藤井風はデビュー初期の「帰ろう」から一貫して、死を「帰還」や循環としてポジティブに描いているが、そこには、古代日本の死生観 ── 死と生の境界の曖昧さや死者との共在、自然循環による再生 ── が反映されている。精緻に作りこまれている「満ちてゆく」のMVも合わせて紹介したい。(2,100文字)
チャットボットに聞きながら調べたことを中心にまとめました。
Contents
古代日本の死生観の特徴
縄文時代には、死を永遠の消滅ではなく生と連続する一時的な魂離脱状態と捉えた。 仏教伝来後も日本では、浄土(極楽往生)より祖先信仰(死者供養・祖霊崇拝)が強く、死は終わりではなく循環の一部だとされたが、その生死一如の円環的視点は、藤井風の死生観に通じるものである。
藤井風の歌に見られる死生観の深化
帰ろう(2020)
死を「何も持たずに帰ろう」という清々しい旅立ちとして表現。
”わたしのいない世界を
上から眺めていても
何ひとつ 変わらず回るから
少し背中が軽くなった”
花(2022)
枯れていくことから再生の循環を描き、死を自然のプロセスとして深化。
“枯れていく
今この瞬間も
咲いている
全ては溶けていく”
まつり(2022)
「生まれゆくもの死にゆくもの すべてが同時の出来事」とし、死を一瞬の出来事としてではなく命の全体同時進行として位置づける。(古代の生滅同時性/精霊の永続循環を反映。)
満ちてゆく(2024)に見られる死生観
「手を放す、軽くなる」で充足へ移行、生死を超える永遠のつながりを強調。
走り出した午後も
重ね合う日々も
避けがたく全て終わりが来る
明けてゆく空も暮れてゆく空も
僕らは超えてゆく
変わりゆくものは仕方がないねと
手を放す 軽くなる 満ちてゆく
やがて生死を超えて繋がる
共に手を放す 軽くなる 満ちてゆく
「満ちてゆく」のMVストーリー
「満ちてゆく」のMVには、人生の最晩年のストーリーが描かれており、歌詞の「避けがたく全て終わりが来る」、「手を放す、軽くなる」を視覚化し、生死を超える母の愛で「満ちてゆく」ことを強調する構造となっている。
明らかに相当な時間と製作費をかけて、とても精緻に作り込まれているので、関心のある方は、以下を頭に入れた上で鑑賞してみてください。
冒頭の囁き(藤井風による英語ナレーション):
“Things change, and we can do nothing about it / just letting go, feeling lighter, and becoming filled / Overflowing
(物事は変わりゆく、それに対して何もできることはない、ただ手を放し、軽くなり、満ちてゆくだけ)
人生の晩年シーン:
老人(特殊メイクの藤井風)がノートに書いているのは、最愛の母のこと。
施設で仲間と語らい、ピアノを弾く穏やかな日常だが、時おり母の幻影が見える。
回想シーン:
希望にあふれ意気揚々と社会に出た日、アルコール、葛藤、挫折などの暗い日常が交錯する成人期のフラッシュバック。
少年期の回想は母親と訪れたピアノハウス。
母との別れ。墓地。教会。
クライマックス:
冒頭で雪の中を必死に車椅子で進んでいた孤独な老人は、目指していたアートギャラリー(母との思い出のあるピアノハウス跡)に到着。そこには母親の肖像画がある。教会で「手を放す」ときの彼は、すでにその老いた肉体を離れているらしい。
ラストシーン:
机上で力尽きた老人に、若い母親の幻影が毛布をかける。あの世からの迎えに優しく包まれ「満ちてゆく」充足で終幕。
藤井風のお母さんってどんな人?
「満ちてゆく」のMVを見たら、藤井風のお母さんについて知りたくなりました。
藤井風の母親は、父親と共に岡山県里庄町で家族経営の喫茶店「ミッチャム」を営んでいた。藤井風は「母の温かさ」について、インタビューで繰り返し語っており、彼にとって母親は精神的な支柱であった。東京デビュー後、プレッシャーで苦しんでいたときも、母に電話して励まされたという。
家族中心の強い絆は、藤井風の創作の原動力であり、彼の「家族感謝」発言も知られている。
藤井風は、現在も故郷に頻繁に帰省し、日常的に支え合う家族関係が続いている。

仏になった釋美風に捧ぐ
藤井風の死生観は、このあとPrema(2025)でさらに展開するのだが、今回、「満ちてゆく」を中心にまとめたのには理由がある。「満ちてゆく」は、藤井風推しの倉敷の親友が、家族といっしょにとーなん実家に来たときにピアノで弾いて、親友の のど自慢息子がその伴奏で歌ってくれた楽しい思い出の曲なのだ。
親友は、わたしを「ミッチャム」に案内してくれた3週間後の2025年11月8日に、クモ膜下出血でこの世を突然去った。親友一家もまた藤井家同様に、強い絆で結ばれた家族だった。
「手を放し、軽くなる、満ちてゆく」、これはユングの語った死のイメージと深いところで響き合うものがある。死して、美智子さんは美しい風になった。アイヌ語ではピリカレラカムイ。
手を放し、軽くなって、この世界に満ちていく美しい風という戒名をつけたご家族同士の関係の深さを思う。
(ユング派分析家の同僚にもらった言葉)







