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人生の午前と午後:ユングによる大人のライフステージ4段階

(最終更新日:2021/4/20)面白かった英文記事を拙訳した。(3,000文字)

もしこれほどの長い寿命になんの意味もなかったら、人間という種族は70、80まで生きなくてもよいだろう。人生の午後にも意味があり、それは午前に対する哀れな付け足しにすぎないものではない。

人生の午前には、個人として成長すること、外の世界や社会とつながりをもつこと、子供を産んだり育てたりすることなどが重要であることは疑いもない。それは明白な自然の目的といえる。

しかし、こうした目的が──往往にして必要以上に──達成されてもなお、もっとお金を稼ぎ、もっと競争し、もっと生活レベルを上げるために奮闘すべきなのだろうか。

「午前の法則」や自然の目的を午後にまで持ち続けたとき、人は必ず自分自身のたましいを傷つけるという対価を支払う。それは、子供っぽいわがままさを持ったままで大人になろうとする若者が、社会的な場面で失敗することで対価を支払うのとまったく同じなのである。

カール・ユング

上手に訳せなかったので補足すると、「自然の目的」からすると、人生の後半は”無用の長物”ということになる、ということです。

ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」で示されたライフステージと同じように、ユングもライフステージを年齢で区切ることはせず、人それぞれの発展にしたがって分類している。あるステージからあるステージへとあちこち飛び移ったりもするが、ユングは、我々がどこに向かうべきかという観点から指標を示している。

ユングの4つのライフステージを参照しながら、今、自分がどの段階にいるのか、そして次にどこに向かうべきかを考えてみたい。

1. アスリート The Athlete

ナルシシスト(自己愛人間)は、この段階に留まっている人たちである。この段階では人は自分のことばかり考え、外的なことは気にしても自分の内面には無関心である。鏡の前で長い時間を過ごすが、内面を見つめることはしないのである。

ユングによると、これは、(大人の)ライフステージとしてはいちばん低い段階で、ティーンエイジャーから青年期にかけて身体的変化を経験するときに始まる、容姿を非常に気にする段階である。残念ながら、一生このステージから脱することのない人たちもいる。

幼年期と最晩年期は、当然ながらそれぞれまったく異なる時期ではあるがそれでも共通点がある。それは、両時期にいる人たちは無意識的なこころの動きに同調して生きていることである。

子どものこころというのは無意識から現れてくるものなので、その心的過程を把握することはたやすくない。それでも、それよりもっと把握が難しいのは、(いったん意識の世界を生きたあと)ふたたび無意識の領域に降りて行き、その中で徐々に消えていく最晩年期にある人たちのこころである。

幼年期と後期高齢期は、意識的な問題のない人生の段階といえる。

カール・ユング

ですから、ユングのライフステージ4段階には、幼年期と最晩年期は含まれていないということですね。

2. 戦士 The Warrior

成人初期には、アスリートの段階にいた人たちの多くはその段階を過ぎ、こんどは戦士としての責任を背負うようになる。

ここでいう戦士とは平和を守る存在というより、戦士元型(Warrior Archetype)が表すような、周りを打ち負かしたり、ゴールを設定してそれを達成することで抜きん出た存在になろうとするような戦闘モードの猛々しさをもったものである。常にベストであることを目指し、ベストを所有するために、前進し続け勝ち続けようとする。

To be the best, to have the best, to go forth and conquer!

この段階では人は常に他者よりもたくさん得ようとするのだが、ユングは、この段階は、”大人になったときに我々に投げつけられた人生の試練”から始まっているものだと言う。

「あなたは大人になりましたね、ハイ、この試練をどうぞ!」と投げつけられた試練ボールを有無を言わず受け取るしかない、というイメージですが、日本では子供のうちからこのボールをもらう感じかもしれませんね。

これを聞いて、わたし自身を含む多くの人たちは、目標を設定してそれを達成しようとすることのどこが悪いのか(それは、賞賛に値する態度ではないか)と思うだろう。

物質的な欲求に焦点が当てられることの多いこの戦士のライフステージは、もっとも頻繁に人々が再訪するステージであることは注目すべきである。新しい目標設定をしようとするときはいつも、我々は、戦う戦士モードに戻っているのだ。

つまり、せっかく次のステージに進んだ人たちも、またこのステージに戻ってきて目標を設定して頑張ってしまうということです。
心当たりがある人が多いのではないでしょうか。

3. 表明 The Statement

やがて成人期が進んで親役割が始まる頃には、自身のために奮闘する戦士モードを越え、人のための存在へと成長する。子育てを通じて体験するだけではなく、物質的に満たされるよりもっと深い何かがあると理解するステージでもある。

この時点においては自己中心性は消滅し始め、他者に尽くしたり奉仕したりする人生に招かれる。それまで戦士として築いてきたものを軽んじるわけではないが、かつて価値を見出したものに、かつてと同じ価値を見出さなくなるのもこの段階である。

「与えることはもらうことである」という信念が確固たるものとなっていき、自己中心的な(egocentric)態度ではなく、もっと周りや環境を中心とした(ecocentric)態度を採択し、世界が今よりもっとよくなるための選択をするようになる。このステージは、戦士の段階から最終段階である「精神の段階」へ移行するための橋渡し的段階でもある。

4. 精神 / スピリット The Spirit

この最終段階において、人はもはや既成の概念では定義されない存在となる。「精神のステージ」は、人が、それまで経験したことや、稼いだお金、自分の属する文化や国籍とは関係ないところで自分自身を定義づける段階なのである。

このステージに到達するまでには、相当な内的ワークが必要である。ここに到達した人は、自分が、人間の肉体を通してさまざまな経験をしながら旅してしきたひとつの精神(スピリット)であるという認識に至る。狭い箱の中から出て心を開き、自分が真になにものであるかを見極めるのに十分な視野が広がっている。

ユングはすべての人がこのステージに到達するわけではなく、到達しない場合は、上述の三つのうちのどこかで留まると言う。しかし到達した人は、かつての自分は本当の自分ではなかったことを悟る。

まったく準備ができていない状態で、我々は人生の午後に足を踏み入れる。さらに悪いことには、我々は、自分たちがこれまで知っている事実や理想が、これからも引き続き通用するものだという間違った前提をもってこの一歩を踏み出すのである。しかし、我々は、午前中の人生のプログラムに沿って午後の人生を生きることはできない。なぜなら午前中に素晴らしかったものは、午後にはつまらないものであり、朝には真であったことが、夜になると偽になっているからだ。

カール・ユング

人生の行程で、我々は再三再四、数千もの偽の自分自身に出会う。

カール・ユング

(原文:The Four Stages of Life According to Carl Jung by Clydeを拙訳。一部とーなんが追加説明のために言葉を加えた。)

※冒頭画像の出典はこちら

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