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出光興産創業者佐三の娘、出光真子とユング心理学:女であることの桎梏

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出光真子の映像作品とユング心理学

出光真子の作品は料金面で簡単には手の出ない文芸作品のため、わたしも観たくても観れていない。しかし作品の解説や評論からわかることや感じることも多いので、ここに整理してまとめておこうと思う。なおこのページの終わりに掲載しているインタビュー動画内で、作品の一部が紹介されているので出光真子作品の雰囲気はわかる。

評論で見る概要

出光真子が映像制作を通して自らを解き放とうと試みたとき使われたのがユング心理学の概念だった。少々長くなるが、まず概要を把握するために評論の引用から始めたい。

出光真子は、深層心理―内なる他者を写し出すもう一つのビデオモニターを画面の中に置き、抑圧された日本の主婦の心理、家や夫や息子へのさまざまなコンプレクスや葛藤をユング心理学的分析に基づき、ホラーホームドラマとして制作した。

長谷川裕子(東京都現代美術館 事業企画課長)

出光真子が早くからユング心理学に興味を持ち、「影」「アニムス」「グレ−ト・マザ−」(いずれも彼女の作品タイトル)などがユング心理学のキ−概念であることを知っていた方がいいかもしれない。心の深層(無意識)は言葉や論理でなくイメ−ジに支配されるという。そのイメ−ジを「視覚化=意識化」し、演劇的に提示する手段として画面内モニタ−が使われたのだ。ユングはたとえば夢に現れる無意識のイメ−ジをさまざまな「元型」を通して理解したが、出光真子の「物語」の導入や「心像」としての画面内モニタ−の登場もユング心理学との関連で考えることができる。

(中略)

現実を下敷にしていてもあくまで(女性の側から見た)「心のイメ−ジ」「心の神話」が主題なのだ。スト−リ−にしても重要なのは、原因から結果へ向かう物語の展開やサスペンスではなく、その底にある関係性の全体、ユング心理学でいう「コンステレ−ション(布置)」の方である。出光真子が一見ステレオタイプな人物を使って似たような物語をくりかえしビデオ化してきたのは、日本社会の女性像・母子像をめぐる「元型」に辿り着きたかったからではないだろうか。それは、普遍化された元型的スト−リ−(神話、民話、昔話、童話などのような)を獲得しようとした困難なプロセスに思えるのである。この点でもユング心理学から彼女の手法を考えてみる必要性があると思う。

「心の神話 出光真子の映像世界」西嶋 憲生

ユングの”シャドウ(影)”を扱った作品

「シャドウ パート1、パート2」

自分では認めたくない欠点を他の女性の中に見つけて他人ごとのように噂をしあう主婦たち。
日常のできごとの中に現れるシャドウ(影)の概念を映像化した作品。”

作品解説より

ユングの”アニムス”を扱った作品

「アニムスパート1、パート2」

女性の中の男性的なもの、ユングの概念のひとつ「アニムス」を表現している。「アニムス」は善悪両面を持っているが、偏見、かたくなな態度といった悪い面が現れる様を女性の会話や行為の中で示している。

作品解説より

「Inner-Man」

着物姿で舞う女性に、裸で踊る男性像がオーバーラップする。 心理学者ユングのいう彼女の心の内にある男性的なもの「アニマス」を描いている。

作品解説より

和服で日本舞踊を踊っている日本女性のカラーの映像の上に、白人の素っ裸の男性が黒白の映像でモダン・ダンスを踊っているのが重ねてある。精神分析学者ユングの説く、女の心の中にも男性的な要素があるという考え方の影響のようであるが、単純に意表をつく合成や対比として面白いし、自分の中にもうひとりの自分がいるという、人間のかかえる矛盾をズバリ映像化したものとも言えるだろう。

「個人映像の志」佐藤忠男 (ビデオ SALON, 2005/8月号)

