最近、教えてもらって知った「宇宙兄弟」のアニメ動画を息子と見始めて、息子より夢中になっている。
「宇宙兄弟」は、講談社『モーニング』に2008年から連載されている小山宙哉原作の人気漫画。2020年2月現在、36巻まで既刊。アニメ動画は、2012-2014にテレビで放映されたもの。2012年には実写映画が、2014年にはアニメ映画が公開された。
宇宙の専門家に実際に聞いた話
「宇宙兄弟、見てるよ。」と知り合いの宇宙の専門家に話したところ、NASAやJAXAの内部事情に精通している彼は、漫画の作者や編集者から取材を受けたこともあると教えてくれた。
彼はかつて宇宙飛行士の選抜試験も受けたことがあるそうで、その反面、「実は、ほとんどの科学者は、有人宇宙飛行は科学にとっては無駄だと思ってるんだよね。」とも言った。科学者である彼のこの矛盾ともいえる話を興味深く思っていたところ、それとちょうど重なる話が、アニメの第13話に出てきた。
「宇宙兄弟」第13話
辛口コメントが売りのニュースキャスターが、テレビ番組の中で言う。
「宇宙開発って、ものすごい予算を使ってますよね。
それもわたしたちが払っている税金。
無人ロケット1回で200億、人を打ち上げるとなると1回で600億、その割に有人飛行での科学的成果が見られていないんです。地球上に解決すべき問題が山積みなのに、そんなことにお金を使うのはどうかとわたしは思うわけです。」
このコメンテーターが言うことは事実なのだが、この発言を聞いた視聴者が宇宙開発を軽視するようになるのは、JAXA(ジャクサ:宇宙航空研究開発機構)としては困る。はたしてこのコメンテーターにどう反論すべきかという課題が宇宙飛行士選抜試験で勝ち抜いてきた志願者たちに出される。
ここでアニメに、元宇宙飛行士の野口聡一氏が登場する。(主人公の回想場面。)
野口聡一のたとえ話、三次元アリ
地球上に環境、人種、経済、いろいろな問題があるのに、なぜ宇宙に行かなければいけないのか。
野口氏は、アリのたとえ話で、この問いに答えた。
アリの行列を思い浮かべて、自分がその中の一匹のアリだと想定する。
このアリたちは、直線の上を前か後にしか歩いたことのない「一次元アリ」である。
何かの拍子に線の上に石でも置かれたら最後、このアリたちは、それ以上、先には進めない。一次元アリにとって、これは世界の終わりを意味する。
そこに、前後だけでなく左右にも動ける「二次元アリ」がやってくる。
これ以上先には行けなくて立ち往生している一次元アリたちに向かって、「前か後にしか進めないなんて、誰がそんなこと決めたんだ?」と、直線の道をそれて、石をぐるっと迂回することができると教えてくれる。
一次元アリたちは二次元アリに従い、また先に進めるようになる。
ところが今度はアリたちは、横に延々と続く壁にぶつかってしまう。
二次元アリも壁の向こうに行けない。
二次元アリにとっても世界の終わりだ。
そこに、上下にも進める「三次元アリ」がやってきて、壁を登って、壁の向こう側に行けることを教えてくれる。
アリたちの世界はまた続く・・・。
アニメの野口聡一氏のいわんとするのは、上から見たり、下から見たりする、つまり別の視点から見ることが新しい解決策につながる。宇宙に人間が行くことは、たんに遠くの星に行くということではなく、新しい視点で地球の問題を見ることだということだった。
アニメの野口氏は言っていなかったが、宇宙飛行士は三次元アリの中でも羽がついて飛べる特別なアリだともいえる。
シンプルながら、いろいろ連想をかきたてられるたとえ話だと思う。
自分は何次元アリか
さて、自分は何次元アリだろう?
わたしについて言うと、現実的なところでは、外国暮らしをしながら、日本人の自分が「一次元アリ」だったことに気づくことは多い。
日本人としての常識を守り、直線の道からはみ出さないように気をつけながらきっちり歩いていて、ふと周りを見ると、誰も線の上を歩いていない。「あ、右か左っていうのも有りなんだ!」「え、さらに上や下にも行っていいの?」という体験は無数にある。
仕事に関連していえば、自分が精神分析を受けたことで、多少なりとも「一次元アリ」を脱したと思えるし、「一次元アリ」の世界観の中で苦しんでいるクライエントと仕事をすることもある。
一次元アリの世界観で苦しんでいる人は、直線の道の、前か後ろにしか行けないと思い込んでいるので、障害物が置かれて直進できないとなると「世界の終わり」がやってくる。
道を外れて、右や左に進むこと、まして上や下にまで動いてもいいなんて想像もつかない。そんな想像をした瞬間に、こんな感じの人に叱られるのだ。
指を振りながら、正当論で責めてくるこの人に、「道は前後にしか続いていないわよ。まっすぐ前だけ見て進みなさい。それができないあなたは負け犬ね。」と断言されると、ぐうの音も出ない。
いうまでもなく、この人は、わたしたち自身の中にもいる。精神分析用語では超自我といわれる、自分の中の厳しい検閲機能である。(超自我については別ページで解説した。)
いちばん書きたかったことにまだたどりついていないのに、すっかり長くなってしまったので、ここでいったん終わろう。
余談だが、このコラムを書いているとき、日本語のわからない外国人夫がわたしのパソコンをのぞきこみ、上のコメンテーターを指差して、「あ、これ君にそっくり!」と言って通り過ぎて行った。