもあれば、目に見えない何ものかの現前がもたらす影響でもあり、意識の得意な変容を引き起こす。
C.G. ユング (CW 11, para. 6)
ヌミノースは、説明できないものであるが、神秘的で謎めいているにせよ、深く印象的なメッセージを個別にもたらすと考えられる。
ヌミノース的なものは、克服できるものではなく、ただそこに自らを開くことができるだけである。しかし、ヌミノース経験には、強制力をもった莫大な力を経験すること以上のものがある。つまり、この経験は、それまで明らかになったことのない、魅惑的で運命的な意味を暗示する力に直面することでもある。
ユングは、ヌミノース経験は、非常に深い体験であり、単に記述しただけでは、その影響力を伝えれらないと述べている。
現代の人間性心理学では、「至高体験」とも呼ばれる。
秋山さとこが「聖なる次元」の中で引用している箇所はここ。
激情に襲われ、情動がもりあがる時、そこには常に背理的な事実や事情がみいだされる。そして究極的には合理をこえる心的な要因に直面することになる。これにうち勝つことはできない。なぜならば、それは私の力をはるかにこえる存在であるからだ──換言すれば、そこで我々がであうものは、ルドルフ・オットーが「戦慄すべきもの」、そして「魅するもの」とよんだヌミノーゼ感情の特質なのだ。私はそこで、ただその意義を信じ、心を開いてその感情に身をまかせるより他はない。
C.G. ユング (CW 11)
参考文献
● 聖なるもの (岩波文庫) 文庫 2010, オットー (著), 久松 英二 (翻訳)
● ユング心理学辞典 1993