詩人リルケ(Rainer Maria Rilke)は、詩人志望の若者に宛てて、こんな手紙を送っています。
みずからの内に入りなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深く探ってください。・・・もしもあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に問うてください。・・・わたしは書かなければならないか、と。そしてもし、「わたしは書かなければならない。」という力強く単純な一語で、その真剣な問いに答えることができるなら、その時、あなたの生涯をこの必然に従って打ち立ててください。あなたの生涯は、どんなに無関係にみえる一寸のことにいたるまで、すべてこの衝迫の表徴となり、証明とならなければなりません。(高安国世、訳。一部改変。)
この箇所を引用しながら、伊藤俊樹氏は続けています。
リルケのこのことばは、そのままリルケ自身と詩作との関係を物語ってもいる。芸術家が、このような自己の内部に生まれる衝迫的な力に衝き動かされて生み出した芸術作品は、古来人々に大きな感動を与えてきた。芸術作品を生み出すという意味での、そしてまた、その芸術作品を享受するという意味での芸術体験が、人々にある転回点をもたらしてきたことは、疑い得ない事実である。
このように、人間心理に大きな影響力をもつ芸術が、「癒し」となんらかのかかわりをもっていることも、不思議ではないだろう。
(培風館「心理臨床大事典」より)
「みずからの内」を深く探り、その要素を、葛藤しながらいかに表に出していくかということは、精神分析の課題でもあると思います。そして、芸術家でなくても、主体的に自分の人生を生きていくためには、どんな形であれ「みずからの内」を探ることが必要になってくると思います。
なお、「若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)」は、リルケの誠実な返答や芸術についての鋭い考察などによってよく知られていますが、アマゾンのカスタマーレビューによると、かつて、マリリンモンローも、こんなことを言っているそうです。
ライナーマリアリルケの『若き詩人への手紙』という本にはとても力づけられた。あれを読まなかったら、私はいつか
本当に頭がおかしくなっていただろう。
――― 「マリクレール」1960年10月号 (『インタビューズ』より)
Kindle版には、「若き詩人への手紙」だけが収められています。