ユングの”グレート・マザー”3部作

「グレート・マザー ゆみこ」

知的で冷静、ものわかりがよく協力的な母と、男達の間をさまよう娘。娘の求めているものは泥臭い母の温もりなのだが…..。

作品解説より

「グレート・マザー 晴美」

登校拒否をする娘の深層心理に影響を及ぼすグレート・マザー。母親の支配から逃れようとする思春期の少女に特有の葛藤を描いた作品。

作品解説より

「グレート・マザー 幸子」

精神的に娘を抱え込む母親、依存する娘、そして疎外されアルコールに依存する夫。密着した母と娘の姿を通して母性の持っている暗い闇を描いている。

作品解説より

息子をマザコン男にする母親たちの作品

息子は、企業戦士で家父長的な夫に対して無力だった母親を同情する。心理的に息子を所有した母は、その結婚生活を支配する。持てる力を歪んだ形でしか使えない女の状況・・・(「やすしの結婚」作品解説より)

幸福にしてくれるはずだった夫に失望して、息子に代りを求める母親。せつなく悲しい二人の背後に映し出されるものは?(「洋二、どうしたの?」作品解説より

女性の自己実現を扱った作品

●「清子の場合」
主婦という役割におさまりきれないエネルギーを持った女を日常生活は凶器となって追いつめていく。自己表現の道を閉ざされた画家志望の女の悲痛な叫びを描いた傑作。抵抗の物語は自殺で終わる。
(1991年にモンディアルビデオ祭で最優秀実験作品賞、1992年にシモーヌ・ド・ボーボワール・フィルム&ビデオ祭で奨励賞を受賞した作品。)

●「加恵、女の子でしょ!」
シモーヌ・ド・ポーボワールの「第2の性」から着想し、芸術家カップルに起こる問題を描く。加恵が自分の制作のための時間とエネルギーを家事や雑用に使い、夫の制作が優先されていく背景には、子供時代にうけたしつけなどが心理学的な要因となっている。女なら誰でも思い当たる“女の子でしょ”の一言、一度はそれに負けてしまうのだが、自己の制作意欲を見つめなおし打ち勝っていく・・・。(作品解説より)

●「At Any Place 4 ヨネヤマ・ママコ作『主婦のタンゴ』より」
「あけてもくれても台所で皿を洗う…。」という歌詞で始まる、75年の国際婦人年のために自作自演したヨネモト・ママコの伝説的パントマイム「主婦のタンゴ」と出光の映像イメージをオーバーラップをさせた全女性必見の作品。
(第9回シニア女性映画祭・大阪2020で上映されるのはこの作品。)

●「主婦たちの1日」
中流階級の主婦たちの自己確認を心理療法の箱庭を思わせる画面で見せる。(作品解説より)

●「Something Within Me」
意識と無意識の間を漂う出光真子の情感をとらえている。(作品解説より)

●「Woman’s House」
一軒の家の中のやたらきれいで艶っぽい装飾のある壁や階段をなめるように撮ったもので、そこには乳房の模型みたいなものがベタベタ貼りつけられていたりして、ちょっと薄気味が悪く、そこで今、女であるということの条件が、この撮り手にとってなんとも耐え難い桎梏のようなものとして感じられていることがピンとくる。豊かそうだが閉鎖的な空間の自由のなさ、息苦しさが見事に暗示されていた。(佐藤忠男)

動画で見る出光真子

出光真子は2020年現在80歳だが、2008年68歳のときにアメリカで自分の作品について語っている動画(英語)を見つけた。

出光真子(2008)

https://vimeo.com/43020236

全部で6分の動画で、3分のところから「英雄ちゃん、ママよ」(1983)の一部が再生されて作品の雰囲気がわかる。最初この作品のイメージ画像を見たときはコメディかと思ったが、ビデオに映った息子に語りかけ、食事を準備する母親の姿は、たしかに相当にブラックなホラーホームビデオだ。

1980年代のはじめ、家庭向けのビデオが売りに出されて、販売合戦が華やかに繰り広げられた。一方、母と子の関係、特に子離れできない母親の問題が語られていた。「ビデオも子どもも、専業主婦の空白を埋める道具になる」と私は思い、「ホームビデオを作りませんか」の宣伝を聞きながら「ブラック・ホーム・ビデオ」を意図して、この作品を創ってみた。 内容は、ビデオを小道具に使い、息子が転勤してしまった母の、狂おしくも悲しい言動を描いている。

「英雄ちゃん、ママよ」作品解説より

小さい頃からうちの家庭内で父が、ブラック・ユーモアを奨励していたようなところがあります。気の利いたことを言うと「偉い、偉い」といって誉められるから、母や兄、姉妹のなかでも競って言っていました(笑)。

2009年出光真子インタビュー記事より)

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