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飼い犬の心、飼い主知らず:投影による大いなる勘違い

昔の飼い犬は「ペット」ではなかった by モオさん

とーなんさんのこのコラム、元記事も合わせて読んで、いろんなことを思い出したり考えたりしました。

今「ペット」を買う人たちと、昔、犬を飼う人たちとは、目的が違っているのかもしれませんね。

知り合いの精神科医が、生前、「最近の親は、子供をペット化するようになった」と話していたのも思い出します。

「犬はあくまで動物であり、常に本能で動いている。人間側の一方的な思いや価値観で犬と接してはいけない」の箇所ですが、ひと昔前の日本のことを思い出すと、大の犬好きで、ブルドッグ7匹の“持参犬”付きで結婚したという叔母でさえ、人間側の一方的な思いや価値観で、犬と接することはなかったです。

長生きして叔母と苦楽を共にしたそのうちの1匹が亡くなった時は、棺に手紙を入れたそうですが、それは叔母の気持ちを整理するためだったような気がします。

私の実家では、私が子供の頃からこの犬好きの叔母から貰ったり、いつも数匹の犬を庭で飼っていましたが、ペットという感覚ではありませんでした。誰も躾もしないし、教えませんから芸もできませんでしたが、無駄吠えしたり人に噛み付いたりすることはなかったです。今でも、妹が飼っている柴犬はそんな感じです。

でも、晩年の両親が初めて室内犬として飼っていたチワワは違います。父が亡くなったあと、コーヒーが好きだった父のために母が毎朝仏壇に供えたコーヒーを犬が飲むので、母が気持ち悪がっていました(笑)。

父の最期の頃は、夜も父から離れようとしなかった犬ですが、丁度父の3回忌のすぐ後、朝起きたら、亡くなっていたそうです。

母も妹も姪たちも、犬の葬儀場でみんな父の時より号泣して、あまりにみんな泣くので、笑うくらいだったと聞きました。

モオさん談

人間は傲慢な動物 by モオさん

コラムの内容からは逸れますが、これを読むと人間は本当に傲慢な動物だと思います。

今や、時代はペットブームである。イヌは獲物も獲らず、番犬として吠えることも少ない。イヌの多くは、愛玩犬として人間にかわいがられることを主な仕事としている。

日本には、子どもの数よりもイヌやネコの数が多いと言われるほどのペットが住んでいる。イヌがこんなに繁栄した時代はないだろう。

ペットショップではかわいい子犬が売られ、まるでおもちゃを選ぶかのようにして毎日たくさんのイヌが買われていく。愛玩犬であるイヌたちに求められるのは「かわいらしさ」であり、生後間もない子犬のうちに売れなければ、売れ残りとなる。

売れ残りたちに待っている運命は、殺処分である。幸いにして買われていったイヌたちも、大きくなれば買ってきたときのような子犬のかわいらしさは失われていく。中には、おもちゃのように飽きられて、必要とされなくなってしまうイヌもいる。

そんなイヌは「動物愛護センター」へと譲渡されるが、そこですべてのイヌたちが愛護されることはない。イヌとネコをあわせると、日本だけで年間五万頭が殺処分されているという。

「生き物の死にざま」稲垣栄洋(2021)

とはいえ、戦争とかコロナとか、見方によれば、人間だって殺傷される家畜と同じかも。仏教的に考えたら「命」は、変わりないのかもしれないですが。

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