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サマータイムが始まる日に元型としての聖なる時間について考える

サマータイムを導入している欧米諸国では、半年に1度、”時間”が増えたり減ったりする。ヨーロッパで暮らし始めて20年以上になってもいまだにこの習慣に馴染めないが、数時間後にまたその瞬間を迎えようとしている土曜日の夜、「時間」と題されたユングの高弟の本をパラパラとめくってみた。シンクロニシティを含むこの本の内容の紹介と、サマータイムの実態と失敗談などのコラム。(3,100文字)

硬い話とそうでない話が混ざりましたので、関心のあるところだけ読んでいただけるようにユング心理学に関係する目次には★、雑学には☆マークをつけました。

★時間とは生命そのものであり元型である

「時間は万物を成立させ、万物を包み込んでいる。時間にうちかつ力はない。」とインドの聖典には記されている。人は時間の河の中に生まれ、老い、そして死んでゆく。時間とは生命そのものであり、その神聖な秘密であった。

時間は元型的経験のひとつであり、それに対して完全な合理的説明を与えようとするわれわれのあらゆる試みからすりぬけてきた。だから、時間が太古の昔には神性として考えられていたとしても驚くにはあたらない。現代の西欧物理学において、はじめて時間は意識的な心が物理現象を記すために使う数学的な枠組の一部となった。

時間とは、神性であり、同時に生と死の無窮の流れでもある。

マリー・ルイーゼ・フォンフランツ「時間」

現代人はいつも時間に追われて生きているように見える。かつては時間が、もっとゆるやかに流れていたような気がする。しかし、昔と今と、時間は違う質と量をもって流れるのだろうか。そして、時間は流れるというけれど、一体、何が流れ、なぜ時が経過するのだろうかあ。流れ、動いているのは、時間ではなく、ものごとのほうであり、自分のほうではないだろうか。

時間は流動してやまないものごとの変化をはかる一種の尺度であり、約束ごとといえよう。

「時間」の訳者、秋山さと子まえがきより

☆和時計と昔の時間

秋山さとこのコメントを読んで、日本人がかつて和時計という、世界でも珍しい時計を使用していたことを思い出した。

和時計とは、日本の江戸時代から明治初期にかけて製作・使用された時計のこと。
現在一般の時計が1日を24等分した定時法を原則としているのに対し、和時計は季節によって変化する昼と夜をそれぞれ6等分した不定時法を前提として製作されている。つまり昼の一刻と夜の一刻は、季節によって長さが互い違いに増減することになる。この場合「日の出」と「日の入り」が基準ではなく、日の出前の白々と夜が明ける「薄明」と、日が暮れて人の顔がよくわからなくなる「誰そ彼」(たそがれ)が基準だった。
(ウィキペディアより)

なんとも優雅で風流な時計ですね。

明治5年(1872年)12月3日、明治政府は太陽暦に基づきこの日を明治6年(1873年)1月1日と定め、時刻も定時法への全面移行を実施した。さらにアメリカから無関税でボンボン時計と呼ばれる定時法時計が大量に輸入され、和時計はその使命を終えた。

ウィキペディアより

この洋式時計の構造は和時計に比べていたってシンプルだったので、和時計の時計職人たちはたやすく作れたので、すぐに輸入品はお呼びではなくなったらしい。

和時計の内部構造の解説ページ

日本の職人技の詰まった和時計が洋時計に変わってしまったなんて残念にも思えるが、それ以上に残念なのは、本来、宇宙的秩序の一部分であり、宇宙のありかたと結びついている神聖な時間が、今のわたしたちにとっては、西洋時計で刻まれた単なる決めごととイコールになってしまっていることだ。

☆サマータイムの始まり方と失敗談

サマータイムへの切り替えは、時計時間がただの約束ごとであることを思い出させてくれる。

アメリカのサマータイムは3月の第2日曜日(土曜日の夜中)に始まり、11月の第1 日曜日に終わる。
ヨーロッパのサマータイムは3月の最後の日曜日に始まり、10月の最後の日曜日に終わる。せめてこれだけでも統一してもらわないとズレた期間の時差の計算がややこしくて困るが、お互い、相手に合わせたくないのだろうか。

本日は2023年3月25日土曜日なので26時、つまり日曜日の2時は3時に変身して(コンピュータではAM1:59からAM3:00になる。)瞬時に1時間を奪われる。午前2時はたいていの人は寝ている時間なので、日曜日の朝9時に起きたつもりでも、スマホやアップルウォッチなどにもう10時だよとシラッと言われ、実際より1時間多く寝たようなことになって損した気分になる。(逆の切り替え時には得したような気分になる。)

まだスマホ時代になる前に、日本人の同僚とスイスからウィーンに旅行に行ったときのこと、ちょうど閉館1時間前に合わせて美術館に行ったらすでに閉まっていて、ふたりで文句を言いながら引き返したことがある。ちょうどその日からサマータイムに切り替わっていたのだが、わたしはすでに5年もヨーロッパにいたのに、駅のホームの時計を見るまでまるで気づかなかった。毎年、日が違うし、母の日と違って宣伝もされないのでうっかり忘れる。

日本でも戦後GHQの指示で、「サンマータイム」が導入されたことがあったが評判が悪くて根付かず、3年で廃止になったらしいが、ヨーロッパも早く廃止にしてほしい。

★過ぎ去る時間と円環する時間、シンクロニシティ

しかし、こうして損したとか得したとか導入するとか廃止するとか、人間が決めるちっぽけなルールに振り回されて時間の神性を忘れてはいけない。

時間の概念には、どこかに始まりがあり、どこかで終わるという直線的なものと、永久に同じところをまわるという循環的なものがある。

ユングは、このような時間の概念に大きな関心をもった。

そして最終的に彼が到達したのが、時間の心理面と物理面の関連を明らかにしようと試みた「共時性(シンクロニシティ)」という時間論であった。

「共時性(シンクロニシティ)」はユングにとって、たんに時間論であるだけではなく、彼の倫理観でもあり、宗教観でもあって、ユングはそこにあらゆるものの中の両極的な存在と、それを超える一つの瞬間、または場があることを述べようとした。それを人間の心理という一面からだけ語るのではなく、物理学者のパウリとこれについて話す機会をもち、ユング・パウリの共著という形で、時間における自然現象と心の共時性という概念が公表された。

「時間」の訳者、秋山さと子まえがきより

アインシュタインら物理学者たちが、彼らの領域で時間の相対性を発見したのとほぼ同じ頃に、C.G.ユングもまた、人間の無意識の探究の中で同じ事実に出会ったことは、驚くべき符合である。夢の世界では時間もまた相対的となり、<前>と<後>という範疇はその意味を失うように見える。もしも無意識の元型的な層にまで深く入れば、時間は完全に消滅するようにさえ思える。

マリー・ルイーゼ・フォンフランツ「時間」

☆おわりに

日本とスウェーデンの時差は、7時間のときと8時間のときがありますが、それを混同して日本在住のクライエントさんに迷惑をかけてしまったことが十数年の間に2回ありました。2回目はつい最近のことで、オンラインの向こうで待ちぼうけのクライエントさんから連絡をいただいて、遅刻に気づいて大慌てでした。時差が8時間なのに7時間で計算してしまっていたのです。

この本を読むにあたり、とうとう老眼鏡が必要になりました。20年前に買ったときには裸眼で本が読めなくなる日が来ることを想像もしていませんでした。でも、当時の想像どおり、今でもこの本に夢中になれることを確認できたのは嬉しいです。

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