あやしいスピ系とあやしくないスピリチュアルの違いについて関心をもっていたところ、紹介してもらった「宗教嫌いの帯津医師 30年以上観音さまを崇める深い理由」(週刊朝日2020年11月20日号に掲載)から考えるヒントをもらった。(1,400文字)
帯津良一の宗教観と観音像
ホリスティック医学の提唱者帯津良一(おびつ・りょういち)氏は「宗教にあまり関心がない、というより好きではない」のだが、ここで語られている”宗教”は制度化された限定的なものを意味している。
宗教は霊性を制度化しようとする。宗教の名においておこなわれていることの多くは、個人の安寧というよりは制度の永続化にかかわるものである。宗教的であろうとなかろうと、人は霊的な生活をいとなみ、霊性の健康におよぼす影響を探究することができるのだ。
「心身自在」(アンドルー・ワイル著, 上野訳, 角川文庫)より
この引用をしながら帯津氏は、制度的な宗教は好きではない反面、30年来大切にしている中国みやげの観音像や講談師にもらった観音様の絵があって、毎朝、観音像の前で白隠禅師のお経を唱えるような霊的な生活をしていると語っている。
スピ系とスピリチュアル
さてスピリチュアルなことに関心を持っている人を「スピ系」と呼ぶことがあるが、ネガティブなニュアンスで語られたり、「カルト」とつなげられたりすることも多い。先日も小林麻耶が「スピ夫」に洗脳されていると話題になっていた。
霊性(スピリチュアル)は、どんな人にも備わっている性質といえるし、「スピ系であろうとなかろうと」年中行事や儀式をしたり敬虔な気持ちで神社仏閣へ参拝したり、財布の中にお守りが入っていたり、ほとんどの人は大なり小なりスピリチュアルな生活をいとなんでいる。
あやしいスピ系と、一般的に馴染みのあるスピリチュアルの違いはなんだろうか。霊性を重んじる帯津氏が好きではない”宗教”の話を読みながら浮かんでくる排他的、ピラミッド構造、お金…などはあやしいスピ系のイメージにも合致する。その他、スピリチュアルに傾倒しすぎることで現実から離れて行ってしまうと「あやしいスピ系」に認定されそうだし、実際スピ系の中でもとくに「ふわふわスピ」と揶揄されるカテゴリーは現実逃避を特徴とする。
虚空、セルフ、ハイヤーセルフ
ところで帯津氏が、観音像の前でお経を唱えるのは願い事をするためではなく、「虚空」とつながり、虚空と一体になるためだという。
白隠禅師は弟子たちに「虚空と一体になれ」と言い続けました。虚空とは私たちの霊性の源です。私たちの霊性つまり「いのち(SPIRIT)」は虚空から来て虚空に帰るのだと思います。実は私にとって、観音さまは虚空を体現するものなのです。観音さまの前で「延命十句観音経」を唱えることで虚空とつながることができます。(中略)いずれ虚空と一体になれるのではと期待しています。
帯津良一(出典前掲)
スピ系では虚空をハイヤーセルフと呼んだりするようだし、ユング教では自我(エゴ)に対する自己(セルフ)と呼ぶ。どれも似たようなものを指しているのではないだろうか。(ユング教は少しも排他的ではないので、信者を続けやすい。)
スピ系とスピリチュアルは紙一重のようにも感じられるし、スピ系の人たちもいろいろと興味深いことを言っている。そういえばスピ系の人たちの話を聞いてみるとユング心理学用語もよく出てくるんだった。
参考ニュース:
●小林麻耶の洗脳は末期状態。「子宮系カルト」傾倒で精神崩壊 不測の事態も(2020/11/16)
●小林麻耶「子宮にパワーストーン」の哀れ。スピ夫が洗脳 芸能界追放の危機に(2020/11/13)
